核発電がダメな第一の理由は、安全性ウンヌンの前に、経済的にペイしていないことです。つまり採算が合っていません。ですから核発電は、ふつうの資本主義、自由主義の経済の枠組みの中には存在できないはずのものなのです。
政府発表のエネルギー白書で、原発(核発電)の発電コストは1kwh当たり5〜6円で他の方法よりかなり安くなっています。
しかしこれがウソなのです。経産省がどうしてこんなウソをつくのでしょう。核発電の行政が根本からゆがんでいる証拠です。
これは2011年4月22日に行われた孫正義さんのプレゼンテーションで示されたグラフです。
電力会社が核発電の建設を申請する時に、経産省に提出した申請書の中に記載した発電コストの集計です。
1980年頃の申請に7円くらいというデータがありますが、あとは全部10円以上で、平均して15円くらいになっています。
つまり電力会社自身が、15円くらいだと言っているのです。それなのに経産省は、核発電の発電コストは5円から6円だとエネルギー白書に書いているのです。本当にどうしてそんなウソをつくのでしょう。正しく書くと上のグラフのようになります。もう他の方法に負けています。しかしそれだけではありません。核発電にはもっとコストがかかっているのです。
まず、通常の経済活動では万一のために保険に入ります。しかし核発電は事故が起きたときの保険に加入していません。いったん事故が起きると賠償金が莫大になるので、保険会社が引き受けられないのです。政府が国策で核発電を推し進めたとき、電力会社は事故が起きたらたいへんで、保険会社も引き受けないからといやがりました。そこで政府が、事故が起きたら政府が払う、保険に入らなくて良い、という法律を作ったのです。しかしそれはペテンです。核発電事故で損害を被るのは国民です。政府の金は国民の金です。国民が国民に補償しても何の意味もありません。
福島ではメリルリンチ日本証券の資産では48兆円くらいの賠償額になるということです。これまでの40年間の核発電で作った電力の総量が6兆kwhくらいですから、1kwh当たり8円の負担になります。
つぎに、核燃料の残渣の廃棄処理のコストがまだ計上できていません。どのくらいの費用がかかるか「分からない」というのが本当のところで、技術的に可能かどうかさえまだはっきりしていません。出来たとして7円/kwhくらいかかるという説もあります。
それらを合計すると核発電のコストは30円/kwhくらいになります。


するとこうなります。これでは火力や水力とまったく競争できていません。火力や水力を増やした方が経済的です。
このように核発電はまったく経済的にペイしていないのです。

核発電は何重にも防護があって絶対に安全だと関係者は言い続けてきました。しかし、それは彼らの勝手な「想定」にもとづいての話で、「想定」の外ではまったく安全でないことは、見る人が見れば歴然としていました。多くの人が警告を発していました。しかし経産省も保安院も安全委員会も東電も、そういう警告をすべて無視しました。今頃になって想定外だったと言っていますが、何の弁明にもなっていません。
これは3号炉の核爆発の様子です。まず、火を吹いて、それから黒い巨大な噴煙が立ち上りました。
1号炉の水素爆発と比べれば、3号炉の爆発の様子は明らかに違います。1号炉は建屋内にたまった水素が、酸素と化合して爆発したもので、核反応は無関係と考えられています。水素と酸素の化合という化学反応のレベルなのでエネルギーの放出もそれほど多くはなく、白い雲が横に這うように膨張しています。しかし3号炉では黒い煙が垂直に数百メートル急上昇しています(建屋高さが50メートル)。これは原爆のキノコ雲に似ています。原爆のキノコ雲は、核の内部から放出される強烈な核反応エネルギーによって周囲の空気が強烈に熱せられて火の玉となり、周辺の空気を吸い込みながら急上昇するために発生します。それと似た現象が3号炉で起きています。また周辺の可燃物が発火したために黒い雲となっています。大きな重量物が二つ、吹き上げられて落下してきています。

