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学習院大学理学部物理学教室 田崎晴明氏へのコメント


2006年3月30日に松山で行われる物理学会でのシンポジウム、

「ニセ科学」とどう向き合っていくか? (「物理と社会」分科シンポジウム)

は、物理学会として今後「ニセ科学」批判を展開していこう、そのスタートのセミナーという位置づけだと理解しますが、田崎さんのコメントの中に誤解がありますので指摘します。


まず、田崎さんの趣旨説明を見ましょう。

田崎晴明氏のホームページから引用
物理学会でのシンポジウム開催のおしらせ
2006年3月に愛媛大学・松山大学で開催される第六十一回物理学会年次大会において、「ニセ科学」をテーマにしたシンポジウムをおこないます。
ここで「ニセ科学」とは、(科学と擬似科学の境界付近にある位置づけの微妙な営みのことではなく)科学的に誤り(ないしは無意味)であることが明白であるにもかかわらず表面上は科学を装っている営みを指します。「ニセ科学」は、物理学の研究にはほとんど何の影響もないでしょうが、広い意味での科学教育を考えたとき強い影響力をもつおそれがあると考えています。

このシンポジウムでは、いくつかの典型的な「ニセ科学」の事例を紹介していただきながら、私たち物理学者が「ニセ科学」とどう向き合っていけばよいのかを考えるきっかけを作りたいと思っています。多くの方のご参加を歓迎いたします。
田崎晴明(シンポジウム提案者)

テーマ
「ニセ科学」とどう向き合っていくか? (「物理と社会」分科シンポジウム)
日時
2006 年 3 月 30 日(学会最終日)、午前 9 時から
プログラム
はじめに --- 科学と「ニセ科学」をめぐる風景
田崎晴明 15分(質疑なし)
「ニセ科学」入門
菊池誠 30分(質疑10分)

「水商売ウォッチング」から見えたもの
天羽優子 30分(質疑10分)

休憩10分

「ニセ科学」の社会的要因
池内了 30分(質疑10分)

討論と全体への質疑応答 30分

提案趣旨(物理学会に提出したもの)
科学と非科学の境界がどこにあるかというのは、長い論争の対象となっている難問である。この問いには決定的な答はないのであるろうが、いずれにせよ、このシンポジウムのテーマはそのような「線引き問題」ではない。
科学の成果の最良の部分がほとんど疑う余地なく真実に近いのに対応し、一部の「科学」を装った言説はほとんど疑う余地なく何の根拠もないニセモノである。そういっ た「ニセ科学」は、多くの場合、営利活動と結びついており、科学的であると思わせ るような言説を用いることで、おそらくは意図的に、科学に無知な人々を欺こうとしているように見える。大手電機メーカーやマスコミを巻き込んだ「マイナスイオン」 なるものをめぐる騒動は記憶に新しい。また近年では、たとえば「水に優しい言葉を かけると美しい結晶ができる」とする、いわゆる「水からの伝言」が、小学校の道徳 教育の現場にまで使われるといった事態がおきており、「ニセ科学」の社会的影響力は相当に大きなものになっている。

このシンポジウムでは、そういった「ニセ科学」にターゲットをしぼり、いくつかの事例を紹介し、またわれわれ物理学者が「ニセ科学」といかに向き合うべきかを議論 する。

シンポジウムの目的は単なる「ニセ科学」叩きではない。たとえば、「マイナスイオ ン」はきちんとした定義すらされておらず、我々物理学者にとってはナンセンスな言 説にすぎない。しかし、「マイナスイオン」を信じた人々はあれを「科学」として受 け取ったからこそ信じたのである。その点で、単なるオカルトのたぐいとは本質的に 異なることを理解しなくてはならない。「ニセ科学」は単に科学の仮面をかぶっているだけでなく、一般社会に「科学」として認知されているのである。下世話に言うな ら、「科学」と「ニセ科学」とは同じ市場を奪い合う関係にある。そのような「ニセ 科学」といかに直面し、それらにいかに対応するかということは、科学を学び、研究 し、教育する者にとって、重要な意味をもっている。なぜ(理科系の教育を受けた人までを含む)多くの人々が「ニセ科学」に引き寄せられるかを考えることで、科学の教育、啓蒙、研究のあり方についても多くを学ぶことができるはずである。

「ニセ科学」を正しく批判できるのは科学者だけである。そのような批判を展開していくことは、科学者が社会に対して果たすべき重要な責任のひとつであろう。多くの 「ニセ科学」の主張が主として物理現象にかかわるものであることを鑑みるなら、中でも物理学者が果たすべき役割は大きいはずである。

