日本水泳連盟は冨田尚哉選手の名誉を回復せよ Part 1

2014.11.10


先のアジア大会で競泳の冨田尚哉選手(100m平泳ぎ4位)が、韓国人新聞記者のカメラを盗んだとして韓国の警察に逮捕されて略式起訴され、罰金刑を受けました。冨田選手は即座にアジア大会日本選手団から追放となり、日本水泳連盟から選手資格を剥奪され、所属会社のデサントを解雇されました。

帰国した冨田選手は11月6日に記者会見を開き、無実を訴えています。

彼の陳述書を読み、記者会見を見れば、これが日本や日本選手をおとしめるために仕組まれた、意図的な冤罪であることは明らかです。日本水泳連盟は、冨田選手に対する選手資格剥奪の処分を早急に取り消し、彼の名誉を回復すべきです。

韓国で裁判をやり直すことは、かの国の国情を考えれば、ほとんど利益のないことです。
デサントや日本オリンピック委員会には、日本選手や自社の社員を守るよりも優先すべき、韓国と事を構えたくない事情があるのかもしれません。
しかし日本水泳連盟は自分たちの選手を守るために、断固とした独立自尊の行動をとるべきです。

以下は「弁護士ドットコム」に掲載されている冨田選手の陳述書全文です。

http://www.bengo4.com/topics/2248/

冨田尚弥選手「陳述書」全文――私にかけられた「えん罪」を晴らしたい

韓国・仁川で開かれたアジア大会の競泳会場でカメラを盗んだとして、韓国で略式起訴処分を受けた競泳の冨田尚弥選手が11月6日、名古屋市内で記者会見を開き、自らの「えん罪」を訴えた。
冨田選手は、競泳会場で韓国メディアのカメラマンが席を離れた際に、一眼レフのカメラを持ち去ったとして、窃盗容疑で略式起訴され、罰金100万ウォン(約10万円)を納めていた。
記者会見では、冨田選手が事実の経緯について詳細に説明した「陳述書」が、報道陣に配られた。陳述書の全文は以下の通り。



冨田選手の陳述書全文

1 私は、平成26年9月18日から同年10月4日までの間、韓国で開催された「第17回アジア競技大会(アジア大会)」では、100メートル平泳ぎ及び50メートル平泳ぎ競泳の日本代表に選出され、日本選手団の一員として大会に参加していました。

私は、大会第8日目の同年9月25日に、韓国の記者朴ジホ氏(以下、「朴記者」といいます。)所有のデジタル一眼レフカメラ「キヤノン EOS−1DX」(以下、「カメラ」といいます。)を盗んだ窃盗の容疑で、同月26日から翌27日にかけて、韓国の警察による取調べを受け、その容疑を認めました。

同年9月27日の段階で、私は、日本オリンピック協会(以下、「JOC」といいます。)による日本選手団からの追放処分を受けました。

そして、同月29日、韓国の検察庁から罰金100万ウォンの略式起訴処分を受けました。言い渡された罰金100万ウォンは、日本水泳連盟(以下、「水連」といいます。)がその日のうちに韓国の警察署宛てに振込入金の方法で立替払いをしました。そして、私は、帰国後の同年10月8日、水連から立替金の請求を受けたので、同月22日に水連に立替金分を支払いました。なお、私は、罰金が立替払いされたことを事後的にしか聞いておらず、立替払い前に、水連から立て替え払いすることの事前確認等はありませんでした。

帰国後、私は、同月8日付けで、水連から、平成28年3月末日まで選手登録停止処分とするという内容の処分案の通知を受けました。私には、上記処分案に対して、通知を受けた後2週間以内に不服審査委員会に対して不服を申し立てる権利が与えられました。しかし、私は、今回、日本以外にもアジア各国が参加する国際大会という名誉ある舞台において、世間にお騒がせをし、水連をはじめ、JOCや私を雇用して下さっていたデサント、その他関係者の方々に多大なるご迷惑をお掛けしたことを申し訳なく思いますので、水連が決定した処分案に対する不服申立てはしませんでした。上記処分案は、私が不服申し立てをしなかったことで、同月30日に開かれた水連の理事会により正式に決定され、処分案のとおり、私は、平成28年3月末日まで選手登録停止の状態となりました。

2 しかし、私は、今回の窃盗事件に関して、ご迷惑をお掛けした関係者の方はもちろん、世間の皆様に対して、どうしてもご理解いただきたいことがあり、この度、記者会見という場で、私が体験した真実を全て話すことを決意致しました。

私は、記者の方のカメラを盗んではいません。私は、当時、自分がカメラを盗んだ犯人だという身に覚えのない疑いをかけられた上、韓国の警察官から取調べを受け、また、警察署に連行されるという人生で初めての場面に直面したことにより、冷静でいられなくなり、パニック状態に陥ってしまいました。そして、警察官から、通訳を通じて、「事を大きくするつもりはない。認めれば、次の日の飛行機にみんなと一緒に乗れるよ。」、「素直に応じれば、刑が軽くなって、大ごとにはならないから。」、「応じなければ、日本に帰れず、韓国に残らなければならない。」等と言われました。私は、パニック状態に陥っていたことや今回の件を認めないと、韓国に身柄を拘束され、身動きが取れなくなってしまうことへの不安が募ったこと等から、自分の身の潔白を主張し続けて争うことよりも、警察官の言うとおり大人しく従い、言いなりになって事を荒立てなければ、無事・日本に帰ることができるし、また、水連、JOC、デサント等、全ての関係者の方にも迷惑がかからないと考えるに至りました。