アメリカの原子力技術者で70基以上の原発を建設してきたグンダーセン氏の見解では、3号炉では、まず水蒸気爆発が起きて、その衝撃で原子炉建屋の上部にあるプールに並べてあった使用済み核燃料の一部が圧縮されて密度が高まり、臨界に達して連鎖反応が急激に起きたのだろうということです。3号炉では昨年10月からプルサーマル運転が始まっていますが、プルトニウムが多いことも連鎖反応が起きやすい原因になったのかも知れません。右の写真は爆発後の3号炉です。もうたいへんな恐ろしい状況ですね。
2011年4月7日に東京の杉並区のビルの屋上で、フロアーの上に白い粉が積もっていて、そこに検出器を置くとカカカカカカと強い連続音とともにメーターは6.39マイクロシーベルトを示しました。そのまま年間に換算すると56ミリシーベルトです。東日本では、放射線障害の前駆症状である下痢や鼻血が多発しているそうです。
日本の核発電には日本独自の危険性があります。
まず地震国であることで、欧米人は日本で地震に会うとビックリ仰天します。欧米から見れば日本中どこでも地震の巣窟です。
上の図は今年の3月から4月にかけての1ヶ月間の地震の発生の様子です。たった1ヶ月で日本列島が隠れるほどに地震が起きています。
そしてすでに、日本の核発電は大きな揺れ加速度には対応できないことが、あちこちで実例が出ています。福島第一原発も、津波でやられたと公式には発表されていますが、その後に出てくる情報では、地震の一撃で配管がやられて冷却水が降り注いだこと、津波が来るまでの30分の間にすでに1号基と3号基の緊急冷却装置が作動しなくなっていたこと、地震で送電鉄塔が倒れて外部電源を失っていたことなどが言われています。
次に日本は人口密集地です。ひとたび事故が起きたら人々が疎開するのに巨額の費用がかかります。スリーマイルやチェルノブイリは人口が希薄ですから半径200キロくらい疎開できましたが、日本ではそれはできません。また、もし福島で大規模な疎開を実行するとなると、それは新幹線や高速道路も通れないということですから、福島以北の経済が壊滅してしまいます。特に大津波からの復興が絶望的になります。地震直後の政府の対応に批判が多くありますが、どんな政府でも容易に対応できる状況ではありませんでした。
地震多発国で人口密集、産業密集の国に、たいした備えも心構えもなしに54基もの核発電設備を作ってきたことが間違っていたのです。
上の表は、左側が最近の地震の加速度(ガル)で、、右側が核発電設備の設計上のガル耐久値です。
自動車で追突されたりすると、急に突き動かされてガーンという衝撃がありますが、あれが加速度です。ちなみに地球が引っ張る加速度(重力加速度)は980ガルです。
日本の核発電設備が、この20年間に実際に起きた地震にまったく耐えられない設計であることが分かります。
菅前総理は7月、九州電力の玄海核発電の再稼働に際して、国際基準のストレステストを実施してそれにパスすること、という条件をつけました。このテストはコンピュータに数値を打ち込んでシミュレーションするテストだそうですが、玄海のガル耐久値は270でしかありませんから、受かるわけがありません。これで受かったら、何のテストだ?ということになります。
上の表は、左側が最近の地震での津波の高さで、、右側が核発電設備の設計における津波想定高さです。日本の核発電設備が、この20年間に実際に起きた津波で、すべて水没する設計であることが分かります。
玄海の津波想定高さは3.7mでしかありません。核発電設備が林立する若狭湾では、津波はまったく想定されていないと言っていいでしょう。野田総理は、定期点検の後に安全が確認された核発電設備は、住民の承諾を得て再稼働する、と言っていますが、こんな津波の想定では安全は確認されませんし、政府が安全が確認されたと言っても住民は納得しません。つまり核発電の再稼働はできません。
浜岡核発電の危険性は、作るときから言われていました。地震学者は、あそこだけは核発電設備を作ってはいけない、あそこに作るのは狂気の沙汰だ、と警告していました。福島で、地震によって核発電設備がもろくも崩壊した以上、浜岡で運転を続けるのは自殺行為です。

2011年5月6日、菅前総理は突然記者会見をして、浜岡の停止を要請したと発表しました。
そして驚いたことに、政府が中部電力に浜岡の停止を要請すると、静岡県知事もトヨタ、スズキ、ヤマハなどの東海地域の有力な企業も、こぞって政府の決断を英断と称え、中部電力も要請を受けて粛々と浜岡を停止しました。つまり核発電は止められる、ということです。

そして浜岡の核発電がすべて停止しても、この夏の間、電力不足は起きませんでした。

経団連の米倉会長は、唐突だ、オレは聞いてない、産業をどうする気だ、と怒っていましたが、経団連に相談していたら浜岡の停止などできなかったでしょう。産業をどうする気だ、と怒鳴り散らしても、トヨタやスズキが歓迎していますし、浜岡が止まっても電力不足にはならなかったのですから、米倉会長の発言が単なるコケ脅しであったことは明白です。それに、政府が決めることに、いちいち私企業の連合に過ぎない経団連にお伺いを立てなければならないなどというルールはありません。事前に相談されるのが当然だと思っている米倉会長の心得違い、傲慢ぶりが露呈しました。こういう人々が核発電の推進派です。

