スライドショウ  脱原発の道



この歌は、以前には原水禁運動でよく歌われていました。ここにある歌詞は3番と4番です。
1954年3月1日、南太平洋のビキニ環礁でアメリカが水爆実験を行い、立ち入り禁止海域の外にいた日本のマグロ漁船「第5福竜丸」が死の灰を浴びました。日本の焼津に帰港して乗組員は病院に収容され、やがて無線係だった久保山愛吉さんが原爆症で亡くなりました。日本中で原水爆反対運動がわき起こり、7千万名の署名が集まったといわれています。この歌はこのとき作られました。
みたび許すまじとは、ヒロシマ、ナガサキに続いて3度目は許さないということで、唯一の被爆国である日本から世界に発信され続けてきたメッセージです。作曲の故木下航二先生は東京の日比谷高校の社会科の教師で、昭和38年に私が日比谷高校に入学したときの学年担任でした。私は木下先生から直接この歌を教えていただきました。
原爆と原発は違うものですが、物理的な本質は同じです。ですからいま福島で、絶え間なき労働で築き上げた富と幸が奪われるという、まさに原爆と同じ事が起きています。また日本の原子力平和利用は、内心で核武装を目指す右派の人々によって、国際的な監視をあざむく「鎧の上の衣」として始められたという歴史があります。
私たちは福島から世界に大量の放射能をまき散らしてしまいました。
許すまじ、と訴えた3度目(チェルノブイリを含めると4度目)は、日本人自身によってなされてしまったのです。
こういう状況で、私たちは、毎年やって来る広島、長崎の平和集会で、世界に向けてどんなメッセージを出せるのでしょうか。
さて、原子力の話が一般の方に良く分からないのは、根本のところの説明が省略されているからです。物が燃えるという普通の現象と、原子力とはどう違うのか、それほど難しい話ではないのですが、誰もていねいに説明してくれません。
まず、燃えるとはどういうことかを説明します。上図で、左側は植物が生長していく様子です。
植物は大気中から二酸化炭素CO2を吸収し、土中から水H2Oを吸収して、太陽のエネルギーを利用して炭水化物(幹や葉や実)を作り、酸素をはき出します。これを光合成(炭酸同化作用)と言います。これが私たちが小中学校の理科で習ったことです。
しかし本質はちょっと違います。本当は太陽の光が主役なのです。「植物は二酸化炭素と水を利用して太陽の光を体内に閉じこめる」のです。つまり植物とは太陽の光のエネルギーが蓄えられたものなのです。
木がぼうぼうと燃えたとします(右の絵)。それは、植物の中にある炭水化物が大気中の酸素と化合(酸化=燃焼)して、二酸化炭素と水になり、蓄えてあった太陽の光を熱として放出するという現象です。放出されたエネルギーはやがて宇宙へと戻ってゆきます。
これが普通の「燃える」という現象です。

同じように、カブラ(炭水化物)は太陽の光が姿を変えたものです。そこにウサギがやってきて、カブラを掘り出して食べます。ウサギは酸素を吸って、食べたカブラと化合させることで、カブラに蓄えられていた太陽のエネルギーを取り出して、心臓を動かしたりピョンとはねたりし、二酸化炭素と水と熱を放出します。これも燃焼のひとつのかたちです。
このように炭素や酸素は、ある時はカブラになり、ある時はうさぎになり、ある時は空気になって、くっついたり離れたりするたびに太陽のエネルギー取り込んだり吐き出したりしてグルグルと回ります。地球の動植物の営みのほとんどは太陽の恵みによっています。
仏教の輪廻転生という考えは、精神(霊)が何度も生まれ変わるということですが、地球上における生命体は、原子のレベルで見れば実際にこのように変わることなく、お天道様のもとで何億年も輪廻転生を繰り返してきたのです。
炭素の原子は中心に原子核があり、周囲を電子が6個回っています(左)。原子核の中には陽子(オレンジ色)が6個と中性子(緑色)が6個あります。酸素原子は原子核に陽子が8個中性子が8個あり、周囲を8個の電子が回っています(右)。
その物質が何かは原子核の中の陽子の数(原子番号と言います)で決まります。陽子6個は炭素で、陽子8個は酸素です。陽子7個は窒素、陽子1個は水素です。陽子1個から100個以上まで、つまり原子番号1から100以上までいろいろな元素があります。
燃えても原子は変化しません。炭素原子と酸素原子と水素原子は、周囲の電子を媒介としてくっついたり離れたりしているだけで、原子そのものは変化しません。原子核もまったく変化しません。これが地球上でのふつうの営みです。木も草も鳥も獣も魚も虫も、このようにして生きています。