今、冷静になって考えると、それは誤った判断でしたが、私は、警察官に言われるまま、カメラが欲しくて思わず盗んだという事実関係を認めてしまいました。

3 今回、私は、窃盗の罪に問われるようなことを、何一つしておりません。そこで、今回の件に対する私の弁明を、時間の流れに沿って説明致します。なお、韓国での取調べ後、出国までの間は、私も取調べを受けるという初めての経験からパニック状態になっていた部分もあり、多少、事実関係に勘違いがあるかも知れませんができるだけ思い出しながらお話しします。

4 窃盗行為をしたと疑われた平成26年9月25日、私は、午前9時頃から午前10時頃まで、他の選手が出場したレースを応援し、その後は、午前11時頃から、アジア大会のレース競技用のメインプールとシンクロ競技用や飛び込み競技用のダイビングプールが備えられたメイン会場で、十数名の日本代表選手と共に、練習をする予定でした。

競泳選手は、練習後、すぐに水着からジャージに着替えて移動するため、タオルや競泳用具等を入れたバッグを各自で準備し、メインプールがあるメイン会場の裏側にある練習場内に設けられている日本選手団控場所に、そのバッグを置いていました。私は、2年ほど前から、はっ水加工が外面に施されているビニールのような素材で、側部に取手が付いており、上部がファスナーで開閉する構造の紫色の手提げバッグを使用しています。私は、この日も、そのバッグに水着1着、水泳キャップ7枚、水泳ゴーグル3個、セームタオル1枚を入れて練習場に持参し、他の選手の応援の後、控場所に移動し、ジャージから水着に着替え、控場所にバッグを置いて、メイン会場に移動しました。

練習開始前の午前10時30分頃、私は、練習を終えた松田選手と、メインプールのプールサイドで30分ほど話をしていました。このときの松田選手との会話で特に印象に残っているのは、先ほど行われた女子400メートルリレーの予選で、中国のバタフライを泳いだ選手の潜水キックが、制限の15メートルを超えていたと判定されたことで中国が予選失格となり、これに対して中国側が激しく抗議していたという話題です。私は、松田選手と、「抗議が長いね。」などと話していました。そして、松田選手から「お前練習をしていないなら、早く練習しろよ。」等とも言われたので、私は午前11時頃から練習を開始しました。松田選手は、そのまま選手村に帰ったようでした。なお、プール内の練習では女子の個人メドレーの寺村選手とも一緒でした。

韓国の警察の発表では、私の犯行時間は午前10時48分頃となっているとのことですが、私は、その時間帯は松田選手と雑談していたので、私が盗みをすることなどあり得ないことです。

5 私は、翌日に50メートル平泳ぎ予選に出場予定でしたので、この日の練習は軽めに済まそうと思い、寺村選手より先にプールを出てメイン会場から控場所に行き、そこで水着からジャージに着替え、一人で、再び練習場からメイン会場へと移動しました。

メイン会場内のメインプールでは、寺村選手らがまだ泳いでおり、私は、彼女らと一緒に選手村に帰ろうと思っていたので、彼女らの練習が終わるまで、メインプールの様子を見ながら待つことにしました。このときの時間は午後0時頃です。当時、メインプールのプールサイドには、高さ約70センチメートル、縦幅と横幅がそれぞれ数メートル程度の、細長い長方形の台座が設置されていました。この台座は、メインプールで試合があるときに、記者の方が写真撮影のために利用していたものだと思いますが、どういう使い方がされていたか、詳しくは覚えていません。

私は、立ったままでメインプールの様子を見ているのも疲れると思い、その台座にメインプールの方を向いて腰かけ、上半身を少し後ろに傾け、両手を斜め後ろ方向の下側に伸ばして、その上半身を支えるような体勢を取りました。台座の高さが約70センチメートルだったので、そのときの私の足先は、地面につくかつかないかという状態でした。このとき、私のバッグは、ファスナーを閉じた状態で、バッグ本体が自分の左斜め後ろの位置にあり、私は、上半身を支える両手のうち、左手で、バッグについている取手を軽く握っていました。

6 その体勢で、台座に座りながらメインプールの方を見ていると、まもなくして、突然、何者かに私の左手首をきつく掴まれる感覚がありました。このときの時間は、午後0時頃だったと思います。

私は、突然の感覚に、一体何事かと思い、上半身を左に半身捻るようにして、顔を左向きにして後ろを振り返りました。すると、全く面識のない男性(以下、この男性を「A」といいます。)が、そのとき私が腰かけていた台座の向こう側から、身を乗り出すようにして、私の左斜め後ろ方向におり、私の左手首を掴んでいる姿が目に入りました。このとき、あまりの唐突さに驚いてしまい、私の左手首を掴んできたAの手が、左右どちらの手だったのか、正確には思い出せません。ただ、当時の状況を思い出すと、Aが、片足の膝を台座に乗せ、右半身を乗り出して私の近くにいた体勢だったという記憶があるので、その体勢で左手首を掴むのであれば、右手の方が自然だろうということから、弁護士と協力して作成した写真撮影報告書では、Aに、右手で私の左手首を掴まれたという前提で写真を撮影しました。