ところで、浜岡を停止してみたら、最新鋭の炉内に海水が400トンも入っていたことが分かりました。どこかに穴があいていて、それに気付かず運転していたわけです。大事故になりかねないところでした。これをもってしても日本中の核発電でずさんな管理と運転がなされていることが分かります。
人々は、核発電は危険でも、必要だから仕方がないと洗脳されてきました。しかしそれは事実ではありません。
核発電がなくても電力不足は起こりません。原発は必要がないのです。
この図は日本の発電能力で、黄色いところまで発電できます。実際に使っているのは青い部分で、水力は20%、核発電は63%、火力は50%で、残りは休止しています。休止しているのは故障しているためではなく、核発電を優先する政策によって、核発電以外は止められています。グラフから分かるように、稼働中の核発電が全部止まっても、火力や水力で余裕をもってカバーできます。また、日本には企業の自家発電が6000万kw、核発電の合計よりもたくさんあり、その4割近くが政府の規制のために遊休しています。政策や規制を変えることでこれらの遊休分も利用することができます。

電力需要にはピークがあります。一番のピークは夏場の日中です。しかし今年の夏、核発電の多くが停止している中で、日本中どこも停電になりませんでした。国民が節電に努力し、ガスタービンや自家発電などを緊急に活用することで夏場のピークを乗り切ることができたのです。

将来はどうか。
電力需要は増えません。人口が減っているからです。
2010年をピークに人口は減ってゆきますから、電力消費はこれからどんどん減少してゆきます。

また、各分野で省エネルギーが進みます。
上の図は電気事業連合会の電力需要予測ですが、こうはなりません。
自然にしていてもこんなに電力需要が増えることはないのですが、その上、福島の事故によって国民の節電意識が高まり、省エネ製品が広く使用されるようになります。また、福島の事故を見て子供を作ろうという人々が減ることが予想され、人口は予想以上に減る可能性があります。ですから電力需要は伸びず、赤い線のように減少してゆき、現在の設備能力の3分の1くらいで済むようになるでしょう。

アル・ゴア米国元副大統領の「不都合な真実」という映画で、CO2が地球温暖化の原因だといわれ、二酸化炭素の排出を減らすには化石燃料を燃やさない核発電がいいという説が、まことしやかに言われています。しかし二酸化炭素説は科学的に確定した話ではありません。因果関係は逆で、太陽などの活動によって地球が温暖化したことで、海中から二酸化炭素が放出されて増加したのだという説もあります。また、地球は寒冷化に向かっているという説もあります。
地球温暖化説や二酸化炭素説の真偽は別にして、実際は核発電は地球を加熱しています。

上のグラフは18世紀から21世紀にかけて、ボイラーやタービンなどの熱機関が効率を改善してきた様子です。故馬野周二さんという工学の権威が発明した評価法です。タテ軸は、利用されたエネルギーの量を利用されずに捨てられたエネルギーの量で割った値を、対数でプロットしています。たとえば、最新の火力発電は熱効率が50%近くあり、利用されたエネルギーと捨てられたエネルギーがほぼ等しいので、割った値は1になります。ヨコ軸は年です。そして、このようにグラフ化すると、熱機関の効率が過去300年間直線的に上昇してきたことが分かります。

ところが核発電はその上昇ラインから外れて、効率が悪く、人類のトレンドに乗っていません。せっかくの核エネルギーで、ただお湯を沸かしているだけでは、利用方法としてセンスがないのですが、その上、核燃料棒のジルコニウムの被膜が高温に耐えられないことから、核発電は300度C以下で運転されています。そのため、熱効率は33%しかなく、67%が捨てられています。利用したエネルギー(33%)と捨てたエネルギー(67%)の比率は0.5になります。一方、新鋭火力発電所は500度C以上の高温で運転されています。核発電は効率が悪いのです。
二酸化炭素説を認めたとしても、核発電は地球温暖化を抑止してはいません。効率が悪いからです。

