MLM論考 その1 一般論 2007.10.10
マルチレベルマーケテイング(MLM)というビジネス手法を、ほとんど犯罪と同一視している人々がいる。それは無知に基づく思いこみであったり、「詐欺商法があれば、正しい商行為をしている者も含めて根こそぎにするのが世のためだ」という、恐ろしくも粗雑な考えによる。そのような主張をする人々の中には、消費者問題を専門とする弁護士がいたり、大学の教員がいたり、国立研究機関の研究員がいたりする。彼らは、マスコミや大学の公式サイトなどで、自分たちの思いこみを書くことで、「MLM=悪徳商法」という短絡的で間違った考えを世に広めている。
今回のお茶の水女子大学との裁判も、
apj
あっらーー
いよいよここじゃなくて、悪マニさんトコのネタになるのか・・・・(遠い目)。
京都大学の学歴を自慢したってやることがマルチじゃなぁ・・・・。まぁ、あの自費出版批判本を見た限り、ダウンの人々が法律を遵守したまともな宣伝をすることなんざ期待できないわけだが。
という、国立大学の公式サイトによる個別企業に対する中傷を、名誉毀損であり営業妨害であるので削除してほしいと要求したところ、大学側が拒否したために起きているのだが、上の文章を読めば、この書き込み人には「マルチ(MLM)=悪徳商法」という、思いこみがあることが分かる。
そのような間違った考えをただすために本稿を書く。
MLMとは何か
MLMとは、紹介販売において、販売報酬が紹介者の2段階以上(Multi Level:マルチレベル)にわたって支払われるような「報酬の仕組み」をもって、市場を開拓(Marketing:マーケッティング)しようという市場戦略である。
そして、それだけのことである。
わが国のような自由主義経済の国では、ある企業が何かを販売して、その収益をどのように分配するかは、企業活動に関する諸法律や公序良俗に反しない限り、その企業が自由に決めればよいことである。また、市場戦略もその企業の自由である。
ただしその市場戦略が、企業や法人だけが対象ではなく、消費者である個人を販売側に巻き込む形で行われる場合は、販売業務などに不慣れな個人が不利益をこうむることがないように、通常の企業間取引よりもかなり細かい(必ずしも、厳しいということではない)規制がある。
その規制が特定商取引法である。
特定商取引法は、次のように法の目的を定めている。
特定商取引法 第1条 目的
この法律は、特定商取引(訪問販売、通信販売及び電話勧誘販売に係る取引、連鎖販売取引、特定継続的役務提供に係る取引並びに業務提供誘引販売取引をいう。以下同じ。)を公正にし、及び購入者等が受けることのある損害の防止を図ることにより、購入者等の利益を保護し、あわせて商品等の流通及び役務の提供を適正かつ円滑にし、もつて国民経済の健全な発展に寄与することを目的とする。
この中には、ふつうには健全なビジネスと考えられている、テレビでの通信販売や、インターネットでのショッピングなども含まれている。だから、特定商取引法で規制されることと、悪徳商法とは関係がない。規制を守ればよいのであって、車は左、という規制があるのと同じことである。
連鎖販売とは何か
以下は、特定商取引法が定める「連鎖販売」についての経産省の解説である。
特定商取引法では、連鎖販売業を次のように規定しています。
(1) 物品の販売(または役務の提供等)の事業であって
(2) 再販売、受託販売もしくは販売のあっせん(または役務の提供もしくはそのあっせん)をする者を
(3) 特定利益が得られると誘引し
(4) 特定負担を伴う取引(取引条件の変更を含む。)をするものをいいます。
つまり連鎖販売とは、「企業ではない個人に、物品の販売などを仕事として紹介し、その仕事をするために必要だから、と言って何らかの負担を求めること」となる。
以上のことから分かるように、連鎖販売とMLMとは、違う概念であり、同じものではない。
理屈としては、販売のあっせんをし、特定利益が得られると誘って(連鎖販売)も、そうして勧誘した相手の働きから収入が得られる(MLM)かどうかは、当事者同士の別途の契約による。だから、連鎖販売とMLMとは別々のものである。
しかし実際には、連鎖販売方式をとっている企業では、その報酬体系はほとんどが、マルチレベルとなっているので、連鎖販売とMLMとはほぼ重なっている。
以上が、連鎖販売とMLMという言葉の意味であり、両者の関係である。