なお、私が振り返ったときに、一瞬だけ、Aと目が合いましたが、Aの特徴は、肌はアジア系で少し日焼けをしたような感じの色であり、髪は黒い短髪で、瞳は黒く、にやつくような不敵な笑みを浮かべた表情をしていました。Aと目が合った後、私は、すぐに少し下を向いて掴まれている私の左手首の方に注目し、その体勢でAとやり取りをしていたことから、Aが上半身にどのような衣服を身に着ていたか、全く記憶にありませんが、私がAの特徴として一番印象に残っているのは、Aは、濃い緑色の長ズボンを履いていたということです。

また、Aは、このとき、私に何やら話しかけてきましたが、少なくとも、日本語や英語ではなく、私にとっては理解できない言語だったので(因みに、私は、韓国語も中国語も分りません。)何を言いたかったのか、私にはその内容が分かりませんでした。

7 その後、Aは、私の左手首を掴んだまま、私が左手で取手を軽く握っていたバッグに手を伸ばしてきて、バッグのファスナーを開けようとしてきました。私は、Aが自分のバッグを開けようとする不審な行動に出てきたため、とっさに、バッグを自分の方に引き寄せてAから引き離そうとしました。しかし、Aの力は思いの外強く、Aからバッグを引き離すことが出来なかったので、まずは、掴まれている左手首から、Aの手を振り払いました。そうしている隙に、Aは、既にバッグのファスナーを開けていました。そして、Aは、大きくて黒い塊を、素早く私のバッグの中に入れました。私は、とても混乱していたので、このときにAが私のバッグに入れてきた黒い塊が、一体何であるのか、咄嗟には理解できませんでした。

以上のように、私は、これまでに体験したことのない突発的な出来事に遭遇し、すっかり気が動転していました。そして、この正体不明のAに、黒い塊を入れられたバッグごと、練習用の水着、試合用のキャップやゴーグル等を奪われてしまうのではないか、それだけではなく、Aから何か危害を加えられるのではないかという言いようのない不安に襲われ、その場から一刻も早く立ち去りたいと思いました。そこで、Aが何を入れたか確認するよりも、この場を離れるのが先決だと思い、私は、両手で自分のバッグを掴み、右手でファスナーを閉め、自分の荷物がこぼれ落ちない状態にした上で、バッグを引っ張り、Aからバッグを引き離しました。そうして、何とかバッグを取り戻した私は、すぐに台座から立ち上がってその場を去ろうと、メイン会場のダイビングプール近くにある選手村へのバス乗り場がある出入り口の方へ向かって歩いていきました。

先にも述べたとおり、私のバッグには水着1枚、キャップ7枚、ゴーグル3個、セームタオル1枚しか入っていないので、比較的軽かったのですが、Aから取り戻したバッグを左手に持ったときに、バッグにズシリとした重みを感じました。

私は、Aが入れてきた黒い塊が一体何なのか、よく分からなかったのですが、もしかしたら、何か大きなゴミでも入れたのかなと思いました。それで、私は、Aが、メイン会場の台座付近にはゴミ箱が見当たらないことからゴミ処理に困り、そのゴミを捨ててくれというようなことを私に言っていたのではないかと思ったのでした。そう思うと、私は、せっかく、午前中の練習を終えて、翌日のレースへの集中力を高めていたのに、突然、見知らぬ男性からゴミの様な物を押しつけられたということで、気分が削がれ、テンションが下がりました。

なお、私がAからバッグを取り戻して出入り口に向かった後は、Aがどのような行動を取ったのか等については、早くその場を離れたいという気持ちもあり、振り返ってAの様子を見るということをしていないので私には分かりません。

従って、現時点でAの正体については不明なままです。

8 突然の出来事でテンションが下がってしまったので、私は、一人で選手村に帰ろうとしていたのですが、出入り口付近で練習を終えた小関選手が、「一緒に帰りましょう。」と私に声を掛けてきてくれたので、午後12時30分頃、小関選手と一緒に、メイン会場に到着した選手村行きのバスに乗りました。

なお、私は、Aから入れられた黒い塊をゴミだと思っていましたし、少なくとも、私がAとやり取りした台座付近から私が移動してきた選手村行きのバス乗り場までの道中にはゴミ箱が見当たらなかったので、メイン会場では黒い塊を処理できず、結局、選手村に戻って何とかするしかないだろうと考えていたので、Aから離れた後、すぐにはバッグを開けず、中身を確認しませんでした。

また、Aとの出来事を、特に小関選手には話していませんが、それは、まだ、私自身、事態を把握しきれていなかったからです。

9 選手村行きのバスは、中央の通路を挟んで左右に2人がけの座席が十数列ほど並んでおり、私は、通路を挟んで進行方向に対して右側の座席の半分より少し後ろの位置の窓際の席に座り、小関選手は、私と同列の通路を挟んだ左側の窓側の席に座りました。そして、私の隣の通路側の席は空席だったので、私は、黒い塊のせいで重くなったバッグを抱えていて疲れたので、その空席にバッグを置きました。

私のバッグは、よく目を凝らして見ると、中身が若干透けるような薄い素材で出来ているので、一体どんなゴミを入れられたのだろうと思い、一応、バッグの外から、黒い塊が透けて見える部分をよく見たところ、黒い塊の表面に、銀色の丸い形が透けているのが確認出来ました。

今となれば、その銀色の丸い形が、デジタルカメラの本体とレンズの接合部分だったと理解できますが、当時の私には、銀色の丸というだけでは、それがどんなゴミなのか、見当もつきませんでした。

