山本義隆 著
福島の原発事故をめぐって 
いくつか学び考えたこと 
みすず書房

2011.09.20


山本義隆氏が、このような本を書いたので購入して読んでみました。
氏は原子力の専門家ではないので、自分で改めていろいろと調べた上で考えたと言っていますが、きわめて的確で鋭い見解を提示しています。

山本氏は、私たちの年代で1968年、69年当時に全共闘運動にかかわった者なら知らぬ者のない、東大全共闘議長だった山本義隆氏です。東大で演説をしている氏を遠くから眺めたことがあります。才能ある物理学者だという評判でした。安田講堂陥落の後の日比谷公園での全国全共闘結成大会の会場で、山本氏は逮捕されました。私もその日、その会場にいました。
20代後半でさっそうとしていた俊秀が、いまや70翁とは、月日のたつのは早いものと、当時20才だった私が60才を越えて3人の孫を持つ身になったことを棚に上げて、思ってしまいます。


山本義隆氏略歴(ウィキペディアより)
大阪府出身。大阪市立船場中学校、大阪府立大手前高等学校卒業。1964年、東京大学理学部物理学科卒業。 東京大学大学院博士課程中退。
1960年代、学生運動が盛んだったころに東大全共闘議長を務める。1969年の安田講堂事件前に警察の指名手配を受け地下に潜伏するが、同年9月の日比谷での全国全共闘連合結成大会の会場で警察当局に逮捕された。日大全共闘議長の秋田明大とともに、全共闘を象徴する存在であった。
学生時代より秀才でならし、大学では物理学科に進んで素粒子論を専攻した。大学院在学中には、京都大学の湯川秀樹研究室に国内留学しており、物理学者としての将来を嘱望されていたが、学生運動の後に大学を去り、大学での研究生活に戻ることはなかった。
その後は予備校教師に転じ、駿台予備学校では「東大物理」などのクラスに出講している。一方で科学史を研究しており、当初エルンスト・カッシーラーの優れた翻訳で知られたが、後に熱学・熱力学や力学など物理学を中心とした自然思想史の研究に従事し今日に至っている。遠隔力概念の発展史についての研究をまとめた『磁力と重力の発見』全3巻は、第1回パピルス賞、第57回毎日出版文化賞、第30回大佛次郎賞を受賞して読書界の話題となった。
全共闘に関するマスコミ取材は一切受けていない。




山本義隆氏は自然の道理を解明する物理学者であり、結果として数万人の学生を指導したオピニオンリーダーでしたから、氏の発する言葉は視野が広く、合理的で説得力があります。市民科学者として原子力に反対し奮闘した故高木仁三郎氏と同質の知性と品格です。

この半年間、テレビや新聞雑誌で明らかになった、東大工学部原子力工学科出身者を中心とする「原子力村」の連中の言動とは比ぶべくもありません。

いくつかの文章をご紹介しましょう。


まえがき より


事故発生以来、日本の原発政策を推進してきた電力会社と経済産業省(旧通産省)と東京大学工学部原子力工学科を中心とする学者グループ、そして自民党の族議員たちからなる「原子力村」と称される集団の、内部的には無批判に馴れ合い外部的にはいっさい批判を受け入れない無責任性と独善性が明るみにひきだされている。
学者グループの安全宣伝が、想定される過酷事故への備えを妨げ、営利至上の電力会社は津波にたいする対策を怠り、これまでの事故のたびに見られた隠蔽体質が事故発生後の対応の不手際をもたらし、これらのことがあいまって被害を大きくしたことは否めない。その責任は重大であり、しかるべくその責任を問わなければならない。

本質的な問題は、政権党(自民党)の有力政治家とエリート官僚のイニシアティブにより、札束の力で地元の反対を押しつぶし地域社会の共同性を破壊してまで、遮二無二原発建設を推進してきたこと自体にある。



原発推進の真の理由は核武装

山本氏は本書で、日本の原発が核武装を目的として推進されてきたことを、岸信介語録などを通じて明らかにします。

1958年頃には防衛庁で原爆の技術的な研究が真剣に行われていました。

1959年の参院予算委員会で当時の岸信介首相は「防衛用小型核兵器は合憲」と答弁し、後に1967年の講演で次のように語っています。

平和利用ということと軍事的利用ということは紙一枚の相違である。ある人は紙一枚すらの相違はないといっている。今日の原子力のいろいろな利用というものは、いうまでもなくみな軍事的な原爆の発達から生まれてきているものである。
平和的利用だといっても、一朝ことあるときにこれを軍事的目的に使用できないというものではない。(岸信介講演録)