ところが原子力はまったく違います。原子力は原子核を割ります。原子核を割ると中から強くて大量のエネルギーが放出されます。そして原子核が割れた原子は違う原子になってしまうのです。これは地球上での生命や物質の輪廻とはまったく違う現象で、太陽や星の内部で起きている現象です。

原子核を割ると中から大量のエネルギーが出てくる、このことを人類は今から約100年前に知りました。レントゲン博士とかキュリー夫人とか、アインシュタイン博士などの大勢の物理学者の研究によって、そのことが解明されたのです。
しかし酸素や炭素などの小さな原子はなかなか割れません。

原子力ではウラン(ウラニウムとも言います)という大きな原子を利用します。ウランの原子核には陽子が92個(原子番号92)あり、中性子が143個あって、陽子と中性子の合計は235個です。これをウラン235 と言います。ウラン235はある時間経つと自然に割れてエネルギーを放射する性質(放射性)を持っています。外から中性子を入れるとプルプルとふるえてすぐに割れます。原子核が割れることを核分裂と言います。
ウランが割れると、割れた破片は原子番号が半分くらいの別の原子になります。たとえばセシウムとかヨウ素とかコバルトとかストロンチウムになります。新聞やテレビでセシウムが出たとかヨウ素が検出されたと言っているのはこのことです。割れ方は決まっていませんからいろいろな物質ができて、新しくできた物質もたいていはさらに割れる性質(放射性)を持っています。
割れるときに大きなエネルギーが放射線の形で出ます。ウランはまた、割れるときに中性子を2つほど放出します。


ウランが分裂すると2つ以上の中性子が出ます。これが核のエネルギーを「利用」できるようになった大きなポイントです。

ウランから出た2つの中性子は、近くに2つ以上のウランがあるとそれに吸収されます。中性子を吸収したウランはすぐに核分裂を起こして2つ以上の中性子を放出します。近くに4つのウランがあると、中性子はそれらのウランに吸収され、それらの4つのウランは核分裂をして8つの中性子を放出します。次々にこういう現象が起こることを連鎖反応といいます。

近くにウランがたくさんあると連鎖反応が起こります。
「近くにある」とは密度が高いということです。ウランを密集させると連鎖反応が起こります。
ウランの存在密度が高くなって、自然に連鎖反応が始まることを「臨界に達する」と言います。

福島の事故で、「再臨界したのではないか」と言われているのはこのことです。核燃料が溶けてグチャグチャになって下に溜まっているので、何かの拍子にウランが集まってしまうと連鎖反応が始まってしまうのです。連鎖反応が始まると一瞬で高温になって爆発が起こり、核燃料はまたバラバラになって連鎖反応が止まる、福島の原子炉内でこれが繰り返し起きているのではないかと言われています。

連鎖反応が一瞬にして起こるのが原爆です。ウラン型の原爆では、ウランの周囲をぐるりとダイナマイトで囲んで、遠隔操作でそのダイナマイトを爆発させると、中にあるウランが圧縮されて臨界に達し、一挙に核爆発を起こします。

制御棒を出し入れして、周囲のウランに届く中性子の数を制御しながらゆるやかに連鎖反応が起こるようにしているのが原発です。

さて、では発電とはどういう原理でしょうか。お湯をわかすと蒸気の力で「やかん」のフタがパクパクと動きます。これが蒸気機関の原型です。この蒸気でプロペラを回し、連結されている発電機を回すと電気が生じます。これが火力発電の原理です。かまどで石炭を燃やせば石炭火力発電、石油を燃やせば石油火力発電です。プロペラを風で回せば風力発電、水を上から落として回せば水力発電です。ジェット機のエンジンのように燃焼ガスで回すのがガスタービン発電です。人力で回すのが自転車のランプです。
原子力発電では、かまどで「核分裂」をさせます。そこが違うだけで他は石炭や石油と同じです。原力発電は近代技術の粋が集まっていると考えられがちですが、実は原理的には19世紀的な技術です。テレビで圧力容器だとか格納容器だとか、何かすごいもののように解説していますが、それは原子力でお湯をわかす「やかん」のことですから、たいしたことではありません。