「ニセ科学」の現状を知り、それらにどのように向かい合うべきかを考えることは、 広く物理学会会員全般にとってきわめて有益であると考え、このシンポジウムを提案 する。


ここから吉岡のコメント
田崎さんの誤解の第1は「マイナスイオン」という物理現象についてです。田崎さんは

たとえば、「マイナスイオ ン」はきちんとした定義すらされておらず、我々物理学者にとってはナンセンスな言説にすぎない。

とコメントしていますが、マイナスイオンとは昔から地球物理学の一分野である「大気イオン学」の研究において、世界共通に、大気中の negative ions と呼ばれてきたもので、それを、商業的、広告的才覚のある誰かが、日本の一般人向けに言い直した呼称だと思われます。

negativeという言葉は日本人にはなじみがなく、また、負イオンという言い方もあまり浸透しそうもないので、マイナスイオンという表現を思いついたのでしょう。

ということで、マイナスイオンという名前は、物理学関係者の間ではなじみがなくても、現象自体は物理的実体のあるものですから、「マイナスイオン=ニセ科学」ということにはなりません。



実際、大気イオン学の先達である小川俊雄高知大学名誉教授(京大地球物理)は、
「マイナスイオン 健康効果の原理」
という自著に
Negative ions, Theory of Health Effects
という英語訳をつけています。

negative ions を研究してきた人々にとっては、一般の人がそれをマイナスイオンと呼ぶなら、まぁ、それでもいいか、ということでしょう。













また、元岡山理科大学の弘海原(わだつみ)清教授は、長年にわたって大気中のイオンのバランスを観測して、プラスイオンとマイナスイオン(negative ions)のバランスの乱れを検知して、地震の予測をする試みを続けてきています。

写真は2005年10月19日
琵琶湖環境メッセにマイナスイオン水生成器を出展していた私たちのブースに、偶然立ち寄られた弘海原教授を囲んで、健康と環境の神戸クラブのメンバー


negative ions がどういう元素で構成されているか、などはまだ正確には分かっていないようですが、それらが測定可能な物理的実体として大気中に存在していることは確かなことであり、それを一般の人々がマイナスイオンと呼んだからといって、

「マイナスイオンは物理学者にとってナンセンスな言説にすぎない」

ということにはなりません。
むしろ、「マイナスオンとは何か」は、物理学徒にとって、今後研究し、解明すべき課題として眼前にあると言うべきでしょう。


誤解の第2は「水からの伝言」に関してで、田崎さんは以下のように言っています。

また近年では、たとえば「水に優しい言葉を かけると美しい結晶ができる」とする、いわゆる「水からの伝言」が、小学校の道徳 教育の現場にまで使われるといった事態がおきており、「ニセ科学」の社会的影響力 は相当に大きなものになっている。


これは、先般アエラの記事になった江本勝氏のことを言っているわけですが、その記事で明らかになったことは、江本氏は、自分がやっていることを「科学」だとは言っていないということです。

江本勝氏は、自分の金で小屋を建て、自分の金で冷凍機を買い、自分の労力で水を集めて凍らせ、自分のカメラでその結果を写真にとって、音楽をかけたりしながら、ある程度は自分の好みで結晶の写真を選び出して、こういうことが起きました、ああいうことも起きました、私はこう思います、ああ思います、と自分の思いを書きつづって、それを自分のリスクで本にして出版し、江本氏自身は一連のその行為を「科学」だと言ったことは一度もないのです。

科学ではない、とは「非・科学」ということです。
「非・科学」は「ニセ科学」ではありません。

江本氏は教義も作っていないし、教祖様になる気もなさそうなので、宗教とは言わずに、ポエムだファンタジーだと言っていますが、まあ、宗教に近いものでしょう。

水が結晶になること自体は自然現象ですから、科学的に説明されるべきものであり、「結晶の出現率」とか、「結晶成長と空気振動との関係」とかには何らかの科学的真理があるはずで、それをしも「ニセ科学」と呼ぶのは自称・科学者たちの無能でしかありません。しかし結晶という現象から紡ぎだされる江本氏の解釈やら感想やらは、ポエムでありファンタジーであり「非・科学」の世界のものです。

ですから、江本氏の一連の行動を「科学」の名で否定することはできませんし、彼は科学だと言っていないのですから、「ニセ科学」のレッテルを張ることも不当です。


田崎さんがこれから物理学会を動員してやろうとしていることは、そういう状況に対して、そんな行動はけしからん、それはニセ科学だ、物理学者として許せない、物理学会員を糾合して阻止してやる、ということです。
しかし冷静に考えれば(別に冷静にならなくてもですが)、言論が自由であるべきわが国において、江本氏の一連の行動を阻止することなど、誰にもできません。無理にそれをすれば、衆を頼んで弱い者いじめをするという構図になるでしょう。