連鎖販売は、これが企業同士の取引であれば、一次問屋、二次問屋などという、どこにでもあるごく普通の取引形態だから、特別な規制はない。対象が個人ということで、「国民経済の健全な発展」のために(だまされやすい個人を守る、という意味だと思われる)特定商取引法が定められているのである。
連鎖販売を考えるとき、もうひとつ留意すべきことがある。それは、連鎖販売には通常の販売も混在しているということである。
「これはとても良い品ですから、どうですか」と商品を販売すること(通常販売)と、「これを販売するのは良い仕事になりますから、どうですか」と勧めること(連鎖販売)とが、連鎖販売においては混在している。常に仕事に誘うわけではないからだ。
また、通常の販売の結果として、購入者が「それを販売することを仕事にしたい」と後で言い出すことも多々あって、通常の販売行為と連鎖販売が時間的にずれて混在することがある。
「連鎖販売業としての届出」とか「認定」とかの制度はないのだから、法の解釈としては、連鎖販売の規制は、実際の連鎖販売の部分にだけ適用されるもので、通常の販売をするときに、ビジネスの話まで全部しなければならない(書面交付の義務)という、杓子定規なことではないと考えられる。
連鎖販売に対する規制
店舗を構えて販売する場合は特別の規制はないが、通信販売、訪問販売、紹介販売、インターネットショップなどの無店舗販売は、相手の顔が見えないので、詐欺的意図を持つ者が利用しやすい販売形態である。したがってなんらかの規制が必要で、そのために特定商取引法が定められている。その中に連鎖販売についての規制がある。
しかし、規制があると言っても、実際に連鎖販売の規制内容を読んでみれば、氏名を表示すること、事実を告げること、事実と違うことを告げないこと、強制しないこと、誇大な広告をしないこと、返品のルールを守ること、定められた内容の書面を交付すること、などなど、善良な企業や善良な社会人にとっては、特に守りにくいような規制ではない。特別な規定としては、「書面交付」の義務があるくらいだが、それを守ることも特に難しいことではない。
実際、連鎖販売方式をとっている企業はたくさんあって、その契約員も全国で数百万人に達すると言われているが、当然のことだが、そのほとんどはごく善良な活動をしている。
たとえば神戸の下着販売の会社とか、タヒチ産のジュースを販売する会社とか、ハーブティーを販売する会社とか、取り扱う商品の良し悪しはまた別の話ではあるが、きちんと規制を守って連鎖販売のビジネスをしている。
わが国で数百万人が悪徳商法をしている、などということが、あろうはずがないのである。
しかし一方、詐欺をもくろむ者は、すべて正直では詐欺はできないから、どこかで人をだます。
したがって、簡単な規制ではあっても、上のような規制条項のすべてを守ることはできない。
だから、特定商取引法は、悪徳商法に対する、事前の、あるいは事後の、抑止力となっていると評価できる。
短絡的な批判は間違い
ところが、「連鎖販売=悪徳商法」と考える短絡的な人がいて、そういう人がウィキペディアに投稿すると、次のような表現になる。
連鎖販売取引
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
訪問販売等に関する法律(1976年施行、現在は「特定商取引に関する法律」と改称)で、いわゆるマルチ商法とよばれるものが、一定の範囲で「連鎖販売取引」として法的に定義づけられ規制されることになった。その後、定義要件が拡大し、規制強化の流れで法改正が行われた。 現在、特定商取引に関する法律(特定商取引法)で、連鎖販売取引は実質禁止といってもいいほど厳格に規制されている。
連鎖販売についての規制をどう読んでも、「実質的に禁止」とは読めない。また、現実に連鎖販売はたくさん行われているのだから、「実質的に禁止」ということはないし、法理論としても、わが国のような自由主義経済の国では、市場戦略は企業の自由であって、それをみだりに法で制限することは、基本的人権に抵触するから、立法府も行政府もそれはできない。
だから、「実質的に禁止」などということはあり得ないのである。
ウィキペディアのこのような表現は現実離れしたものであり、連鎖販売をイコール悪徳商法だと世間に印象づけようとする意図が見える。
(このような偏向した表現を許しているから、ウィキペディアは信用されないのだが)
連鎖販売方式を採用する理由
連鎖販売方式を採用するには、それなりの理由がある。
個人の体験を伝えることが必要な商品は、「紹介販売」という形で広がることが多い。その商品で自分に何が起こったかを、周囲の友人知人に伝えることで、その商品が広がる。