また、バスの中にはゴミ箱がありませんので、バッグを開けたところで、どうせ黒い塊を捨てることは出来ないと分かっていたので、敢えて、ファスナーを開けて中身を確認することまではしませんでした。

そして、小関選手や寺村選手、神村選手とは席が離れていたので、結局、私は、バスに乗車中、誰とも話をすることはありませんでした。なお、私は、この日の練習を終えてからメイン会場の台座のところへ移動し、Aと争い、Aからバッグを取り戻してからバスに乗るまでのルートを書いたアジア大会メイン会場の見取り図を作成しましたので、この陳述書に添付致します。

10 午後0時45分頃、バスが選手村へ到着したので、私は、降りた後、いつものように、寺村選手と神村選手と一緒に、選手村内の食堂へ行き、食事をとりました。選手村の食堂では、食事中、手荷物を一旦預けなければならないので、食堂の入り口で3人分の荷物を一緒に預け、席につきました。このとき、私は、翌日に50メートル平泳ぎ予選を控え、嫌なことは早く忘れて、予選に向けて気持ちが高まるような話がしたいと思っていたので、食事中の会話で、Aのことや黒い塊のことを話す事はなく、敢えて、翌日の試合の話など、テンションが上がる話をしながら、食事をしていました。

11 食事を終えた後、選手村内にある日本代表用ビルの2階にある休憩施設に行きました。そこでは、インターネットを使用したり、スープを飲んで休憩したりすることが出来るので、そこで、30分ほどの間、私は携帯電話を使用する等して過ごしました。

このとき、私は、せっかくの休憩時間に、黒い塊のことで気分を害したくなかったこと、この休憩施設にも外からの持ち込みのゴミを捨てるようなゴミ箱がなかったことから、ここでもバッグの中身を確認することなく、自分が座っている場所から少し離れたテレビの横に置いておきました。

12 休憩終了後、私は、置いておいた自分のバックを手に取り、仲間と一緒にエレベーターに乗り、自分の部屋に戻りました。部屋に戻ってから、私は、翌日の試合に向けて水着等を乾かすためにバックを開けたところ、そこで初めて、Aが入れた黒い塊がカメラであることを確認しました。なお、後日、カメラの形状や重さを詳しく調べてみたところ、縦約16センチ、横約16.5センチ、幅約8センチで、重さは約1.3キロありました。

私は、普段、記者の方が撮影に使っている大きなカメラを見たことがありますが、その大きなカメラには、望遠鏡のような長いレンズが付いているはずなのに、このカメラには長い部分が無かったことから、折れる等して壊れてしまったのではないかと思い、結局、Aが壊れたカメラを捨てられなくて、困って、私にゴミ処理を押し付けてきたのだと思ってしまいました。私は、デジタル機器等についてほとんど知識がなく、特別の興味もなかったので、いわゆる一眼レフカメラのレンズが取り外し可能なものであり、カメラ本体だけにできるということは、今回の事件を通じて、初めて知りました。そして私は、Aがバックに入れてきたカメラは、壊れたカメラだと思ってしまったのです。

なお、選手が泊まる各部屋には、備え付けのゴミ箱はなく、選手が競技を終えて帰国するときに部屋を退出する際、不要なゴミを一か所にまとめておけば、管理者の方がそれをゴミとして処理してくれることになっています。

従って、私は、選手村を出るときに、このカメラをゴミとして置いていこうと考えていましたが、部屋が狭く、また、私の一人部屋ではなく、原田選手と相部屋だったため、スペースを勝手に使う訳にもいかないと考え、結局、奥の方にある私のベッドの足元に、開いた状態で寝かせて置いてある自分のスーツケースの、荷物の出し入れをあまりしない方のスペースに、何かで包むなどせず、そのままの状態でカメラを置いておきました。

もし、私が、他人のカメラが欲しくて、これをメイン会場から盗んできたのだとすれば、相部屋で生活する原田選手にそのことが見つかれば、直ぐに誰かに報告されてしまうので、誰にも見つからないように、例えば、スーツケースの荷物と荷物の間に挟んだり、カメラ自体を何かで包んだりすることで、見えないようにして隠していたと思います。

なお、私が大会期間中、この件が起きるまで原田選手と共に過ごしていた部屋の見取り図を、私がカメラを置いてあった位置も含めて作成しましたので、この陳述書に添付致します。

13 午後7時頃、私は、2階の休憩施設に行き、そこに設置されているモニターで、何人かで一緒に仲間の出場したレースを見ていました。私は、午後9時過ぎ頃までレースを見ていましたが、翌日の試合に備えて早めに寝ようと思い、再び自分の部屋に戻り、午後10時頃に就寝しました。

このとき、原田選手は部屋に戻ってきていなかったので、結局、私は、この日、原田選手と部屋で会うことはありませんでした。また私は、2階の休憩施設でレースを見ているときはモニターに集中し、従って、カメラの話を話題にして誰かと話す機会がありませんでした。

14 翌9月26日、私は、午前7時に起床し、当日の試合の準備を始めました。原田選手は、この日、特にレースの予定が無く、まだ寝ていたので、敢えて声をかけずに、私は部屋を出ました。

私は、午前8時くらいにバスに乗ってメイン会場へと向かい、午前9時頃から始まった50メートル平泳ぎ予選に出場しました。午前9時20分くらいに予選レースが全て終了しましたが、私は、今ひとつ調子が上がらず、健闘むなしく、予選敗退となってしまいました。午前9時50分頃、試合後のクールダウンを済ませ、先日の練習のときも着替えをした日本代表用の控場所で、ストレッチ等をしたり、セントラルスポーツ株式会社所属の岡田コーチと話をしたりしていました。

