ニセ科学批判者たちの自然現象に対する感覚の鈍さ
2006.12.23
大阪大学の菊池誠教授はつぎのように言っている。
「水からの伝言」が「水の結晶」と言ってるのは、ただの氷で雪で霜なのだ

「水の結晶」というのは、つまり氷のことです。氷というのは「水の結晶」のことです。
雪や霜も氷ですが、液体の水が凍るのではなく、水蒸気がくっついてできるために、樹枝状などの形になります。しかし、違うのは形だけで、水分子の並び方は冷凍庫の氷と同じものです。つまり、ただの氷です。「水からの伝言」も雪や霜と同じです。

そう考えると、「水の結晶」という言葉は、マーケティングの面でうまかったと言えるかもしれません。あれが「氷」だったら、これほどヒットしなかったのかも

ふつうの大気圧程度の圧力下において、水が雪になったり霜になったり氷になったりするとき、その微細な部分での分子配列はどれも同じだとは、その通りなのかも知れない。私はよくは知らないが、そういうことはX線回折などを用いた結晶構造の解析で、十分に分かっているようだ。

しかし、その氷が六角形の美しい形になるとしたら、それをふつうの氷とは区別して、特に「結晶」と呼ぶのは、何もマーケティングがうまいということではなく、ごく普通の感覚ではないだろうか。
そして、固相であれ液相であれ気相であれ、それは物質としては「水」と呼ぶしかないものだから、出来た結晶を「水の結晶」と呼ぶのは、ごく自然である。むしろ、他には言いようがないではないか。
だから、「調子のいい名前をつけやがって」という菊池氏の批判は、下司のカングリと言うものだ。

菊池氏は、平松式で作った氷も、冷蔵庫の氷も、「水からの伝言」の美しい結晶も、氷としては同じだと唯物的に言ってのける。しかし、そういう身も蓋もない言い方をするなら、中谷宇吉郎先生もLebrricht教授も、冷蔵庫の氷を観察していたのと同じことになる。

そうではないだろう。

菊池氏にとって、雪とは、「樹枝状になる」「違うのは形だけ」というものであるようだが、しかし実はその形こそがポイントで、六角形の樹枝状に成長するところに、自然科学の研究者も、一般の人々も、神秘を感じ、感動し、だから研究するのである。「水からの伝言」が人々に示すものも美しい六角形になっている。それは明らかに冷蔵庫の氷とは違うから、人々はそこに何かを感ずるのである。

水分子は、水素結合によって4面体を形成して固相になるそうだ。1つの水分子を中心に4つの水分子が、下図のように配置されて4面体となるらしい。
これを基本ユニットとして六角形ができるようだ。

しかし一方、液相の水が凍ってできる冷蔵庫の氷には、いくら調べてもどこにも六角形が見えない。しかるに気相成長する雪はひとつひとつが六角形になる。

それはなぜだろうか?
そんなことは計算で当たり前だ・・・ということなのか?
そうではないだろう。

また、「雪の結晶は樹枝状に成長する」と菊池氏は一言で片づけてしまうが、たとえば下図のような雪の結晶が樹枝状にできるとして、その形状は点対称であり線対称だから、赤丸で囲った部分の形状は、みんなほぼ同じ形になるわけだ。
しかし、なぜ同じ形になるのだろうか?
同じ形になるのが当たり前なのか?

自由運動をしている水分子が、ふっと、成長途上のこの雪の針の先にくっつく。それが6カ所でほとんど同時に起きる、その同時性は確率の問題だからそうなるのだろうが、それらがほとんど同じ形になるのはなぜだろう。同じ形になるから、きれいな六角形の結晶になるわけだが、そういうことが起こるのは当たり前のことなのだろうか?
さっきまで自由運動をしていた水分子は、どこから、どういう情報を受け取って、自分の固相での形状を決めるのだろうか。水が情報を記憶することはない、とニセ科学批判者たちはしたり顔に言うが、形状も一つの情報であり記憶だ。水分子は、周囲の「先輩」から情報を受けて、それによって自分の身の振り方を決めているのではないか。

細胞は周囲の先輩たちの様子を見て、遺伝子指令の中から自分の発現形態を選ぶと言われている。だからたとえば、丹下左善の目の傷は何年たっても消えない。皮膚の新陳代謝がいくらあっても、下から育ってくる皮膚細胞の原細胞が、周囲の状況を見て、自分は傷跡のケロイドになろう、と決めるから、あの傷跡は一生消えないのだ。ステロイドの影響は形状ではなく、機能、反応のパターンとして、新しく発生する細胞にも伝わってしまうのだろう。だからステロイドは怖いのである。

そういう情報伝達があるのではないか。それは生物でなくても起きるのではないか。
私は、雪の結晶が点対称であり線対称であり、ひとつの結晶の中で、あちこちで同じ形状を出現させることを見ると、そういう情報伝達が無生物の水にも起きているのではないかという気がする。

