数十年前に北大の中谷宇吉郎先生は、雪の結晶の研究をして、空気中の水蒸気が結晶になるとき、その結晶の形と、そのときの周囲の温度や湿度との関係に法則性があることを見つけた。その結果、降ってくる雪の結晶の形を見れば、上空の温度や湿度を推定できるようになった。
そのことを表現して中谷先生は「雪は天空からの手紙だ」というロマンチックな言葉を残している。
江本氏の観察は、中谷氏の研究とは違う。
中谷氏は空気中の「水蒸気」が結晶になる様子を研究したわけだが、江本氏が観察しているのは、上述のように、氷の粒が解けるとき、その表面あたりに結晶が現れるという現象である。これらの、明らかに異なる2つの事柄を同じものと勘違いして、水の結晶については中谷先生がすべて解決したかのように言い、江本氏の観察には何の価値もないと言う人がいるが、愚かしいことである。
江本氏は、水のサンプルによって結晶の形や出現率が異なるという観察結果を報告している。長年の観察の結果、「よい水ほどよい結晶になる」ということで、50個のサンプルのうち5個か6個に結晶が出現すると、「これはよい水ですね」という判定になるそうだ。
「よい水」とは何かは微妙だが、簡単に言うと、都会の水道水はまったく結晶が出現しないが、山の湧き水などは結晶が出現する確率が高いと言うことである。感覚としては納得できる話ではある。ただし、確率が高いと言っても、10%程度ということだ。

我々のマイナスイオン水も、江本氏の研究所で観察してもらった。ある都市の水道水は、江本氏の観察結果で、結晶の出現率はゼロだった。その水道水を、「マイナスイオン水生成器」に通して、江本氏の研究所に持ち込んで観察してもらった。
その結果、マイナスイオン水生成器を通す前はまったく結晶ができなかった水が、50サンプルを観察してそのうちの47個に右の写真のような見事な結晶が出現した。残りの3個でも、端が欠けて不完全ではあったが、結晶は出現した。
すなわち、結晶ができなかった普通の水道水が、ほぼ100%の確率で結晶が出現する水に変わったのである。
また、結晶の形についても、写真で分かるように細かい六角形が重層的に現れて、ふくらみのある形になっている。
江本氏によれば、水のサンプルによって「重層的である度合い」が違うとのことである。
美しいかどうかは主観だが、結晶構造の重なり具合などは、何らかの基準を決めて数値的に表現できる事柄であって、客観的データとなりうるものである。
結晶の形は別としても、結晶の出現率がゼロだった水が、結晶が100%出現する水に変わったという事実には、なんらかの物理的意味があるのではないか。
この観察結果を素直に解釈するならば、マイナスイオン水生成器を通る前と、通った後とで、水自体になんらかの変化が起こったと考えられる。水自体の変化とは、水分子そのものの変化であり、そのことから派生するクラスター構造などの変化である。そうだと断定できるわけではないが、まずはそれが第一の解釈であろう。
日本物理学会の田崎氏らは、今、「水は書いた文字に反応する」という江本氏の主張に反発するあまりか、あるいは江本氏が物理学者でないことで軽んじているためか、湿度や温度などの実験条件が怪しいなどと難癖をつけて、江本氏の観察結果をすべて「ニセ科学」と断じて、何の価値もないものとして切って捨てようとしている。
しかしそれは科学者として間違った行動である。
もちろん江本氏の観察結果が間違いである可能性はあるが、まずは素直に、水のサンプルによってその内部構造に、なんらかの未知の差があるのではないか、あるいは、磁場などを通ると水自体になんらかの未知の変化が起こるのではないか、と考えて、さらに観察、研究を進めるべきであろう。
その結果、江本氏の報告がおかしいということになれば、どこが間違っていたかを検証すればよいのではないか。
中谷先生のひそみにならえば、水の結晶の形や出現率は、水の中の様子、すなわち水分子の構造やクラスターの状態を知らせてくれる「手紙」である可能性がある。
その意味で、江本氏が自著に「水からの伝言」と名付けたのは、氏の意図は少し違うようだが、「言い得て妙」だとも言えよう。
私は、中谷先生がご存命であったら、むしろ江本氏の観察結果に興味を持たれて、さらに一歩進んだ研究をされただろうと思う。物理学会にそのような人材がいないことが残念である。