核発電で100万kwを発電するためには、300万kw分の熱が必要で、200万kwが海に捨てられます。新鋭火力発電なら200万kwの熱で100万kwの発電ができ、捨てるエネルギーは100万kwと半分で済みます。また、核発電は消費地から遠いところに作られるので、送電ロスが大きく、6%くらいになりますから、都会で100万kwを得るためには発電所で106万kwを発電しなければなりません。しかも核発電は途中で止められず、電力需要が減る夜間でも夜通し運転し続けなければならず、夜通し排熱を出しています。また、海水温が上昇すると海水に溶けていた二酸化炭素が放出されますから、あまり二酸化炭素の削減にもなりません。
核発電を増設して、電力需要の大きな部分を原発でまかなうという日本政府の長年の政策目標は実現不能になっています。
まず、これは世界の核発電建設の歴史です。80年代までは急増してきましたが、スリーマイル島事故、チェルノブイリ事故でブレーキがかかり、そのまま急降下してきました。そして最近、二酸化炭素排出を減らすために原発を再度推進しようという動きがあった中で、今回の福島の事故です。核発電への期待は一気に冷えました。同時に、二酸化炭素が地球温暖化の主因だという説の怪しさも露呈されてきました。
このグラフを普通に見れば、世界的には、少なくとも先進国では核発電はもう終わっているということです。
これまで40年間で日本では核発電設備が上図の黄色い棒グラフのように建設されて来ました。その結果、合計の発電量は青い棒グラフのように毎年大きくなってきて、2010年現在は図のピークのところになっています。(このような直線的な伸びは、自由経済では考えにくい現象で、核発電が官僚主導の計画経済として推進されてきたことを物語っています)

核発電設備には寿命があります。世界的には30年と言われています。

なぜ寿命があるかというと、ふつうの火力発電設備は、部品を取り替えているうちに全部が新品になったりして寿命は無限です。ボイラーでもタービンでも半年も休止すれば交換できます。ですから、一度火力発電所が建設されたらずっと発電し続けることができます。しかし核発電の設備は、部品交換ができません。圧力容器や格納容器などの主要部品を交換しようとすると、何年も冷やして放射能が落ちてくるまで作業ができません。その間ずっと発電せずにそこに立っているわけですから、新しい場所に新設しなければならないのです。

30年と言われていた寿命を延ばして、日本では40年使うことにしてきました。
さらに福島では40年が過ぎても使っていて、地震の揺れで、津波が来る前に配管がズタズタになりました。

核発電設備の寿命は40年。政府や電力会社が安全を言うなら、今後はこれは厳守されねばなりません。

すると、今後の40年で、これまでの40年間に作られてきた核発電設備が次々に寿命を迎えます。これまで40年間に新設してきたのと同じペースで廃炉になりますから、今後新設がなければ、次の40年間で青い棒はどんどん下降して、2050年に日本の核発電はゼロになります。
もし2010年のピークを維持したいと思えば、今後40年間に廃炉になる分をそっくり新設しなければなりません。つまり、これまで40年間に作ってきたのと同じペースで核発電設備を新設し続けることで、ようやく現状を維持できるのです。ましてや政府の核発電政策は、さらに核発電を増やして総発電量の40%、50%にしようというものです。そのためにはこれまでの40年に倍する核発電を、どんどん新設し続けねばなりません。
このことは政治家や評論家を含めて多くの人々にとって盲点となっています。

何もしなければ現状が維持できると思っている人がほとんどですが、そうではなくて、何もしなければ核発電は消えてなくなります。

上のグラフはNHKテレビの報道ですが、核発電を増やすべきだという人は1%しかいません。「減らすべき47%」と「全廃18%」で65%の人が核発電を減らすことを望んでいます。しかし「現状維持27%」の中には、何もしなければ維持できると思っている人がいて、今までと同じように作り続けなければ現状維持はできない、ということを知らない人が多いと思われます。そういう人々も「減らす」に勘定すると、国民の80%以上の人が核発電を減らすべきだと考えていることになります。