また、世の中に新しく出た商品や珍しい商品で、十分な説明をしなければ理解してもらえない商品の場合も、デパートなどの店頭で長々と説明もできないから、店頭ではなかなか販売しにくい。
この場合も「紹介」という形で何人かの人に集まってもらい、説明会などでじっくりと説明することで販売できることがある。
また、その商品が健康上の著しい効果を持つという事実がある場合でも、それが医薬品でない限りは、薬事法によってその事実を広告することは禁じられている。その場合は、個人から個人への口コミという形でしか、事実を伝えることができない。
このように、店頭で普通に販売してもなかなか売れないし、プロの営業マンでもなかなか売れないし、広告も出来ない、しかし紹介販売なら売れる。そういう性質を持つ商品が存在するのである。だから、商品が持つ性質や、自社の資金力とか知名度とかを勘案して市場戦略を考えた結果、紹介販売という方式を取り入れることは、企業のひとつの選択枝となるのである。
そして紹介販売が成立すると、会社は、紹介してくれた人に報酬を支払うわけだが、そのとき報酬の対象がシングルレベル(単段)、つまり直接に紹介したことだけが報酬の対象になる、ということでは、紹介者は一般人で営業のプロではないから、自分の周囲の数人にしか伝えられない。
それでは収入額においても継続性においても、ビジネスとしての魅力がなく、○○レディの使い捨てのようなことになる。
それでは、ひとつひとつの紹介が出にくいし、ビジネス志向の者やリーダーシップを持つ者が参加してくることがない。
結果としてその商品は広がらず、企業の利益も上がらない。
そこで、紹介を出やすくして、販売を促進するための一つの方法として、報酬の方式を多段にすることが、ひとつの工夫となるのである。
多段にするやり方には、いろいろな方式があり、個々の企業によってさまざまな工夫がなされているが、大局的に言えば、売上げへの貢献度の大きい者に対して、大きな報酬が支払われるように、合理的な工夫をしているのが普通である。
なぜなら、このビジネスは自由参加だから、誰でも納得できるシステムでなければ人は集まらないし、永続性もなくなるからだ。
悪徳商法とは何か
悪徳商法には、さまざまなものがある。
大会社なら安心ということもない。大会社の商法でも悪徳なものが、いくらでもある。
昨今、生命保険の不払いが発覚しているが、これなど実に消費者をバカにした悪辣な行為である。本題から外れるが、「貯蓄型の生命保険」というものが、そもそも詐欺的商品である。火災保険で貯金する人はいない。なぜ人は、若いときから生命保険で貯金するのか。そこには金融当局がからんだ詐欺的な集金の仕掛けがある。不払いは、このような生保の体質に根ざすものである。はっきりと悪徳商法である。
大銀行がバブル期にやった「地上げ」や、土地を担保に金を貸しまくったことは犯罪的であった。
また、現在でも高利貸しのサラ金に貸し込んでいることも犯罪的である。
証券会社は、一般投資家を「ドブ」と呼んで、損することが決まった株を、有望だと偽って押しつけ、その利ざやで一部の大口投資家を優遇して損失補填などをしていた。これも犯罪である。
エンジンから火を噴く、タイヤがはずれる、そんな自動車を、知りながら売り続けた自動車会社もある。百件以上もガス中毒死を起こしながら、それを秘匿して湯沸かし器を売り続けた業界もある。食品の賞味期限を偽った会社、原産地を偽った会社、細菌だらけの工場で牛乳を作っていた会社、ビルの構造計算を偽造した会社、マンションの地層に鉱毒があることを知って販売した会社、記事をねつ造した新聞社、やらせ番組を作って偽情報を流したテレビ会社、これらはすべて名の知られた大企業である。大会社であっても、世に悪徳商法はつきないということだ。
小さいところでは、リフォーム詐欺とか、オレオレ詐欺とか、振り込め詐欺など、商法と呼ぶことさえできない、論外の悪徳行為も多々ある。
悪徳商法はビジネスの大小や方式や形態によって生ずるものではない。
ビジネスを行う者、なかんずく経営者の倫理観の欠如によって起こるのである。
連鎖販売における悪徳商法
連鎖販売の分野では、毎年1件か2件、大事件が摘発されている。
最近では、L&Gという会社が、円天という、あり得ない夢物語で人々を釣って巨額の金を搾取している。また、フィリピンでエビの養殖をするという、まったく架空のプロジェクトを語って、多額の出資金を集めて逃げた者もいる。調べてみたら、フィリピンに養殖場など無かったということだから、初めから詐欺が目的である。近未来通信も、もっともらしい通信中継基地をビルの一室に備えながら、その電源がつながっていなかったという。