そして、その方針が現在まで引き継がれてきていることを、山本氏は経産省幹部の発言によって明らかにしています。


その後、技術的に危険で実用化が不可能と判断して欧米諸国がつぎつぎに撤退した核燃料サイクルに関して、2001年に経産省資源エネルギー庁長官は、「力ずくでも進めていくべき課題」だと表明し、2006年には元通産省産業審議官でアラビア石油の社長も勤めた坂本吉弘が語っている。「核燃料サイクルは産業政策の枠を超えて、外交、安全保障政策と統合して対処してゆくことになります」

潜在的核兵器保有国の状態を維持し続け、将来的な核兵器保有の可能性を開けておくことが、つまるところ戦後の日本の支配層に連綿と引きつがれた原子力産業育成の究極の目的であり、原子力発電推進の深層底流であった。
原子力発電の推進、核燃料サイクルの開発が、このように「産業政策の枠を超える」「外交、安全保障政策」の問題として位置づけられているのであれば、経済的収益性はもとより技術的安全性さえもが、二の次、三の次の問題となってしまうであろう。


私はスライドショウ「脱原発の道」で、原発は安全でないこと、経済的にペイしていないことを指摘し、それなのになぜやるのかを考えれば、「核武装願望」しか残らない、と述べています。

また、最近、自民党の石破政調会長が、「いつでも核武装できることが抑止力になっているので、原発を止めるべきではない」と発言しましたが、自民党の政策は一貫していると言えます。
http://www.minusionwater.com/isibaseityoukiaityou.htm

つまり自民党や財界が、「電力が足りない」とか「技術を維持しろ」とか言って、原発を推進しようとする根底の理由は、現在でもなお「核武装願望」にあるということです。

日本が核武装することは国際世論の許すところではありませんし、国内世論も受け入れません。ですから核武装の意図を表に出すわけにはいきません。そこで岸や中曽根や正力らは、核武装という鎧の上に「原子力の平和利用」という、他者から非難されにくい衣をまとったのです。

つまり原発推進は、核武装という鎧の上の衣です。

山本義隆氏は「
脱原発、反原発は、同時に脱原爆、反原爆でなければならない」と指摘しています。私がスライドショウ「脱原発の道」を、「原爆を許すまじ」の歌でスタートしているのもこの理由です。


脱原発を目指す人は、敵のこの真の意図を知る必要があります。

逆に、「日本経済のために、日本人の生活のために、原発は必要だ」と本気で信じている(信じこまされている)人々も、この事実を認識しなければなりません。

「原子力村」の多くの人々は、個々にはまじめで、世のため人のためと信じて原子力開発に携わってきたのかも知れません。しかしそれは現実には、自民党政権中枢の核武装論者の手のひらの上で踊っていたに過ぎません。そう思って見返してみれば、「そういえば道理で、経済性も安全性も二の次、三の次にしてきたなぁ、なんだか無理をさせられてきたなぁ」と、過ぎた過去に思い至ることでしょう。



東電の榎本元副社長は正気ではない


技術的な面では、山本氏は核廃棄物の処理ができないことを最大の問題としています。



日本でも高レベル廃棄物が処理以前のものもふくめて溜まり続けているが、その最終貯蔵地を引き受ける自治体は当然ながらなく、完全に行き詰まっている。
榎本聡明という東京大学工学部原子力工学科を出て東京電力の副社長と原子力部長を務めた人物の2009年の書「原子力発電がよく分かる本」には書かれている。


「高レベル放射性廃棄物の地層処分は、地点選定に数十年、さらに処分場の建設から閉鎖まで数十年とかなりの長期間を要する事業であるとともに、処分場閉鎖後、数万年以上というこれまでに経験のない超長期間の安全性の確保が求められます。」


正気で書いているのかどうか疑わしい。「数万年以上」にわたる「超長期の安全性」をいったい誰がどのように「確保」しうるのだろう。


榎本副社長は、東電がデータを捏造して通産省に報告した際の技術陣のトップでした。
後にそれが発覚して2002年に副社長を辞任しています。
しかし今でも顧問として東電に残っており、実力者として隠然たる力で技術陣を支配しています。


データを捏造して官庁に報告する行為は、明らかに刑事犯罪です。
しかし刑事訴追は見送られました。官庁と検察と業者の明らかな癒着です。

その榎本氏が東電になお君臨しながら、2009年にこういうことを書いていて、山本義隆氏に「正気かどうか疑わしい」と斬って捨てられているわけです。


東電のデータ捏造事件のあらましは以下の通りです(ウィキペディアより)。


内部告発
2000年7月、ゼネラル・エレクトリック・インターナショナル社(GEI)から東京電力の福島第一原子力発電所、福島第二原子力発電所、柏崎刈羽原子力発電所の3発電所計13基の点検作業を行ったアメリカ人技術者が通商産業省(現経済産業省)に以下の内容の告発文書を実名で送った。