15 そして、午後0時頃、日本代表チームで選手村へ帰りました。このとき、バスの中には私を含めて日本人選手が沢山いたので、その中の誰と一緒に帰ったのか、誰がどの席に座っていたのか、正直、覚えていません。選手村に着いた後、私は、予選の結果に対するショックもあり、自分の部屋に戻って、寝転んでいました。

16 午後6時45分頃、私は、再びバスに乗ってメイン会場へ行き、仲間の出場レースを見ながら、応援をしていました。

この日に行われた決勝レースが間もなく終わろうとしたとき、JOCの柳谷さんという方が、私を呼びに来ました。私は、初めてお会いした柳谷さんから、特に説明も受けることなく、ただ、「付いてきて欲しい。」と言われたので、用件は分かりませんでしたがとりあえず付いていくと、メイン会場外の選手村行きのバス乗り場に誘導されました。そこには、銀色のワンボックスカーが一台停まっており、その車の付近には、私服の韓国人男性3、4名と、アジア大会のボランティア参加者用のジャージを着た韓国人男性1名が立っていました。どうしてこんなところに連れてこられたのか、私の目の前にいる人達は一体何者なのか等、私の中で色々な疑問が頭を飛び交い、訳が分かりませんでした。

私は、柳谷さんからワンボックスカーに乗るよう指示を受けたので、3列シート構造の車の2列目の運転席側(左ハンドルだったので、左側)から、おそらく、柳谷さん、私、ジャージの男性という順で乗り込みました(私と柳谷さんの位置が逆だったかもしれません。)。そして、私服の男性らは、左ハンドルのワンボックスカーの運転席と隣の助手席に一人ずつ、そして、3列目に残りの人がそれぞれ乗り込みました。私は、一体、何のためにワンボックスカーに乗り込んだのか、これからどこに行くのか、本当に何も分からないままでしたが、ただ、黙って指示に従うしかありませんでした。

車に乗り込むと、2列目に座ったジャージの男性が、たどたどしい日本語で、私に対して、「カメラを持っていますか。」と聞いてきました。私は、「カメラを持っているか。」というジャージの男性の言葉を聞いて、カメラと言われれば、先日、Aからバックに入れられた壊れたカメラのことしか思い当たるところはなく、そのカメラはその時点で自分の部屋のスーツケースに置いてあったので、「持っている。」という意味で、「はい。」と答えました。すると、ジャージの男性は、私に対して、「今回は、事を大きくするつもりはない、素直に認めれば、他のみんなと同じ飛行機に乗れるから。」ということを言ってきました。私は、何を認めればいいのか、他のみんなと同じ飛行機に乗れない事情でもあるのか、疑問に思いました。

その後、ジャージの男性が、私か柳谷さんに対して、「今からカメラを取りに行くので、選手村へ行きます。」と言うと、ワンボックスカーで、そのまま選手村へと移動しました。私は、この時点ではまだ、何故、これだけ大人数で、わざわざ壊れたカメラを選手村に取りに行くのか理由が分からず、事態を全く把握出来ませんでした。





17 ワンボックスカーが選手村の出入口に到着すると、運転席と助手席の男性が車を降りてどこかに行き、残りの者は車内で待機していました。私は、ジャージの男性や私服の男性らが何者か全く分からなかったので、とにかくこの状況を把握したいと思い、ジャージの男性に、「この人達は一体誰ですか。」と聞いてみました。すると、ジャージの男性が、「この人達は警察官です。」と答えました。

私は、こんなところに警察官がいるなどとても信じられませんでしたし、ジャージの男性の日本語は発音が独特で少し聞きづらいこともあったので、日本語でいう「警察官」という言葉を、この男性が何か別のものと勘違いしているのかなというくらいに思っていました。

しばらくして、2名の男性が戻ってくると、車ごとその場から移動し、私たち選手が普段使わない別のルートから選手村内に入り、私服の男性2、3名、柳谷さん、そして私というメンバーで、私の部屋に入りました。私の部屋で、男性らは、紫色のバッグやカメラが置いてある状態のスーツケースの写真を撮り始めました。そして、私は、一人の男性から、ジェスチャーで、カメラを指差すよう指示を受けたので、そのとおりにすると、男性は、その様子を撮影していました。私は、この行動から、日本で見ていたテレビドラマ等で、犯罪の疑いを掛けられている人物等の登場人物が、警察から私と同じように何かを指差すよう指示を受け、その様子を撮影されるという場面があったことを思い出し、もしかしたら、この男性らは本当に警察官で、私自身、何らかの犯人と疑われているのではないかと思いはじめました。そうであれば、先程から私が話していたジャージの男性は、単なるボランティアではなくて、通訳の人なのではないかとも思いました。そこで、特に男性(これからは、「警察官」といいます。)がカメラに関心を示していて、私にもカメラを指差すよう指示してきたことからすれば、私は、警察官から、私がこのカメラを盗んだ犯人であると疑われているのではないかと不安がよぎりました。それでも、Aが私のバッグに入れてきたこのカメラは、壊れて使えないものですし、私自身が盗んだのではないから、自分が窃盗犯人と疑われているはずがないと思いました。ところが、写真撮影が終わって部屋を出る際に、警察官は、カメラの原物を持っていき、更に、私に対してパスポートを持つよう指示をしてきました。私は、警察官のこの指示から、ようやく自分が疑われていることに気付き、そして、選手村の入口に戻ってきた際に、ジャージの男性(これからは、「通訳」といいます。)から、「今から警察署に行きます。」と言われた時点で、私の中で、警察官は、私を窃盗犯扱いしているのだと思いました。