これらの詐欺の特徴は、「儲け話で人を釣る」ということである。儲け話とはすべて、時間差を利用している。つまり、「今これこれの金額を出せば、将来その何倍にもなって戻ってくる」というパターンで、まずは今、金を出させるわけだ。これは「儲け話」の特徴で、すべての投資話がそういう構造になっている。株式投資も商品相場も同じだ。年金の不明金2.3兆円も似たようなストーリーで役人たちに詐取され、それっきりだ。
だまされた者が悪い、という批判もあるが、詐欺のプロは実に巧妙だから、だまされた人々はやはり被害者と言うべきだろう。
私は30年ほど前にベルギーダイヤモンドというビジネスの説明会に行ったことがあるが、豪華なホテルの会場で、三井だトヨタだという名前が出て、大きなスクリーンでベルギーのダイヤモンド業界が紹介され、成功体験が語られ、実に巧妙だった。
私が冷静でいられたのは、宝石というものにまったく興味がなかったからだ。
その時の連中が後日、豊田商事になったようで、その流れがあちこちに散って、円天になったり近未来通信になったりエビの養殖になったりしているらしい。
このような「詐欺」で多額の金を集めようとすると、言葉は悪いが、カモがカモを連れてくる仕組みが効率がよい。つまり紹介システムだ。
だから、彼らは金を巻き上げる方法を、連鎖販売的な仕組みにする。
紹介、紹介で販売を広げていく方法は、販売にもよいが、詐欺にも使えるということである。
使えると言うより、むしろ使いやすいということなのだろう。
たしかに連鎖販売方式は、詐欺に利用されやすい仕組みではある。
しかし、一部の者がその仕組みを悪用したからと言って、連鎖販売という方式自体が悪いことにはならない。正当で合法的な連鎖販売も多数存在している。
それらを十把一絡げにして法律で禁ずることは、自由主義経済の原則に反する。
詐欺事件は、企業活動の形態によってではなく、経営者の倫理観の欠如によって起きているのである。
ネズミ講との違い
「講」とは銀行のようなものである。昔の農村などで、不意の出費に備えるために、みなでお金を出し合ってプールして、貸し借りをしていた組織で、無尽講とか頼母子講などと呼ばれていた。近代になってそれが地方の信用金庫や銀行となった。そこでは、生産とか付加価値ということはなく、集めた金を部外に貸し出して増やすということもなく、単に金の出し入れだけが行われていた。
それと似たような仕組みを作って、それを部外にも拡大し、紹介、紹介で金のやりとりだけをネズミ算式に広げて、そうすればみんな儲かる、という詐欺行為が、「ネズミ講」と呼ばれる。
(ネズミ算とは何かを知らない人がいるらしいので解説すると、ネズミは一度にたくさんの子を産み、出産周期や成長期間も短いので、数ヶ月で5倍、10倍の数になる。そのように急速に増える様子をネズミ算と言う)
むろん、それでみんなが儲かるなどという計算は成立しない。しかしそんな話に乗せられる人が後をたたなかったので、今では、それは法で禁じられている。ネズミ講は違法行為である。
連鎖販売方式は、形態としてはそれに似ている。主宰者側には、紹介、紹介でネズミ算的に増やしていきたいという意図はあるし、成功した連鎖販売はそのように増えてゆく。
決定的に違うのは、連鎖販売では商品の流通があるという点である。
それは生産活動であり経済活動である。商品の流通を目的として、そこに連鎖の仕組みを採用したものが連鎖販売である。
他方、商品などどうでもよく、自分たちの金儲けだけが目的で、ほんとうは無価値な物品をカモフラージュとして流通させながら、金だけを動かすのがネズミ講である。
これらの二つは違うものである。しかしそれは、法律や登記簿などで分けられるのではなく、実態によって見分けるしかない。商品の真の価値はどうか、経営者の倫理観はどうか、の2点を見抜く必要がある。
世の中には連鎖販売を装ったネズミ講がある。円天でもエビの養殖でも近未来通信でも、そこに価値ある商品があるかのように見せかけながら、価値のあるものは何もなかった。経営者の倫理観はゼロだった。
見分けるのは難しいから、連鎖販売を全面禁止すればよいというのが、MLM批判者たちの基本的な考えである。したがって、個別に検討する必要もないというわけだ。しかしそのような考え方は、わが国の憲法に抵触する考え方であり、行政府も立法府も、そのような乱暴な考えを支持していない。
「マルチ商法」という批判