このように、福島の惨状を見て国民の多くが核発電の縮小廃止を求めていますから、現状維持などできず、ましてや増設などできません。

すなわち、2030年に電力需要の40%以上を核発電でまかなおうという政策は実現不能です。逆にこのままでは早晩、核発電の比率は20%を切り10%に落ちてゆきます。そうなると、事故の危険をおかしてたったの10%では、いったい何のためにやっているのか、何の意味があるのか、ということになるでしょう。つまり、すでに政策は破綻しているということです。
グレーの棒グラフが世界の核発電の発電設備容量で、赤い棒グラフが世界の太陽光や風力での発電設備容量です。地球温暖化防止の切り札のように言われた割には、核発電はまったく増えていません。太陽光や風力は2000年頃までは横ばいでしたが、21世紀になって急加速し、2010年についに核発電の発電設備容量を追い越しました。これが世界のトレンドです。日本ではまったくと言っていいほど、やっていません。
特に洋上での風力発電はヨーロッパで有力視されていて、2010年以降、急速に拡大しようという意欲的な計画があります。
今から60年ほど前に核発電は、人類の夢のエネルギーとして登場しました。
しかしそれは結局は一時の夢でしかありませんでした。核発電にはまったく将来がありません。
核エネルギーが夢のエネルギーと思われたのは、燃料がほぼ無限だという話だったからです。核分裂するウラン235は、ウラン全体の1%しかなく、99%は核分裂しないウラン238です。ウラン235しか使えないならウラン資源はすぐに枯渇してしまいますが、増殖炉では炉の中でウラン238がプルトニウム239に変化し、プルトニウムは核燃料になるので核燃料が増殖してゆきます。それを再処理すれば核燃料はいくらでもリサイクルされて増加すると思われていました。
しかし増殖炉は技術的に難しく、世界中がすでに撤退してしまいました。日本だけが「もんじゅ」をやっていますが、去年再開したとたんに炉内に金属部品を落として抜けなくなってしまい、核反応炉の中は燃料がいっぱいで止めもできず、ただ冷やし続けるだけで電気もできないという、まったく危険でバカバカしい状況になり、担当課長が自殺したほどです。その金属部品はようやく回収されましたが、稼働の見込みはたっていません。
増殖炉の冷却剤は10年前に爆発したナトリウム(右の写真は1995年のナトリウム爆発事故の時の処理班の様子)ですから、いつまた爆発大火災になるかも知れません。今度爆発が起きれば、炉内にプルトニウム燃料がたくさん充填されていますから、大変なことになります。
「もんじゅ」が福島のようになると、プルトニウムが大量に入っていますから、上図の赤い部分が疎開対象になります。
こうなったら日本は終わりです。
夢のエネルギーであるためには、核燃料をリサイクルして使う必要があります。そのための施設が青森県六カ所村の再処理工場です。しかし工事が遅れ、金額がかさみ、再処理は技術的にも未完です。そして、もんじゅが成功しなければ核燃料サイクルはできませんから、再処理することに意味がなくなります。

残る意味は、使用済みの核燃料を廃棄するための処理工場ということですが、それもまた、はっきりとした方法が決まっていません。そのうち日本中が使用済み核燃料であふれかえります。いま福島でプールに入っているだけでも相当の量になります。それが各地の核発電設備でどんどんたまってゆきます。

野田政権は、核発電の新設はしない、寿命が来たものは廃炉にする、20年で核発電をなくす、という方針ですから、額面通りだとすれば「もんじゅ」も「再処理」も今や無用のものです。予算も削られ始めています。
54基の核発電の敷地内にたくさんの核廃棄物が山積みになっています。やがて、日本のあちこちで核廃棄物の山が出来るでしょう。
〜平成のバカな先祖の置きみやげ これより先は立ち入るべからず〜
そんな看板が立つ廃棄場が日本中にあふれます。これは子孫に対する犯罪です。
フィンランドでも核発電の新設で、核廃棄物をどうするかが問題になっています。開けるな、近寄るな、という警告の看板を立てるにしても、10万年後にこの地域に住む人々はフィンランド語が読めるだろうか、と真剣に議論されています。
この「10万年後の安全」という映画はいま全国で順番に上映されています。
まとめるとこのようになります。核発電は、「安くて、安全で、必要で、地球温暖化防止になり、政策は着々で、将来性がある」、ということで推進されてきましたが、ここまで述べてきたようにそのような話はすべて虚構でした。

これらは数値で比較できる「ダメな理由」ですが、ほかにも、健康被害、労働搾取、危険な労働、データの捏造、事故隠し、やらせ、地元民の分断支配、不正選挙、買収工作、権力による冤罪捏造、倫理の欠如など、数値化できない反社会的な要素が多々あり、核発電は日本中に、ありとあらゆる悪徳をばらまいて来たと言っても過言ではありません。
では、なんでまだ核発電をやっているのでしょう。本当に不思議ですね。
                             





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