18 本来ならば、この時点で私が、Aとのやり取りを含めた真実を全て話して、警察官に対して、今回の件で私が犯人だというのは大きな誤解であることを説明すべきでした。

しかし、私は、この状況になるまで、カメラ泥棒扱いされることなど全く想像もしておらず、慣れない外国の警察官に対してどのような順序でどのように説明すればいいのかその場で直ぐに整理できなかったこと、説明するとしても通訳を介さなければならず、その通訳自身が日本語に不慣れであること(なお、通訳は、私や柳谷さんに話をするとき、スマートフォンで日本語を調べることもありました。)など、様々な要因が重なり、その場で説明する事は出来ませんでした。

19 警察署に到着すると、私は、ワンボックスカーから降ろされ、柳谷さん、通訳と一緒に、署内の一重に案内されました。その室内には、私達以外にも、先程から同行している3、4名の警察官がいました。そして、おそらく日本でいう取調べのようなものが始まり、警察官が私に対して、「素直に応じれば、刑が軽くなって、大ごとにはならないから。」、「応じなければ、日本に帰れず、韓国に残らなければならない。」等と言ってきました

その説明を聞いて、私は、もし私がAのことを話して窃盗の事実を争うのであれば、韓国の警察に拘束され、日本に帰れなくなるのではないかと不安になりました。そして、自らの潔白を訴えたいという気持ちよりも、どれくらい韓国に拘束されるか見通しも分からないまま日本に帰れなくなってしまうことへの不安と、私がAとのことを話して事態が大きくなることで、かえって、水連、JOC、デサント等関係者の皆様に迷惑を掛けてしまうのではないかという不安が、真っ先に頭をよぎりました。そのような状況で、警察官が通訳を介して、「事実を認めれば事を大きくしない。日本にみんなと一緒に帰れる。」と言ってきたので、その言葉を信じ、たとえ全く身に覚えがないことであっても、私一人が我慢し、真実を飲みこんで素直に従っておけば、事態は収束し、ひいては、それが水連、JOC、デサント等の関係者に対して、いちばん迷惑をかけずに、かつ、私自身も予定どおり日本に帰れる方法と思いました。以上のような経緯で、私は、警察官の言うままに、「はい。はい。」と答えて、今回、私が朴記者のカメラを盗んだという事実関係を、認めてしまったのです。

なお、警察署では、「何故、カメラを盗んだのか。」という動機についても追及されましたが、私は冷静でいられなかったので、どのように答えたのか覚えていません。私が覚えているやり取りは、「(カメラを)売る気はあったのか。」という警察官の質問に対して、「ありませんでした。」と答えたこと位で、そのほかにも、警察官から私の住所など、色々なことを畳みかけるように聞かれましたが、どのようなことを、どのような順番で聞かれたのか等、取調べの詳細は、動揺していたので記憶にありません。

20 また、取調べの過程で、警察官から、平成26年9月25日における会場内での私の動きを聞かれたので、私は、日本代表の控場所からメイン会場に行き、練習後、一旦、控場所に戻り着替えた後、再びメイン会場に来て台座に座り、その後、ダイビングプールの近くにある出入り口から出て選手村行きのバスに乗ったことを説明しました。

この動きを説明するときには、警察官に事実関係を争ったら帰国できなくなると言われたので、真実を述べることに対する怖さがあり、Aとのことは話しませんでした。

すると、警察官は、私に、警察官が所持していたスマートフォンの中に保存されている動画を見せてきました。

動画は、いくつかありましたが、(1)サブプールからメインプールへ移動する人の姿、(2)メインプールのプールサイドにある台座に座っており、その後、台座から別の場所へ移動した人の姿、(3)ダイビングプール横を通って出口に出るまでの通路を歩いている人の姿、(4)建物の外を歩く人の姿が、それぞれ映っていました。このうち、(1)、(3)、(4)の動画は、映像がくっきりとしていて見やすかったので、映っている人物が私であり、行動の一部始終をはっきりと認識できましたしかし、(2)の動画だけは、映像もぼんやりとして他の動画より明らかに画像が粗く、乱れていて、また、映っている人物が私であるかどうかも、右半身しか映っていないのでよく分かりませんでした。そして、何よりも肝心な場面である私がカメラを盗んでいる状況等は一瞬たりとも映っていませんでした。

私は、この動画からだけでは、単に、私が、(1)〜(4)のとおりの経路で移動したことが分かるだけで、私がカメラを盗んだ決定的証拠になるはずがないと思いましたが、先程から述べているとおり、私は、取調べの最初から、警察官に逆らったら拘束されて帰国できなくなるし、とにかく事を荒立てないようにして関係者に迷惑をかけないようにしなければと思っていたので、動画に対しても特に何も言いませんでした。

21 取調べは、目付けが変わった同月27日になっても続き、同日午前1時頃、カメラの持ち主である朴記者が警察署に来ました。

朴記者が来ると、柳谷さんが朴記者に頭を下げて謝罪したので、私も、3名の警察官が立ち会う中、柳谷さんに合わせて、朴記者に頭を下げ、「すいませんでした。」と謝罪しました。私は、内心では、何も悪いことをしていないので謝罪する必要はないと思いましたが、事を荒立てると韓国から出国できないかもしれないという思いから、とにかく場を収めようと頭を下げました。

