| ブログでさかんに情報を発信している、中部大学教授の武田邦彦氏が国会に参考人として出席し、意見陳述の後半(7分25秒から)で、自分の技術論として、原発は推進すべきだという持論を述べました。 下記に動画があります。 http://www.youtube.com/watch?v=kONQ-7uAaUo |

この意見陳述を見て、乳酸同盟の飯山老人は以下のように批判しています。 http://grnba.com/iiyama/#ws1031 |
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しかし…, まとめてみよう. 先頃,武田邦彦は国会に参考人として出席し,原発推進派ムキ出しの発言をした. 飛行機も最初はよく墜落した.しかし,技術が進歩した結果,飛行機は安全に飛べるようになった.
武田邦彦は,この期に及んでも,なおバリバリの原発推進派なのである.原子力発電所も,今後は墜落しない飛行機になります.そうなったら,原子力発電所も科学技術として採用すべきであります.私は,原子力発電は止めるべきである!という考え方はとりません. |
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飯山老人の批判は正鵠を得ており、「この期におよんで」というのも正しい修辞です。
これとまったく同じことを、数週間前に中曽根康弘氏がテレビで言っていました。 「文明は進歩しなければならない、飛行機だってそうだ・・・・」という理屈でした。 武田氏は、福島事故の後の最初の「たかじんのそこまで言って委員会」で、自分は原発を推進してきた戦犯だ、と詫びを入れていました。この参考人意見でもそのようなことを言っていました。また、自身のブログでも、「さらば」と書いて、いかにも脱原発に向かうかのように言っていました。しかし本心はそうではなかったということです。 |
| さらば http://takedanet.com/2011/04/post_f444.html |
| さらば! 「反原発派に取り込まれたのか!」 かつて原子力を共にやってきた仲間からがメールきた。 さらば! 原子力 原子力村に帰ることは、もう許されない。 それで良い。 この世に生を受け、戦争の惨禍は両親に降り注ぎ、私は戦争のない日本で人生を終わることができた。そして長じて技術者になったが、私の願いは空しく潰えた。 すまない。申し訳なかった。私の思慮が足りなかった。 だから、攻撃は私の罪で受け止める。痛手が身にしみれば染みるほど、子供の被ばくは減る。 遙かに長い未来と夢がある。彼らの夢を壊してはいけない。 でも、久々に楽な気持ちになった。小学校の校庭が3マイクロから0.6マイクロに減ったのだ。万歳!! 私は何をしてきたのだろう? 電気があればテレビを見ることも出来る。石油は日本にないから原子力・・・浅はかだった。子供を被ばくさせたら、そんなことは何の意味もない. 福島の大地が綺麗になり、笑顔の生活が戻る日まで私はへこたれないぞ。 この野郎!! (平成23年4月29日 午後10時 執筆) 武田邦彦 |
| まぁ、一読して、なんだかなぁ・・・という文章ですが、それにしても、 電気があればテレビを見ることも出来る。 石油は日本にないから原子力・・・浅はかだった。 子供を被ばくさせたら、そんなことは何の意味もない. と言った舌の根も乾かぬうちに、原発推進とは恐れ入ったことです。 私は武田氏の「安全な原子力推進派は異端?」という文章を読んで、分かってない人だなぁと思いましたが、その後、氏がいろいろと反省したような文を書くものですから、批判は控えて来ました。 しかし氏が原発推進を主張した以上は、氏を論破しておかねばなりません。 以下は武田氏の主張です。 「安全な原子力推進派」は異端? 私のスタンス http://takedanet.com/2011/03/post_9ba3.html |
