田坂広志著 「官邸から見た原発事故の真実」(光文社) を読む


2012.02.11



田坂氏は1951年生まれ、東大原子力工学科卒、同大学院修了 工学博士、核燃料サイクルの安全研究や核廃棄物の研究をしてきたそうです。
3月の事故のあと、官邸に呼ばれて参与となり、半年間、休むことなく働いたそうです。





田坂氏が述懐するように、福島事故が地獄にならなかったのは僥倖でした。
しかしその僥倖が得られた陰には、当事者の努力がありました。

私はこのサイトで一貫して、菅前総理の事故対応を支持して来ました。
その中枢に田坂氏のような冷静な専門家がいたということです。

氏が菅総理をサポートして、浜岡の停止や脱原発依存宣言、ストレステストの導入による玄海停止、保安院の解体、再生エネルギー法成立、などの諸施策が推進されたものと思われます。

田坂氏の官邸での業績を高く評価します。


ただし、その上で、本書を通読して思うのは、田坂氏にもまだ「原発推進者のこれまでの意識」が残っていて、そのために現在の事態が正しく認識できていないということです。

田坂氏は数十年後の脱原発を目指して、そのために何をしなければならないか、何を解決しなければならないかを盛んに述べていますが、実は状況はもっとドラスティックに変わってしまっています。国民はハッキリと、原発の即時廃止を求めています。

それは非現実的だ、しばらくは原発を併用する必要がある、そのために安全性を高めて・・・・・というのが田坂氏の「現実論」ですが、現実はとっくに田坂氏を追い抜いてしまっています。

多少の停電や、多少の値上げは甘受する、それでも原発を止めろ、というのが国民の気持ちです。そして止めてみたら、 いま原発は3基しか動いておらず、それで停電は起きていません。「原発をすぐに止めろと言うのは非現実的だ」という考えが、今では非現実的なのです。

停電が起きないのですから、原発を再稼働する理由がありません。
地元の県知事が再稼働を了解しませんから、原発はすべて「一時的に」止まります。
一時的に止まってOKなら、そのままずっと止まってもOKです。

これが、今の現実です。




各論について、数点コメントしておきます。


田坂氏は次のように述べています。



省みるべき経済優先の思想 P93

「原発を再稼働しないと電力の需給が逼迫する」「再稼働をしないと、エネルギー・コストが上がって経済にも影響が及ぶ」との懸念を語られる財界の方々の気持ちも、よく理解できるのです。
しかし、今回の原発事故の後、我々原発を推進してきた人間が、そして、この国の経済に責任を持つ人間が、一度、深く問うてみるべき大切な問いがあるのです。

質問 : 何でしょうか

その「経済優先の思想」こそが、今回の原発事故を引き起こしたのではないか?
その問いです。



私が拙著「さらば核発電」(まだ出てませんが)でまず第一に指摘しているのは、原発には経済性がまったくないことです。冷静で合理的な「経済優先」の思想からは、原発は選択肢にはなりません。

「経済優先で原発を選択した」というのは「原発推進派」の虚言、あるいは思いこみです。
田坂氏はまだそこから脱却できていません。

経済優先なら原発をやめる、というのが正しい経済判断です。
それを具現しているのが今の福島です。



確率論的安全評価の限界  P110

こうした「事故の発生確率」を考えた「期待リスク」の考え方は、保険会社のように「数多くの事故」を対象として統計的に対処する立場にとっては意味があるのですが、「実際の事故」を起こしてしまった人間にとっては、そして「たった一回の事故」で人生を棒に振る人間にとっては、あまり意味のない思想なのです。
簡単に「事故の被害は極めて甚大だが、発生確率は極めて低いから」という確率的論理や統計的論理で軽々に語ってはならないのです。なぜなら、「現実」にその事故が起こったときに、後解釈で、「確率は低かったのだが」と論じても意味がないからです。

これは考え方が「あべこべ」です。

原発も、せめて保険会社のような確率論的な考え方で「まじめ」にリスクを算定すべきなのです。そして、原発を運転する電力会社も、保険を引き受ける保険会社も、自己責任でリスクをカバーすべきなのです。

それが出来て初めて、まっとうな「経済行為」です。


確率的論理や統計的論理で軽々に語ってはならない」のではなく、原発推進者は「確率的論理や統計的論理」で正しく評価してから、ものを言うべきです。話があべこべです。

正しく評価したらどうなるかというと、保険会社が「自己責任」を前提にリスクを計算すれば、保険料は膨大になり、電力会社はそれを払えません(払えばバカ高い電気代になります)。

ですから現実は、原発には大事故に対する保険がありません。
事故が起きたら政府が補償することになっています。電力会社は免責です。

しかし、事故で被害を受けるのは国民で、政府の金は国民の金ですから、何の理屈にもなっていません。つまり、原発は初めから、自己責任で経済的に運転できるようなものではないのです。自由経済社会には存在できないシロモノなのです。

それを、日本政府が、経済を度外視してムリヤリやってきたのです。

なぜか? 