その後、柳谷さん、朴記者、通訳の3名は、別室に移動し、私は、検察の処分を待つため、警察署内で待機を命じられていました。待機中、私は、私の部屋と柳谷さん達の部屋を往復している通訳と、少し雑談をしましたが、そのとき、通訳が首から下げているプレートを見ました。アジア大会では、ボランティア参加者は全員首からプレートを下げていて、そのプレートには、その人物に通用する言語が書かれていました。そして、通訳のプレートには、「English」とは書かれていたものの、「Japanese」とは書いてありませんでした。従って、この通訳は、一応日本語での会話は出来るけれども、プレートに明記できるほど得意ではないということを、そのときに確認し、私は、私にとっては、犯罪者扱いされるという大きな出来事であるにもかかわらず、日本語を担当する通訳ではなく、日本語が不得意な通訳を介してしか話が出来ていなかったのかと、残念に思いました。その後もしばらく待機していましたが、結局、私に対する出国停止命令は解かれないまま、午前3時頃、私は、警察の車に乗せられて選手村に帰されました。

22 私は、選手村に戻って、警察署では言いなりになって罪を認めてしまいましたが、やはり、水連の上野競泳委員長には真実を伝えようと思い、JOCの方に上野委員長を呼んで下さいと伝えましたが、上野委員長は不在だと言われました。

そして、そのJOCの方に、とりあえず本部に来るようにと言われたので、私はそこで真実を話そうと思いました。

私が本部に着いたときには、もうすでに私を日本選手団から追放するという話になっており、すぐにでも選手村から出て行くように言われ、私の荷物一式を渡されたので、私は、迎えにきたデサントの上司である錦織さんに連れられ、一旦、選手村内の日本代表ビルを出ました。しかし、JOCの柳谷さんから、そのとき一緒にいた水連の村松さんに電話が入り、警察署は、私の居場所がはっきりしている事を条件に私を釈放したようなので、むしろ、私を日本代表ビル内に留めるようにと指示があったらしく、私は一旦、日本代表ビルに戻ることになりました。

23 私は、ビルに戻ったと頃でようやく一息つくことが出来ましたが、僅か半日程度の間に、事態が急展開していったため、頭の整理ができず、パニック状態で何も考えられないようになり、このときは、部屋からも一歩も出ませんでした。私は、この時点で既に日本選手団の一員ではないので、原田選手との相部屋ではなく、別の部屋におり、その部屋は、水連の泉専務理事と平井監督が監視することになっていました。なお、朝、私が起床したときには、平井監督は既に部屋におらず、日本選手団と帰国していました。

24 何も考えられないまま一日が過ぎ、9月29日になっても、私は、午前中は何もせず部屋からも出ませんでした。その日の昼頃、デサントのチーム監督でもあり上司でもある春木さんと面談し、午後からカメラの持ち主に改めて謝罪をしに行くと言われ、午後から私、春木さん、錦織さん、大使館の職員というメンバーで、謝罪にいきました。

ソウル市内で、私は、再度、カメラの持ち主である朴記者に会いました。同席した大使館の方と朴記者が何やらやり取りをしながら、被害者の方と交わす合意書面を作成しており、私は、韓国語で書かれた書面を手渡され、大使館の方から、指定の箇所に栂印を押すよう指示されたので、栂印をしました。合意書の作成後は、また仁川に戻り警察署に届けに行きました。

なお、その書面が朴記者との合意書であることは大使館の方から説明を受けていたが、何が書かれていたかについては、あまり覚えておらず、帰国後、改めて日本語に仮訳した文書を見てようやく内容を把握することができました。

25 私は、Aからカメラを入れられた際、ゴミだと思い込み、中身を確認しないまま、それを自分の部屋に持ち帰ってきたことは事実であり、その事で、多くの方にご迷惑をお掛けしたことについては、申し訳なく思っていました。

しかし、警察官から、素直に応じて認めれば、事を大きくせず、選手団と一緒に帰国出来ると言われ、それを信じたからこそ、警察官がいうとおりに従ったにもかかわらず、事実を認めたのに、結局、私は一人韓国に取り残され、約束どおり帰国出来なかったことから、私の中で、やはり真実を誰かに話したいという思いがこみ上げてきました。そこで、私は、いつ帰国できるのか分からない状況なのであれば、思い切って警察官に真実を打ち明けようと思いました。しかし、残念なことに、その日、私の事情聴取を担当した警察官が不在であったため、結局、真実を言い出す機会がなく、合意書を預け、そのまま、選手村に戻りました。

26 29日の夕方、以前に私がアメリカで練習をしていたときに指導して下さっていた幸野コーチからスマートフォンアプリのラインを使った通話機能で電話があり、「お前本当はやってないだろ。カメラのレンズの外し方なんかわかるのか。」と私が潔白であると信じるような言葉をかけて下さいました。

幸野コーチとは、以前から、水泳の話題から何気ない日常会話まで、ラインでメッセージの交換や通話をしており、私が取調べを受けた日以降、私は、幸野コーチに、窃盗の疑いをかけられたことについては伝えていました。そして、幸野コーチからは、前日の28日にも、電話で、「お前はそんなことをするような人間じゃない。本当は、誰かを庇っているんじゃないか。」などと言われました。私は、幸野コーチであれば、私の言い分を聞いて信じてもらえると思い、この日の午後5時頃、私は、幸野コーチに、初めて事のいきさつを全て話しました。