菊池氏は、雪も冷蔵庫の氷も固相の水だから同じだ、という。
自然現象に対する感性が、全然違うわけだ。


さて、天羽優子氏が新しいコメントを書いた。
http://atom11.phys.ocha.ac.jp/water/checklist.html

その中に以下の記述がある。
  • 「植物の成長」が登場する
    磁気処理水に多い。発芽して数日間の成長に差があることもあるらしいが、収穫までにかかる日数は磁気処理水と普通の水で差がないから、実用性は皆無だというオチ。無意味にコストアップにつながるだけだという……。もちろん、人体とどういう関係があるかはさっぱりわからない。
これは、以前から天羽優子氏が主張していることで、たとえば次のような記述がある。
http://atom11.phys.ocha.ac.jp/wwatch/intro.html
  • 磁気水の評価 (神奈川大理・工 大石不二夫・持田由幸)
    磁場に通した水をイオン化クラスター質量分析法で測定したところ,純水よりもマススペクトルが小さい方にシフトした(天然水(サントリー)はさらに小さい方に偏っている)。さらに,カイワレ大根で発芽率を求めた結果,磁気水の方が発芽率・成長の高さともに高くなった。
  • コメント;以前から当方のウェブサイトの掲示板でも話題になったグループじゃないかと思うが,実際に発表をきいて状況がわかった。ここのグループは,メインの研究テーマ(こっちは先生がしっかり仕切ってる筈)の他に,第二テーマを学生に自由にやらせている(先生は詳細にまで立ち入っていない模様)。磁気水は第二テーマだということだ。物理化学や分析化学を十分しごいてないと,学生は「磁気水はクラスターの小さい水」をいきなり信じるのだなあ,というのが感想。なお,カイワレについては途中までしか追跡実験していない。
  • 会場では,似たような話で麦の発芽に磁化水が効果的という話が昔あって,実験したら,確かに発芽の最初は磁化水の方が成績が良かったが最終的には普通の水を使ったのと変わらない結果になったため,実用にはならなかったという指摘があった。

磁気処理水を供給すると、植物の発芽が促進される。このことは、この研究でも明らかになっているし、学会でも話題になっているわけだ。
しかし、と天羽優子氏は言う。
その後、収穫期には差がないので、そんなことはムダである・・・・と。

しかし、これは考え方が全然ダメなのである。なるほど、百姓にとっては、ムダであるかも知れない。しかし理学者はそれではいけない。

発芽に影響するということは、理学的に見て、生物学的に見て、磁気処理水が何らかの作用を持っていることを示している。それは理学者にとっては見過ごせないことだ。磁場を通った影響が水に残り、それが長期間持続することを、それは示唆しているのだ。そこで、感性が働くかどうか・・・・そこが研究者としてのセンスの分かれ目である。天羽優子氏の考えは百姓のそれでしかない。それではダメなのだ・・・ということが、彼女には分からない。


実際問題として我々の実践では、発芽期の影響は、その後の育成を適切にすることで、収穫まで維持できるのである。そして収穫時に、増産、味覚の向上という収穫をもたらす。そういう例は枚挙にいとまがない。そのことを知らずに、知ろうともせずに、近視眼の百姓なみの安易な判断を下し、そのような成果を誹謗中傷するす天羽優子氏には、理学者としてのセンスがないと言うしかない。
興味がないのはいい。それは人それぞれだ。しかし、そんなことはウソッパチだと言い募るのはどうかしている。

ところが、このような論理のすり替えは、実はニセ科学批判者たちの常套手段である。

かつて安井至氏は、「マイナスイオンの多い空気を吸うことで、赤血球の流れがよくなる」という実験報告を批判して、「水を飲んでも赤血球の流れはよくなるんだ」と言った。トンチンカンな論理のすり替えである。マイナスイオンの多い空気を吸って赤血球の流れが良くなるのかどうか、私は知らない。しかし、水を飲んで赤血球の流れが良くなるという事実があっても、それはマイナスイオンの空気を吸うと赤血球の流れがよくなるかどうか、という実験結果と関係がまったくないではないか。

天羽優子氏は、「マイナスイオン水につけるとボトルのワインの味がマイルドになる」という実験結果に対して、それじゃその水につかった人間がマイルドになってしまうじゃないか、そんなことはゴメンだ、などという、「水商売ウォッチング」の常連のコメントをとらえて、そうだそうだ、と同調していた。恥ずかしい論理のすり替えである。
また、ある処理をすると水の浸透性が増すという報告に対して天羽優子氏は、浸透性が良くなったら細胞に水が入りすぎてパンクしてしまうではないか、と言った。これもまったくトンチンカンな論理のすり替えでしかない。理学的に見てその現象は起こるかどうか、という議論をしている時に、そんなことが起こったら困る、などと言うのはまったくお門違いなのだが、とにかく相手をつぶすためにはどんな論理でも動員するわけだ。恥ずかしい限りである。

あるいは、同志社女子大学の左巻氏は、かつて私が、強い磁気を浴びたマヨネーズやケチャップは味がマイルドになるという実験をしてみせたとき、「俺は味オンチだからわからない」と言いながら、「味が変わるとよく言うが、味が変わったからどうだというんだ」と言ったものである。呆れた。まぁ、左巻氏は科学研究者とは言えないが、とにかく、味が変わるとマヨネーズ屋がもうかる、などという話をしているわけではない。味が変わる、そのこと自体に、理学的な興味はないのかと問うているのだ。

ニセ科学批判者たちは一様に、そんなことには興味がない。
自然現象に対する感覚が鈍いのである。


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