| 「安全な原子力推進派」は異端? 私のスタンス 「どうしたら被ばく量を減らせるか」という重要なときに基本的な話をするのは何となく気がひけますが、メールのご質問も多くありますので、原子力の推進と反対についてわたくしの考えを述べます。 原子力には推進派と反対派がいて、推進派の中でも、何が何でも推進という人と安全な原子力を推進したいという人と2種類があります。反対派の方も、原子力は安全じゃないから反対と、人生観や思想的に絶対に反対という人たちがいます。 つまり、 1) 何が何でも推進 2) 安全な原子力なら推進 3) 原子力は不安全だから反対 4) 何が何でも反対 のグループがいるという訳です。 日本社会は少し過激になるところがあり、現在の原子力関係では、「何が何でも推進」と「何が何でも反対」の人達が力が強く、私が考える妥当な見方、つまり上の2と3は排斥されるのです。 わたくしは「安全な原子力なら推進」という考えです。つまり、これから原子力を推進していくためには、事故が起これば推進することができないというのがわたくしの考えです。 わたくしは原子力安全委員会専門部会で「地震で倒れるような原発をよくない」と主張したのですが、そのような考えは現在の原発の議論の中では「異端」なのです。 中略 わたくしにしてみれば、「安全な原発推進派」というのは「墜落しない飛行機は賛成」というのと同じですから、当たり前のように感じますが、それが異端になるという日本の状態を変えなければならないと思っています。 (平成23年3月25日 午後10時 執筆) |
| まず、武田氏は原発の是非をその安全性だけから論じています。 それが大間違いです。 原発の是非はまず、それがペイするのかどうかから議論されなければなりません。安全かどうかよりも先に、それが資本主義社会において経済的に成立するのかどうかが議論されなければなりません。ペイするとなって初めて、では安全かどうかという話になるのです。日本は資本主義社会であり自由経済の国ですから、ペイしないものを作る理由はありません。ペイしないものの安全性など議論する必要はありません。耐震性? 知るか、そんなもん、でいいわけです。作らないんですから。 武田氏はここが全く分かっていません。 スライドショウで紹介しているように、原発はまったくペイしていません。 経産省は発電コストとしてウソのデータを国民に提示しています。 ウソのデータを出す理由は、ホントのことを言うと原発が作れないからです。 ペイしていないのですから、安全性など議論する必要はないのですが、仮にペイしているとすれば、第2の論点として安全性を検討することになります。 そのとき、武田氏は問題設定を巧妙にごまかします。氏は次のようにグループ分けします。 1) 何が何でも推進 2) 安全な原子力なら推進 3) 原子力は不安全だから反対 4) 何が何でも反対 そして、自分は2)のグループだと言います。 しかし、なぜ自分のグループだけ仮定法になっているのでしょうか。 これは巧妙というより、氏の脳がこのように働く性向をもっているためだと思われます。氏にあっては常に、あとでエクスキューズできるように、立場を変えられるように、「私のスタンス」が決められるのです。これは持って生まれた性格のようです。 そして、世の中の状況についても、氏は巧妙にごまかします。 日本社会は少し過激になるところがあり、現在の原子力関係では、 「何が何でも推進」と「何が何でも反対」の人達が力が強く、 私が考える妥当な見方、つまり上の2と3は排斥されるのです。 これは、まったくのウソです。 1)何が何でも推進、とは誰のことでしょうか。 経産省は1)ですか?電力会社は1)ですか? 1)は核武装主義者です。プルトニウムが出来て核兵器が作れれば、あとは野となれ山となれという人々で、安全性も廃棄物処理もどうでもいいという人たちです。実は電力さえどうでもいいのです。そういう人々は少数ですが存在し、実はその人々が日本で原発を開始しました。 しかし、経産省にも電力会社にも、今ではそこまでの推進派はいません。推進派とは「安全だから推進」ということです。経産省も電力会社もこれです。武田氏は「安全なら推進」と勝手に仮定法で話をしますが、仮定法なしの「安全だから推進」という 「本来の2)」の人々が原発を推進しているのです。 そして氏の考えは次のように続きます。 わたくしは「安全な原子力なら推進」という考えです。 つまり、これから原子力を推進していくためには、 事故が起これば推進することができないというのがわたくしの考えです。 どういうことか。 今までは「本来の2)」の推進派がみんなで安全だ、安全だ、と言っていた。事故が起きるまではそれが合理的な考えだった。だから自分は原発を推進してきた。 しかし、事故が起きたから安全ではなくなった。つまり今では原発は安全ではない、というのが合理的な考えになった。