内閣不信任案

2011.06.01

今夕、自民党が内閣不信任案を出すようです。1993年に以下のようなことがありました。




wikipediaより抜粋

1993年5月31日に宮沢喜一首相に対して社会党、公明党、民社党が内閣不信任案を提出。衆議院の過半数を占める自民党の反対多数で否決されると思われたが、党内から造反者が続出して可決。内閣不信任決議可決は1980年以来13年ぶりであった。

この造反劇は、前年に党内最大派閥経世会の会長・金丸信が佐川急便事件で逮捕された事に端を発している。金丸が去った後、派内人事や金丸の処遇を巡って、小渕恵三、橋本龍太郎、梶山静六らと、 小沢一郎、羽田孜、奥田敬和、渡部恒三らとの対立が表面化し、竹下派七奉行による激烈な主導権争いを繰り広げた。最終的には派閥オーナーである竹下登の工作もあって、小渕が経世会会長に就任。小沢らは小渕派経世会を脱会して羽田を先頭に羽田派を結成した。これによって党内最大派閥は完全分裂し、小渕派は党内第4派閥、羽田派は第5派閥に転落した。

そして、その後の党役員の人事にあたって、宮澤が小渕派を優遇し羽田派を冷遇した事で、羽田派は宮澤内閣に対して態度を硬化させ、羽田派は内閣不信任案へ賛成票を投じる結果に至った。自民党内閣への内閣不信任案採決の際に自民党議員が欠席・棄権した例は他にもあるが、不信任票を投じたのはこの時のみである。

宮沢内閣はこれを受けて衆議院を解散した。

解散後、武村正義、田中秀征、鳩山由紀夫ら若手議員10人(うち武村、田中、鳩山を含む8人は不信任案に反対票を投じていた)が、自民党を離党して新党さきがけを結成した。羽田・小沢らは当初自民党を離党する気はなく、党内で改革運動を行うつもりであり、一連の不信任騒動を巡って逆に執行部を懲罰にかけるといった作戦を練っていたが、不信任に反対した武村らが離党したことにより方針を転換し、自民党を離党して新生党を結成した。


野党の不信任案に賛成した自民党議員

羽田孜 小沢一郎 渡部恒三 石井一 藤井裕久 岡田克也 
簗瀬進 石破茂
 他





宮沢喜一という人も、週刊誌に「ホンにお前は屁のような」と揶揄されたほどで、どうにも腰の定まらない人でしたが、それにしても竹下派七奉行のなんともおぞましい、権力闘争むき出しの、憲政の常道に反する無頼なふるまいです。

歴史は繰り返すと言いますが、いま同じようなことが、同じような人々によってなされようとしています。これが、これらの人々の遺伝子に組み込まれている行動パターンなのでしょう。

自分達が選んだ代表に不満があるなら、与党の内部で解決すべきことです。
国会をわずらわすようなことではありません。(1日1億円かかっているそうです)

菅総理が聞く耳を持たず、議員総会も開かれず、交代させる手段がないなら、小沢支持者は党を割って出るべきです。与党に在籍したまま野党提出の不信任案に同調して、自分達の代表を国会で不信任するなど、憲政の常道に反します。

総理は軽くてパァがよい、というのが小沢の信条です。これが彼の民主主義です。
海部、宮沢、細川、羽田、と、軽くてパァを首相にして自分は背後からコントロールしてきました。また、同じことをやろうとしているのでしょう。

自民党も、原発の責任はすべて自民党にあるのに、菅総理の処理が悪い、もう一度自民党にやらせろ、とはいかにも恥知らずです。先日の「海水注入中断問題」でも、谷垣は、どうでもいいことを追究してせっかくの党首討論を空費し、実は現場のヨシダが本店のヘラヘラ役員を無視して海水注入を続けていたということで、世間は拍手喝采、まだらめが「私はいったい何だったんでしょう」というオチをつけてくれましたが、谷垣こそ「私はいったい何だったんでしょう」と言うべきです。

そんな自民党にいまさら原発事故を任せられるはずもありません。


もし不信任案が可決されたら、脱原発を旗印に、解散総選挙で政界を再編するのが、国家百年のためによいと思います。




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