結局、田崎さんが憂えているのは何かというと、江本氏の仕事があたかも科学だと思われて、小学校の授業で使われることが問題だ、ということです。
そしてそうであれば、それは江本氏の罪ではなく、それを教材に使う小学校教員の意識の問題であって、田崎さんが戦うべき相手は小学校教員だということになります。

しかし、そう考えて小学校の教員たちと戦おうとしたとき、もし、その教員たちから、「私たちは別にこれを真正の科学だと思っているわけではない。だからこそ、理科の時間ではなく道徳の時間にこれを取り上げているのだ」と正面から言われてしまえば、田崎さんは一介の物理学徒でしかありませんし、物理学会の全員が束になっても物理学しか知らないわけですから、もう武器の持ち合わせがありません。相手は「科学ではない」と言っているのですから、そういう人たちの意識を、同じく「科学ではない」というだけの論理で変えることなど出来ません。ですから、

小学校の先生 「私たち、科学だなんて思ってませんよ」
田崎氏 「あ、そうですか、じゃあ、なるべく科学じゃないと分かるように教えてやってくださいね」
小学校の先生 「はいはい、そうしますよ、ごくろうさんでしたね」


これでおしまいです。

要するに、「水からの伝言」を科学の問題と考えて、「ニセ科学」撲滅などと騒いでいるのは、自称・科学者たちだけですし、「水からの伝言」が小学校の道徳の時間に取り上げられても、それで世の中が悪くなる、科学教育が危うくなる、なんてことにはまずならないでしょう。子どもたちの成長や教育に心配なことは、もっと深刻なことがたくさんあり、逆にそうだからこそ、小学校の教員は「水からの伝言」に魅力を感じているのでしょう。あんまりのめり込むのもどうかな、とは思いますが、物理学会がやきもきしてお節介をやくような、そういう種類の事柄ではないということです。

田崎さんがやろうとしていうことは、ちょっと大げさですが、ガリレオの宗教裁判とちょうど逆のことで、ガリレオは別にキリスト教に異をとなえたわけではなく、地球が回っていると言っただけなのに、宗教家から「それはニセ宗教だ!反逆だ」と断罪されたわけです。いま田崎さんは、「自分は科学だと思っていない、ポエムだファンタジーだ」と言っている人々に対して、「それはニセ科学だ!反逆だ!俺は科学者だ!」と言って断罪しようとしているのです。


というわけですから、まあ、シンポジウムはやめておいた方がいいでしょう。少なくとも「マイナスイオン」と「水からの伝言」は、シンポジウムの対象から除外することをお勧めします。

ではそれらを除外してしまうと、シンポジウムには何が残るのか。
何も残りません。ですから結局、シンポジウムはムダです。
要するに、物理学会が血道を上げて糾弾すべき「ニセ科学」など、存在しないということです。

しかし、存在しないこともない。

「KFの科学」という宗教団体があります。そのリーダーははっきりと、自分たちは「科学」だと言っています。しかしそこで唱えられているのは「輪廻転生」です。日本物理学会は「輪廻転生」を認めますか?
もし認めないなら、この「KFの科学」こそ、物理学会から見て「ニセ科学」の最たるものですから、シンポジウムでは、「KFの科学」についてみんなで議論したらいいのではないでしょうか。きっと、日本物理学会の会員にも「KFの科学」の会員がたくさんいると思いますから、白熱した議論になるでしょう。「SK学会」も参戦してくるかも。

「日本物理学会は「輪廻転生」を認めないが、その問題にはタッチしない」
ということなら、「水からの伝言」についても、同様にすべきです。


最後に一言、パネリストの人選が悪すぎます。

天羽優子氏と菊地誠氏は、アエラで、「水の結晶成長が空気振動で変わるなどというのはニセ科学だ」と声高にコメントしています。シンポジウムでも同じことを言うのでしょうが、実験もせずにそんなことを断言するのは、科学の徒としてナンセンスであり無責任です。逆にそういう態度をこそ「ニセ科学」と言うべきでしょう。そんな人たちをパネリストに呼んで、物理学会員たちに何を学ばせようというのでしょうか。

それに、物理学会で何をやろうと物理学会の勝手、みんなで盛り上がろう、ということかも知れませんが、批判される側を呼ばない「欠席裁判」は社会的公正を欠くでしょう。

おわり
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