詐欺とまでは言わなくても、MLMという方式については、さまざまな批判がある。
早くスタートした者が大きな収入を得て、後から参加した者はそれを追い越すことが出来ないとか、多額の不労所得が発生して、一生懸命やっている者がバカを見るとか、言われているほど収入がとれないから、コンビニでバイトしている方がましだとか、報酬をとるために無理に在庫を抱えて借金が出来るとか、多段で報酬を支払うために販売価格が不当に高くなっている、などである。
かつてそういうことがあったのは事実で、今でもそういうケースがあるのかも知れない。
だから、それらの批判がまったく的はずれということはない。
しかしそういうケースがすべてではない。
MLMも進化しているし、自由経済、競争経済の中で、不当で不合理な組織や運営形態が永続することはない。不当で不合理な価格が維持できるものでもない。一時的には成立しても自然に淘汰されていく。
それでもなお、不当で不合理なことがあるなら、それは個別に批判すべきであって、十把一絡げにして、「連鎖販売=悪徳商法」と主張するのは社会正義ではない。幸いにして我が国の法も司法もそのようにはなっていない。個別に精査した上でしか処分されない。企業Aが悪いからと言って、企業Bもどうせ悪いことをしている、などという乱暴なことはしない。しかるに一部の者たちは、マスコミや大学サイトなどを悪用して、個別の企業活動を一般論で否定し、風評被害をあおっている。それはファッショである。
人々が「マルチ商法」という言葉を使うとき、その意味は定かではなく、また、当人たちも、必ずしも対象の実態を知ってそう呼んでいるわけではない。しかしその言葉には、「悪徳」という評価が含まれている。ウィキペディアの偏向した記述者と同様で、マルチ商法という言葉を使う人々には、連鎖販売であったり、MLMであったりすれば、それは自動的に悪徳だという思いこみがある。
しかし合理的に合法的に行われている、健全で正当な連鎖販売もある。あるというより、むしろそれが圧倒的多数なのである。したがってそれらの正当なビジネスを含めて、すべてを「マルチ商法」と呼んで悪徳扱いすることは、社会的に不当である。
近江商人たちの家訓によれば、ビジネスの理想は「三方すべて良し」というものだそうである。買ったもの良し、売ったもの良し、世間もまた良し、と三者がそれぞれにメリットを享受できるようなビジネスが理想、というより、そうでなければビジネスではない、ということだ。
それを実現するためには、製品が良いこと、価格が適正なこと、その普及によって社会にも利益がもたらされること、が必要である。そして、経営者がそういう理想を持って、商品の性質や企業の力を勘案して、その上で連鎖販売方式を採用することも、あるのである。
連鎖販売方式の限界
連鎖販売方式には、おそらく限界がある。
連鎖販売方式を採用する理由が、そのまま、連鎖販売方式の限界を示している。
すなわち、体験を伝える必要がある、説明が必要だ、薬事法で広告が制限される、という条件で連鎖販売方式が採用されているのであれば、それらの条件が解消あるいは緩和されたら、連鎖販売方式は必ずしも効率的な販売方法ではなくなるのである。
商品の普及が進み、誰もがその商品の良さや、その会社のことを、噂にでも聞いて知っているという状況になれば、人から人への紹介にばかり頼らなくても、簡単な広告や店頭販売でも売れるようになる。
そうなれば、その方がビジネスは効率的だから、連鎖販売方式は、普通の販売方式にしだいに転換されることになる。それが経済合理性というものだ。
だから、よく、連鎖販売で倍々ゲームをしたらすぐに全人口を超えてしまう、という批判があるが、それは机上の空論である。現実にはそういうことにはならない。
連鎖販売が成功して、普通の販売形式に転換できたとして、それまで普及活動をしてきた契約員たちはどうなるのか。それらの貢献者たちを正しく遇する方法は何か。
それは、貢献度に応じて会社の株を分配し、末永くビジネスの収益を分配することだろう。
私たちは、以上のような考えのもとに、堂々と、連鎖販売方式で、マグローブという磁気活水器を販売している。どこにも被害者はいないし、三方すべて良しを実現している。隠すことは何もなく、インターネットでビジネスの仕組みを公開している。
お茶の水女子大学から「やることがマルチじゃなぁ」とか「法律を遵守したまともな宣伝をすることなんざ期待できない」などと、名誉を傷つけられ、営業を妨害されて、黙っている理由はない。
以上は一般論である。
次回は個別の議論として、私たちのマグローブ・ビジネスについて述べる。