すると、幸野コーチから、すぐに私が語った真実をデサントのチーム監督である春木さんに相談するように言われたので、私は、水連の泉さんを通じて春木さんに電話をしてもらい、午後7時40分頃、選手村内で、駆けつけてくれた春木さん、錦織さん、そして泉さんに今までのいきさつを全て話しました。話の途中で、私の話が窃盗事件とはかけ離れたものだったので、これは大ごとだということで、泉さんは、私と一緒に警察署まで同行した柳谷さんを呼び出し、柳谷さんも交えて、事実関係やこれまでの経緯について確認をしました。その後、重大な事柄だということで、選手村本部にも行き、水連の鈴木会長や青木さんにも、全てを話しました。そこで、韓国の弁護士にも相談した方が良いという事で、大使館から弁護士のリストを送ってもらいました。

27 翌30日午後2時30分頃、私は選手村を出て、春木さん、錦織さん、日本から来たデサントの広報の方2名と一緒に、日本大使館の方から頂いたリストから韓国の国際弁護士に連絡をし、その弁護士の所属事務所に向かい、弁護士に対して、先程私が話した真実を全て伝えました。その話が終わってからは、デサントの方が宿泊しているホテルへと戻りました。

28 翌10月1日、私は日本に帰国することになり、韓国の金浦空港から飛行機に乗り、午後10時頃に羽田空港へ到着しました。

私は、金浦空港でも羽田空港でも、マスコミを通じて真実を述べたいと春木さんや錦織さんに訴えていましたが、二人から、まだ、私が体験した真実をどのように話すべきか、整理しきれていないことから、今は言うべきではなく時期を見て後日改めて会見を開いた方が良いとのアドバイスを受けました。

私は、そのアドバイスに納得し、空港では取りあえず謝罪をするだけにして、釈明することはしませんでした。

そして、午後11時頃、私は、宿泊予定のホテルで両親と合流し、その日は、時間が遅かったため、そのまま休みました。

29 翌2日、午前8時頃から、ホテルの会議室で、春木さん、錦織さん、デサントの末永さん、私の両親と私の6人で、今までのいきさつや今後の行動について話し合いました。その中で、帰国後の空港での様子や、韓国にいたときの私の様子などから、今回の件で、私に相当の精神的負担がかかっていたので、一度、精神科で診断を受けることになりました。そして、午後4時頃、銀座にある泰明クリニックへ行き受診をしたところ、「急性ストレス反応」であると診断され、診断書が作成されました。診察が終わり、薬を処方してもらったところで、そのクリニックでデサントの方と別れ、私はようやく、自宅へ帰りました。

30 その後、私は、空港で世間の皆様に真実を説明できませんでしたが、日本に帰国してみると私に対し「日本の恥さらし」等とネットなどで批判があり、私は悔しくてたまりませんでした。私は、どうしてもこの屈辱を晴らしたいという思いや私が盗みなどやっていないという真実だけは、皆様に知っていて欲しいという思いが、日に日に強くなっていきました。そこで、記者会見を通じて、私が体験した真実を全て正直に述べようと決意し、10月11日に弁護士に相談し、こうして、記者会見を開くに至りました。

31 なお、一部では、9月26日に私が警察官に対して「カメラを見た瞬間、欲しくなった」と述べたり、同月30日に、私が選手村で水連の関係者に「カメラはそばにいた人にもらった。」と述べたりしていると報道されていますが、私がそのように言った事実はありません。

また、警察が、私がカメラを盗んだ時刻は、午前10時48分と発表したとの報道がされていますが、その時間帯は、私は松田選手とプールサイドで雑談しておいたので、カメラを盗めるはずがありません。

更には、私が朴記者のカメラのレンズをはずし、バックの中に入れたシーンや、そのバックを服の下に入れて隠し持って出た場面が監視カメラに映っているとの報道もありますが、私はその場面を一度も見せられていません。

そして、私は、デジタルカメラの知識に乏しく興味もありませんので、私にはカメラを盗む動機がありません。

メインプールのプールサイドという人目につきやすい場所で、しかも、会場内に監視カメラが複数あることを知っている私が、国を代表して出場しているアジア大会の開催中に、リスクを冒してまでカメラを盗むということなど、絶対にあり得ないのです。

32 以上のとおり、私は、韓国で、警察官の言われるままに、窃盗の罪を認めてしまいましたが、実際にはカメラを盗んでいませんし、カメラを盗む必要性などありません。私は、日本代表選手として誇りをもってアジア大会に出場しました。その私が、人目が多くまた、監視カメラも多数あるプール会場で人の物を盗むことなど絶対に有り得ません。

また、私が罰金100万ウォンを納付したとなっていますが、私は、事前に罰金の支払いについて水連から聞いておらず、罰金を納付したのは水連の方で、私は、帰国後、水連から罰金の立替払いの請求書が自宅に届いたので振込んだのです。そして、10月8日付で水連から、処分案の通知を受け取りましたが、私は、今回の件で、水連など関係者に迷惑をかけたことは事実なので、処分としてはこれを受け入れるという方針であえて不服申し立てを行いませんでした。

しかし、犯罪の成否は別であり、えん罪であることをきちんと主張したいと思っています。私は、水連の処分とは別に、私にかけられた「えん罪」だけは晴らしたいという気持ちです。

陳述書全文おわり
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