科学者と公権力
2006.04.09
水俣のことを少し書いたので、科学者と公権力との関係について言及しておこう。
以下は、沖縄大学名誉教授 宇井純氏 の文章の抜粋である。
宇井氏は、私たちの年代の少し(かなり)先輩である。
東大の都市工学科で公害闘争を先駆的に戦った人であり、
若い私たちのあこがれであり、
若者たちの、それからの人生の、道しるべでもあった。
水俣病センター相思社機関誌 ごんずい 53号 1999/7/25
医学は水俣病で何をしたか 宇井純
40年をこえる水俣病の歴史の中で、医学は水俣病にどのように作用したかを考えるとき、その功罪は相半ばするか、ことによるとマイナスの作用が大きくプラスを打ち消しているとさえ考えることがある。
発見当初、医学の出発点があった
水俣病が発見されたごく初期、全く未知の災厄として医学がそれに直面した時には、たしかに素直に現実と取り組み、そこから共通の症状を抽出した。あるいは水俣市の医師会が病気がみつかる前のカルテをさかのぼって調べ直し、その場しのぎにいいかげんに他の病名をつけていた死亡診断書を、恥をしのんで取り消し、そこから水俣奇病という新しい病名をつかみ出した。そこにはたしかに医学の出発点があったといってよい。それは初期の水俣病に直面した医師たちの人間性の反映でもあったろう。補償処理委員会会場の宇井氏。
撮影/塩田武史
集中砲火を浴びた熊大研究班
原因が工場排水中の水銀らしいと見当がついた1959年夏以降は、熊本大学医学部の研究班は企業や通産省、御用学者の集中砲火を浴びることになる。このため研究班の姿勢は防衛的、閉鎖的になり、患者の認定についても、批判をおそれて限定的、保守的になる。
私が水俣病関係者を調べた結論としては、ほぼこの時期で医学の役割はマイナスに転化したようである。
宇井先生も70才を越えられました・・・
1960年代に入ると、熊本大学の研究班の中でも、明らかに水俣病を厄介物あつかいする空気を見せる者があった。その中でごく少数の医師が、原田正純氏のように患者から学ぼうとする。
熊本大学医学部研究班が、東大を中心に水俣病をもみ消すために作られた田宮委員会に屈服し、チッソから金をもらって代表団をローマの国際神経学会に送ったのは1961年であり、64年にそれまでの研究をまとめたいわゆる赤本(熊本大学医学部水俣病研究班「水俣病−有機水銀中毒に関する研究−」・編集部注)が用意された段階では、水俣病を否定する医学界本流と熊大医学部の手打ち式は完了していたと見てよい。この赤本にはチッソから費用が出ていることが明記されている。
この間医学界主流にあった東京大学医学部を中心として作られた田宮委員会は、水俣病つぶしの有力な手段であり、日本化学工業協会とチッソから研究費をもらっていたが、表に出ないもくろみは、米国の公衆衛生院(NIH)から熊大へ支給された3万ドルの研究費をねらったらしいことが、複数の関係者の証言で裏づけられる。もみ消しだけで十分犯罪的である上に、横取りまで考えていたとなるとおそろしい話である。
日本医学会会頭、東大名誉教授田宮猛雄を委員長とし、公衆衛生学教授勝沼晴雄を幹事長とした田宮委員会と対立するということは、いわば日本医学界全体を敵とすることを意味する。そのころ新しい症状であるイタイイタイ病に対して、カドミウムなどという新しい病原物質を提案した富山の荻野昇医師がどんなに学会でたたかれたか、それは一つの教訓であった。熊大医学部が防衛的姿勢をとるのには、そういう社会的な背景があった。
引用おわり
私が、アトピー問題に関する私の著書の中で、わざわざ水俣やイタイイタイ病に言及したのは、それが私たちの年代において、社会にプロテストする若者たちの共通の認識だったからである。
公権力には、公権力の意思がある。
水俣の場合もイタイイタイ病の場合も、公権力は、それを公害病として認めないという強い意思を持っていた。そして、その意思を達成するのに好都合な「科学理論」や「科学者を探していたのである。
田宮氏には田宮氏の正義感があった・・・とは思いにくいが、仮にそうであったとしても、彼は結局は公権力に利用されたのである。
ニセ科学批判者たちは、一見、社会にプロテストしているように見えるが、それは買いかぶりである。彼らは、熊本大学の原田正純氏や、富山の荻野医師のように、職を賭し、命さえ賭して正義を主張しているわけではない。彼らは学会や大学の権威をカサに、自らを安全な場所においたまま、現場も見ず、個別に検証することもなく、衆を頼んで弱者をいじめているだけである。
中には、ほとんど遊び半分の者もいる。
中には、自ら公権力にすりよって自分の主張を遂げようとする者もいる。
現在の公権力には、国益のために公害は無視する・・・までの強靱な気持ちはなさそうだが、行政改革の嵐の中で自分たちが生き残ろうと必死である。存在感を示したい、業績を上げたい、省益あって国益なし、何でもしよう、という意思がある。その意思を実現するために都合の良い科学理論や科学者を探しているのだ。
宇井先生は、そんな誘いに乗ることを戒めている。