安倍総理の靖国参拝について

2014.01.18


昨年末に安倍総理が靖国神社を参拝したことについて、諸外国から批判があります。

毎日新聞に掲載された投書をご紹介します。

2014.01.05 毎日新聞 朝刊





問題は、はっきりしています。

靖国神社には国難に殉じて戦死した「英霊」だけでなく、大東亜戦争を計画し、指導した人々が一緒に祀られている、このことをどう考えるのかということです。

普通の理解では、戦死した英霊と、東京裁判で死刑になった戦争指導者とを一緒に祀っている礼拝所で礼拝すれば、それは両者を区別なしに礼拝していることになります。

ところが安倍総理は、それを「誤解」だと言うのです。

え? 誤解って? どういうこと?

安倍総理は、戦死した英霊には礼拝するが、戦争指導者は無視している、と
そう言いたいのでしょうか?

しかし、安倍総理はハッキリとそうは言いません。
なんとかモニャモニャとごまかそうとしています。
しかしこれは、二つに一つの単純な話ですから、ごまかしはききません。

投書氏が言うように、「何に礼拝しているのか」、安倍総理はこれを明らかにすべきです。
明らかにしないのなら、米中韓朝露などの「誤解」が正解だということになります。

安倍総理のごまかし

しかし、なぞ解きは簡単です。

安倍総理が、その簡単なことを明らかにしないことが、すべてを明らかにしています。
安倍総理は、戦争指導者に対しても同じように礼拝しているのです。

安倍氏を支持して自民党の総裁にした支持者も、それを期待しています。その期待に答えるために参拝しているのですから、もちろん本人も戦争指導者に礼拝していることを自覚しています。むしろ、それこそが真の目的です。

しかし、それをあからさまに言ったのでは、国内外からの批判で政権が吹っ飛びますから、
「それは誤解です」と言ってごまかしているのです。

それから1週間ほどして、この投書に同感だという、91才(終戦時22才)の、おそらく学徒出陣だった方から、以下の投書がありました。







靖国問題について、総理の靖国参拝を是とする人が右翼で、否とする人が左翼、というのが一般的な考えのようです。安倍総理は、TPPに反対している人を「左翼の人たち」と簡単に断定したように、ものごとを右翼と左翼の2分類で考えていますから、この2人の投書氏についても、「左翼が反対している」という認識になっていると思われます。

安倍総理の靖国参拝に賛同する人々も、こういう投書をする人々は、けしからん左翼だ、帝国軍人の風上にもおけない、と思っているのでしょう。

しかし、この2人が左翼ということはないでしょう。

そもそも、ソビエトが崩壊して20年もたつ今、右翼、左翼というだけの分類は時代に合いません。
少なくとも、もう1本の軸が欲しいところで、左右の横軸に、縦軸を加えてみました。





今言われている右翼とか左翼とかは、自由経済か統制経済か、という旧来のプラグマティックな分類ではなく、もっとエモーショナルな観点からの分類のようです。

靖国神社は、精神的な分類としては、個人の自由よりも社会全体の利益を重視する、という意味で全体主義の領域になります。靖国神社自体は経済には関心が無いでしょうから、自由経済か、統制経済か、という上下の分類では中立です。

安倍自民党は、新自由主義的でありながら、全体主義的傾向もあるので、少し右側です。

ソビエトとナチスは、ソ連は左翼でナチスは右翼、という分類が普通でしょうが、両方とも全体主義で統制経済だと考えれば、同じ領域に分類されます。日本の戦前の革新官僚も同じです。

原発は、自由経済としてはまったく成立していませんし、故郷を奪われた福島の人々を放置して推進しようとしていますから、全体主義の最たるものです。

私が考える理想的な社会は左上です。
修正資本主義が、人間にとって最も住みやすい体制だろうと思います。



争指導者

さて、次の写真は、私の父親のアルバムの中の1葉です。




これは昭和18年6月、戦争の真っ最中に首相官邸で撮影された写真です。

今から15年前に84才で亡くなった私の父は、当時28才の大蔵官僚で、大蔵省から出向して、企画院総裁の鈴木貞一氏の秘書官として、総裁のカバン持ちで東奔西走していました。後列右から2人目が父です。

前列左から、永野修身海軍軍令部総長、東条英機総理大臣兼陸軍大臣、杉山元(はじめ)陸軍総参謀長、島田繁太郎海軍大臣、中列左端が岸信介商工大臣、永野氏と東条氏の間に立つのが、鈴木貞一企画院総裁です。

この人々が戦争指導のトップです。

戦後、米軍から全員がA級戦犯に指定されました。

そして東京裁判で、裁判前に自殺、裁判前に不起訴、判決で絞首刑、判決で懲役、と分かれました。

東条総理の後ろで、グレーの背広で不敵に構えているのが鈴木貞一企画院総裁です。陸軍中将です。父は開戦前の昭和16年9月に、辞令を受けて鈴木総裁の秘書官になりました。12月8日の開戦前の、9月、11月の、昭和天皇ご臨席での御前会議の様子など、隣室で内容は分からずとも、秘書官として雰囲気を伝える生々しいメモが父の手文庫に残されていました。

しかし昭和18年10月に政変が起こり、鈴木総裁は失脚し、岸氏がそのあとを襲って新設の軍需省の次官(大臣は東条総理が兼務)に就任して、父の秘書官生活は終わりました。

鈴木氏は有罪となりましたが、後日釈放され郷里の千葉に隠遁して天寿を全うしました。

鈴木貞一という人には、毀誉褒貶さまざまな評価がありますが、開戦当初はこの人が実質的に戦争を指導していました。満州国革新官僚であった岸信介氏は、商工大臣として戦争経済を指導し、昭和18年に鈴木氏を追い落としてからは、東条兼務軍需大臣のもとで軍需次官として、戦争経済を指揮しました。

岸氏は戦後、アメリカのCIAと取引きして、戦犯でとらわれていた巣鴨プリズンをを出所し、日本の指導者として復活しました。その後保守合同を達成し、総理になり、吉田茂総理が締結した日米安保条約を改定しました。岸氏の悲願は、アメリカに押しつけられた憲法を改定することでした。岸氏にとっては、アメリカとの取引きもまた、「俺がやらねば誰がやる」という気概のもとでの、日本再建のための方便だったと思われます。

岸氏の孫である安倍総理は、岸氏の膝に抱かれて、あるいは岸氏の娘で母親である岸洋子さんから、いろいろと物語を聞かされて育ったのでしょう。

安倍総理は戦前が良い時代だったと思っているようです。
岸氏の薫陶のたまものです。
しかし安倍氏は、上の写真を見たことはたぶんないでしょう。


ルーズベルトがどう、チャーチルがどう、蒋介石がどう、スターリンがどう、と戦争指導者たちにはそれぞれ長所も短所もあったのでしょうが、戦争真っ只中の、わが日本国のこれらの戦争指導者たちの風貌を見るにつけ、これらの人々が世界を敵に回してどれだけの能力があったのか、世界情勢をどれだけ認識していたのか、疑問とせざるを得ません。

これらの、ほとんどインテリジェンスがないように見える人々が、まったく無責任に、「大本営発表、帝国海軍は何とか方面において敵艦を何隻撃沈せり」などと、国民に対して虚偽の情報を出し続けていたのです。

もともと日本人は、世界を向こうに回しての謀略的な駆け引きには向いていません。「世界情勢は奇怪なり」と平沼内閣が総辞職したくらいです。戦前が良かった、あの頃は美しい日本だった、それを取り戻そう、などと考えるのは、単なる妄想です。



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