wikipediaより抜粋
1993年5月31日に宮沢喜一首相に対して社会党、公明党、民社党が内閣不信任案を提出。衆議院の過半数を占める自民党の反対多数で否決されると思われたが、党内から造反者が続出して可決。内閣不信任決議可決は1980年以来13年ぶりであった。
この造反劇は、前年に党内最大派閥経世会の会長・金丸信が佐川急便事件で逮捕された事に端を発している。金丸が去った後、派内人事や金丸の処遇を巡って、小渕恵三、橋本龍太郎、梶山静六らと、 小沢一郎、羽田孜、奥田敬和、渡部恒三らとの対立が表面化し、竹下派七奉行による激烈な主導権争いを繰り広げた。最終的には派閥オーナーである竹下登の工作もあって、小渕が経世会会長に就任。小沢らは小渕派経世会を脱会して羽田を先頭に羽田派を結成した。これによって党内最大派閥は完全分裂し、小渕派は党内第4派閥、羽田派は第5派閥に転落した。
そして、その後の党役員の人事にあたって、宮澤が小渕派を優遇し羽田派を冷遇した事で、羽田派は宮澤内閣に対して態度を硬化させ、羽田派は内閣不信任案へ賛成票を投じる結果に至った。自民党内閣への内閣不信任案採決の際に自民党議員が欠席・棄権した例は他にもあるが、不信任票を投じたのはこの時のみである。
宮沢内閣はこれを受けて衆議院を解散した。
解散後、武村正義、田中秀征、鳩山由紀夫ら若手議員10人(うち武村、田中、鳩山を含む8人は不信任案に反対票を投じていた)が、自民党を離党して新党さきがけを結成した。羽田・小沢らは当初自民党を離党する気はなく、党内で改革運動を行うつもりであり、一連の不信任騒動を巡って逆に執行部を懲罰にかけるといった作戦を練っていたが、不信任に反対した武村らが離党したことにより方針を転換し、自民党を離党して新生党を結成した。
野党の不信任案に賛成した自民党議員
羽田孜 小沢一郎 渡部恒三 石井一 藤井裕久 岡田克也
簗瀬進 石破茂 他