さて、放射線の話に戻りますと、原子核の中から出てくる放射線は、地球の生命活動のエネルギーのレベルよりもずっと強いエネルギーを持っていて、やすやすと人体などを貫きます。それを利用したのがレントゲンです。放射線は細胞を貫き遺伝子を破壊しDNAを破壊します。DNAは生命活動の根本になる情報ですから、それが破壊されると生命の継続ができなくなり、細胞が暴走して「がん」になったり「奇形」になったり死んだりします。


これは2011年に長崎大学で撮影された写真です。長崎の被爆者の組織標本が残されていて(本人は亡くなっている)、それを顕微鏡で見ていたら放射線が走ったという写真です。線が直角に折れているところにプルトニウムがあり、そこから左右にアルファ線が出ています。アルファ線は光ではなく粒子で、質量が大きく、周囲の細胞にダメージを与えてガンを引き起こします。
戦後66年たって本人が死んでいても、体内に取り込まれた(内部被曝)プルトニウムは放射線を出し続けます。プルトニウムの放射能は半減するのに2万年以上かかります。

アメリカの統計学者J.M.グールドは、全米3053郡が保有していた40年間の乳ガン死亡者数のデータから、1319郡(43%)で乳ガン死者数が増加し、1734郡(57%)では横這いか減少していることを見つけ、原子炉から100マイル(161q)以内にある郡では乳ガン死亡者数が増加し(上図の黒塗りの地域)、以遠にある郡では横這いか減少していることを見出しました。この研究からただちに原発が乳ガンを増加させているという因果関係が決定できるわけではありませんが、その可能性があることが示唆されました。重大な点は、原発が事故無く正常に動いていても、こういうことが起こる可能性があるということです。


そして、肥田氏の著書に感銘した大江希望氏が厚生労働省のデータから乳ガン死者数の増加をグラフ化しています。
http://www.ne.jp/asahi/kibono/sumika/kibo/note/naibuhibaku/naibuhibaku1.htm#12setsu
そのデータを、原発出力総量の推移と並べたのが上のグラフです。乳ガン死者数の増加と原発の増加とは一致しています。

人数は10万人に20人程度ですから、誰もが乳ガンになるわけではありませんが、増加傾向は顕著です。

2007年、ドイツ政府(環境省)は、綿密な調査の結果、原発周辺5kmの地域で小児がんが顕著に増加していることが判明したと発表しました。全小児がんで1.61倍、白血病で2.19倍です。これもまた、事故無く正常に運転されている原発の周辺で起こっていることです。この調査は原発推進派と反対派が共同で行っており、データには疑いがないということでドイツを大いに揺るがせ、ドイツは脱原発を加速させています。

なぜ正常に運転されている原発の周囲でガンが増えるのでしょうか。

それは原発から放射性物質が日常的に漏出しているからです。福島の事故で東電は「ベント」ということをやりました。炉心の空気を原発の敷地内に立っている高い排気塔から排出しようとしたのです。もちろんその排気には放射性物質が含まれています。原発ではこの操作が緊急時だけでなく、日常的にときどき行われているのです。ベントを日常的に行うために排気塔を作ってあるのです。
また、冷却海水も放射能で汚染されています。汚染濃度が基準値を下回れば排水してもよいという規則ですが、基準値以下でも大量に排水すれば大量に放射性物質が出て行きます。
つまり原発からは放射能が日常的に漏出しています。