一、原子炉内の沸騰水型原子炉にひび割れ六つと報告したが自主点検記録が改竄され三つとなっていた
二、原子炉内に忘れてあったレンチが炉心隔壁の交換時に出てきた

保安院の調査
告発を受け、原子力安全・保安院(以下保安院と略)は事実関係を調査する。2002年2月、GEが保安院に全面協力を約束する。その結果、東電も不正を認めざるを得なくなった。

謝罪・辞任
8月29日、保安院は会見で東電の不正を報告する。「なお未修理のものが現存するが、安全上問題ないことを確認した」と強調。翌日、南直哉社長は記者会見し、「このような疑惑を生じたのは誠に残念で、社会に深くおわびを申し上げる次第です。」と陳謝。また福島第一3号機、柏崎刈羽3号機で予定していたプルサーマル計画を無期限凍結すると発表した。
9月2日、南直哉社長はじめ、社長経験者5人が引責辞任。

改竄内容

福島第一原子力発電所、福島第二原子力発電所、柏崎刈羽原子力発電所の原子炉計13基地において、1980年代後半から1990年代にかけて行われた自主点検記録に、部品のひび割れを隠すなどの改竄が29件あった。


なんともおぞましいデタラメぶりで、「原発の話はウソだらけ」の典型です。

このとき同時進行で、自民党と検察と東電によって、あくまでもプルサーマルに反対する現職の佐藤栄佐久福島県知事を抹殺する陰謀が進められていました。


原発ファシズム

山本義隆氏はこれを「原発ファシズム」と呼んできびしく批判しています。


もともと問題が多く国民的合意も形成されていない原子力開発への突進は、ほとんど暴走状態をもたらしている。税金をもちいた多額の交付金によって地方議会を切り崩し、地方自治体を財政的に原発に反対できない状態に追いやり、優遇されている電力会社は、他の企業では考えられないような潤沢な宣伝費用を投入することで大マスコミを抱き込み、頻繁に生じている小規模な事故や不具合の発覚を隠蔽して安全宣伝を繰りかえし、寄付講座という形でボス教授の支配の続く大学研究室をまるごと買収し、こうして、地元やマスコミや学界から批判者を排除し翼賛体制を作りあげていったやり方は、原発ファシズムともいうべき様相を呈している。

ほとんど唯一の有効な異議申し立て人になりうる骨のある有能な地方自治体の長にたいしては、前福島県知事の起訴に見られるように、冤罪すら仕組まれている。実際、経産省のプルサーマル計画に抗った佐藤前福島県知事にたいする東京高裁の判決は「賄賂がゼロ円」の収賄罪という奇怪なもので、、氏の起訴が国策遂行にとって不都合な人物の政治生命を抹殺するための国家的報復であると判断しても、それほど間違っていないであろう。

かくして政・官・財一体となった「怪物的」権力がなんの掣肘もうけることなく推進させた原子力開発は、そのあげくに福島の惨状を生み出したのであった。



「福島の惨状」がけっして天災ではなく、人災であることが的確に指摘されています。

事故は防げたのではないか、と国際的にも強く批判されています。日本の政・官・財一体となった癒着構造が、世界に放射能をまき散らしたと言って過言ではないでしょう。

日本の恥さらし、と言うべき人々です。

しかるに自民党も財界も、まだ原発をやる、と言っています。
仮にどんな理屈があっても、この連中には原発をやる資格がありません。




山本義隆氏は、原発継続を「子孫にたいする犯罪」だとして、本書を次のようにしめくくります。




生産活動にいくばくかの支障が出るとしても、生活が幾分か不便になるとしても、それでも原発はやめなければならないと思っている。事故のもたらす被害があまりにも大きいだけではない。いずれウラン資源も枯渇するであろう。しかしその間に、地球の大気と海洋そして大地を放射性物質で汚染し、何世代・何十世代も後の日本人に、いや人類に、何万年も毒性を失わない大量の廃棄物、そして人の近づくことのできないいくつもの廃炉跡、さらには半径何キロ圏にもわたって人間の生活を拒むことになる事故の跡地、などを残す権利はわれわれにはない。そのようなものを後世に押し付けるということは、端的に子孫にたいする犯罪である。

世界中がフクシマの教訓を共有するべく、事故の経過と責任を包み隠さず明らかにし、そのうえで率先して脱原発社会、脱原爆社会を宣言し、そのモデルを世界に示すべきであろう。           (完)



あとがき

原子力技術の専門家でもなく、特別にユニークなことが書かれているわけではありませんが、物理教育のはしくれにかかわり科学史に首を突っ込んできた私が、それなりにこれまで考えてきた、そしてあらためて考えた原子力発電に反対する理由です。

                        2011年7月24日 山本義隆



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