3)が合理的なのである。だから自分はもう推進しない。 このように自分は一貫して合理的である。「安全なら推進」という仮定法付きのスタンスだから、いつでも3)に変身できる。推進派から反対派に変わったのではなく、自分としては一貫して合理的なだけである。 さて、実は社会状況は、武田氏の言うような、1)と4)が、2)と3)を排除してきた、などということはまったくありません。これまでずっと、「本来の2)」が、3)と4)を排除してきただけです。 そして現実には、3)(and/or4)が正しかったという結論が出たわけです。 安全かどうか、ということには、まず第一は原子炉が壊れるかどうかというハードウェアのことですが、それだけではなく、政府や官僚組織や利権などの社会全体のあり方が含まれるのは当然です。そういうものをすべて考えたとき、原発はまったく安全ではないし、いったん事故が起きたら、日本では政府や自治体がほとんどお手上げになることも、初めから分かっていたことです。 だから3)と4)の人々は原発に反対してきたのです。 武田氏は今、カサにかかって、政府は無策だ、自治体は怠慢だ、生産者は不道徳だ、と自分を正義のポジションに置いて言いつのり、 1 ミリシーベルトを守れ、と言います。守れれば結構なことですが、政府にはそんなお金はありません。いくらでも金があって、あちこちに小学校を新設して教員にも宿舎を提供できるのなら、政府は今日にでもそうしたいでしょう。 しかし、そんなことはできないのです。そんな備えは全くないのです。 金もないし、文科省には人手もないのです。 うっかりやればモンスターペアレンツが押し掛けてくるでしょう。 政府の無策と言えば無策です。 ごまかしと言えばごまかしです。 しかし、何の備えもなしに、これまで原発を推進してきたのはいったい誰なのか。 武田氏が政府の無策を責めるなら、生産者の不道徳を責めるなら、氏は、これまで原発推進派として原発なんとか委員会で得てきた報酬を、全額国庫に返還してから言うべきです。 さて、おそらく武田氏は、小出氏や広瀬氏を 4)何が何でも反対、に分類するのでしょう。ホントに頭が固くてどうにもならんと思ってきたはずで、たぶん今でもそう思っているでしょう。 しかし実は、本当は4)が正しいのです。 スライドショウでも書いたように、核のエネルギーは地球生命が取り扱うべきものではないのです。神の領域か悪魔の領域に属するエネルギーです。正常に稼働している原発の周囲でさえ、がんが増え、糖尿病が増えているのです。 原発を飛行機と比較するのが武田氏の技術論ですが、まったく浅薄です。飛行機は地球生命の活動の中にありますが、原発は生命活動の枠外のものです。 人類の知恵がもっと進んで、核のエネルギーを十分に制御できるようになったら、あるいは取り扱えるのかも知れません。しかし今はまだ、幼稚な技術で制御できたつもりになっているだけです。核物理の理論的知識さえまだまだ不十分です。いったん暴走したら止めることができません。暴走する核反応に対して、ヘリコプターで水をかけるのが現代文明のレベルです。廃棄物の捨て場にも困っています。 小規模な実験研究をするのはよいとしても、地球のウラニウムをかき集めて大規模な商業発電などすべきではありません。 武田氏は、安全なら推進、と言います。むろん安全ではないわけですが、しかし、安全だからというだけでは、やる理由には全然なりません。スライドショウに書いたように、原発は、 1.ペイしてない 2.安全でない 3.必要がない 4.破たんしている 5.将来がない 6.温暖化する という、ないないずくしで、やる理由がまったくありません。 飯山老人は最後にこう言っています。 |
| しかし,国民の多くは「武田邦彦は国民の味方だ」と信じこんでいる. 「鰯(いわし)の頭も信心から」なので,勝手に信じていたらいいべ!(栃木弁)つの. |
| 私は、現実に、10年以内にすべての原発を止めて、その後順次廃炉にすることを具体的な目標に定めました。孫たちのためです。私もそのくらいは生きているでしょう。武田氏は今、その敵対者として登場してきました。安全性を高めて推進しようという聞こえの良い主張は、電力会社や経産省の考え方とまったく同じです。 「勝手に信じていたらいいべ!」ではなく、ゆるぎなく脱原発を実行する人々を支援し増やすために、武田氏の考え方を正面から批判しておきます。 |