核武装願望と利権です。そこが原発問題の根本です。



処分場選定が必ず突き当たる社会心理 P145

「放射性廃棄物の処分場を受け入れてくれる地域が見つからない」という問題です。そしてこの問題は一つの言葉とともに、昔から世界全体の原子力施設が宿命的に背負っている問題でもあるのです。

質問 : 何でしょうか?

NIMBYです。
(吉岡注:ニンビイと発音します)
すなわち、これは、「not in my backyard」、「私の裏庭には捨てないでくれ」という社会心理を表現したものですが、放射性廃棄物の処分場を探すということは、究極、この問題にどう処するかという問題に他ならないのです。


これは、とんでもない言いがかりです。

放射性廃棄物処理場の建設に反対する地元民の意識を、NIMBYと切って捨てるのは、「原子力村」に特有の尊大で傲慢な考えです。

「私の裏庭には建てないでくれ」というのは、たとえば、ゴミ処理場のような、その当人が恩恵を受けている施設の設置を、自分のところはイヤだ、どっかヨソにしてくれということです。それはエゴと言えます。

しかし原発や放射性廃棄物の処分場は違います。

原発に関しては、日本中のどの立地も、発電された電気を受け取っていません。自分では使わないものの設置を受け入れているのです。なぜ受け入れるのか。それは「日本経済のため」という大義名分の元に、「絶対安全」というお墨付きがあり、反対者は機動隊で弾圧し、分断し、最後の決め手は金です。

「最後は金です。イヤだと言ったら2倍払う、それでもダメなら5倍払う」
これは原子力安全委員長 斑目春樹氏の言葉です。
これが原子力関係者がやってきたことです。

処分場の場合は、その「大義名分」さえ非常に分かりにくくなっています。その上、場所はほとんどどこでもよく、「この海岸線が立地に適しています」とか「都会に近いこの土地こそが」などという、ウソでもいいから言ってほしい誘い文句さえありません。不細工に「何とか引き受けてくれ」というだけですから、あとは金だけです。しかしそれでは普通の善良な住民は承知しません。

そして、金は要らない、故郷の自然と安全を守りたい、と言って反対する人を、田坂氏はNIMBYと呼んで、エゴイストと呼んで、はばかりません。そういう原子力村の精神が全然ダメなのですが、田坂氏は気が付きません。氏は、自分は正義だ、国のためだ、全体を考えているのだ、それに対して地元で反対する奴はエゴだ、と思っているのです。



終章  P219

まず、我々は、何よりも、今回の事故が
国民の信頼を決定的に裏切ってしまったことを強く自覚し、深く反省しなければならない。そして、その反省に立ったうえで、この原発事故の原因を徹底的に究明し、原子力行政と原子力産業の抜本的な改革を行わなければならない。そのうえで、我々は、国民の前に深く頭を垂れ、謙虚に最後の審判を仰ぐという姿勢を持たなければならない。
それをしなければ、我々は国民の信頼を完全に失い、
原子力の未来は決定的に失われると思っています。
そして、もし、これから、この日本という国において、原子力行政と原子力産業の徹底的な改革が行われないのであれば、たとえ私自身がこれまで原子力を推進してきた立場の人間であっても、私は、今後、我が国が原子力を進めていくことには、決して賛成できない。それが、私の、現在の考えであり、立場です。
それは、あの「首都圏3千万人の避難」という最悪の状況まで考えざるを得なかった現実を体験した人間の責任であり、今回の事故を引き起こした原子力の推進に携わってきた人間の責任と考えています。


田坂氏は、「次がある」と思っているようです。
しかし、次はありません。当たり前です。

原子力村の連中は「絶対に安全だ」と言ってしゃにむに原子力を推進して来ました。
金をばらまき、ウソをつき、警官隊を導入し、冤罪をでっちあげて推進してきました。
「原子力はコストが安い」というイロハのイが政府の大嘘なのですから、度し難い連中です。

しかし今、国民の信頼(=服従)は、氏の言うとおり、
決定的に裏切られたのです。


レッドカード!

田坂氏はまだ、謝って済むと思っているようですが、
まったく現実が認識できていません。

次はありません。国民の審判はすでに下っているのです。
国民の審判はイエローカードではなく、
レッドカードです。
一発退場です。当たり前です。

「絶対安全=大事故が起きたら一発退場」です。
それが「絶対安全」という「非現実的な言葉」の「現実的な意味」です。
二の矢はないのです。


日本の原子力(軽水炉発電)の未来は決定的に失われました。
おそらく、世界的にも原子力発電は終焉を迎えるでしょう。


原発をやめれば、田坂氏が本書の副題としている「これから始まる真の危機」もなくなります。
国民はそれを望んでいるのです。

田坂氏は160頁で書いています。

廃炉については、日本における原子力関連研究機関の総力を
結集できる体制を組む必要があります。


その通りです。それが原子力関係者が取り組むべき緊急必須の課題です。
54基すべてを廃炉にする、100年かかる膨大な仕事量です。



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