宇宙は星から放射される放射線(宇宙線)で満ちています。ですから宇宙空間ではふつうの生命体は生きていられません。
地球では、原始生命の誕生以来、バクテリアやプランクトンやサンゴなどの何億年にもわたる活動によって、大気が作られ高等動物が生息できる環境が出来てきました。また、地球には地磁気があります。大気と水蒸気と地磁気のおかげで地球は宇宙線から守られて、地球は生命の楽園になりました。
では、その生命の楽園とはどのくらいの範囲かというと、せいぜい上空10km、海中10km、上下で20kmくらいです。
地球の直径が12000kmですから、その600分の1くらいの範囲で、上図の地球の枠の青線の太さよりも細い範囲です。
つまり、薄皮まんじゅうの薄い薄い皮の中で、人も鳥も虫も花も魚も生きているのです。
原爆や原発はウラニウムを集積して密度を高め、連鎖反応を起こして放射線を出します。それは生命の楽園である薄い薄い薄皮の中に、わざわざ生命の敵である宇宙の暴力的なエネルギーを持ち込む行為です。それはあらゆる地球生命体が望まない行為です。
しかも福島の事故ではっきりしたように、人類の知恵は、火の付け方は知っていても、まだ火の消し方を知るには至っていません。子供の火遊びと同じです。


正しくは「核発電」

「核兵器」という言葉には危険なイメージがありますが、「原子力発電」というとなんだか平和な語感があります。
しかし英語では「原子力発電」とは言わず、「核発電」(nuclear power)と言います。世界的にも「核発電」と呼ぶのが普通です。

先述したように、原子(atom)とは、原子核と、原子核の周囲を回っている電子を合わせた全体のことですが、「原発のエネルギー」は原子全体ではなく、核の中から出てきます。ですから、物理現象として「核発電」と言うのが正確な言い方です。

しかし日本には「核発電」という言葉はありません。政府や電力会社やマスコミや学者など、「原発」を推進する人々が意図的に「核」という言葉を避けてきたように思われます。
日本は唯一の被爆国であり、日本人は核兵器とか核武装という言葉には敏感に反応しますから、「核発電」という呼び方を避けたのだと思われます。何でもあいまいにしてはっきり言わない日本人の特質で、これが日本人の原発に対する意識をあいまいにしています。

核のエネルギーを利用した発電は「核発電」と呼ぶべきです。
                                   


宇宙は核分裂や核融合などの核のエネルギーによって運行されています。
核のエネルギーは宇宙の混沌のエネルギーであり、この世の生命の秩序を断ち切ります。

あるドイツ文学者が、「原発の話はいくら聞いてもよく分からない、これはもしや原発はこの世のものではないのではないか」、と書いていました。実はその通りで、核のエネルギーは地球上にはほとんど存在しないもので、生命の輪廻転生に敵対するものです。生命活動が行われている地球を「この世」と見れば、核のエネルギーを利用する原発は「この世のものではない」のです。

ウランから生成される質量数239の人工的な原子に、物理学者たちはプルトニウムという名をつけました。その由来は、ヨーロッパの神話に出てくる「プルート」、すなわち「冥界の王」です。物理学者たちもプルトニウムが「この世のものではない」と認識していたのです。



以上が「原子力発電」というものの、物理的、哲学的な本質です。
原子力発電は、正しくは「核発電」と呼ぶべきものです。本書では以後「核発電」と表現します。

核発電は核エネルギーという、生命に敵対する、この世のものではないエネルギーを、大量にこの世に解き放つ行為です。
そうと知れば、もうそれだけで、「それはやってはいけない」というのが多くの人々の素直な思いでしょう。
人々が必要としているものは「電力」であって、「核のエネルギー」そのものではありません。
その電力を、「この世のものではない」エネルギーから取り出してほしいと、わざわざ願う人はいません。
電力会社や国が開く「説明会」に「賛成派住民」がいないのはそのためです。賛成する人はいないのです。「プルサーマルに賛成です」などという住民が、いるはずがありません。ですから、電力会社や保安院は「やらせ」で賛成意見をかき集めるのですが、なんとも馬鹿げたことです。

とは言っても、経済的行為である核発電を止めさせるには、そういう思想的なことだけを言っていても始まりません。経済的、社会的な観点から議論する必要があります。
第2部では、核発電が経済的、社会的に利益をもたらしていないこと、核発電に頼らなくても電力は十分にあることを示します。


スライドショウ 第1部 おわり 第2部へつづく→


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