アトピー・スモン・水俣
 
 2006.04.09

医学界では、アトピー性皮ふ炎は本人の体質(医学界ではアトピー素因という)にもとづく疾患とされている。そして、その認識にしたがって治療方針が定められている。それはどんな治療か。「体質なんだから、この薬を飲みなさい、この薬を塗りなさい、はい、おしまい」という治療である。

私は、そのような考えも治療方針も馬鹿げていると考える。
なぜなら、体質だったら増えるはずがないからだ。その1点によって、体質論は成立し得ない。簡単で自明なことである。

私の考えの一部を、私の著書から引用して紹介しよう。

吉岡英介著 「アトピー解決篇」(1999年刊)より引用   http://www.yoffice.net

2−1  アトピー・スモン・水俣
かつて水俣病やスモン病、あるいはイタイイタイ病になどついて、医者たちは、体質のせいだ、遺伝の家系だ、などと言って「本人の落ち度」を指摘したことがあります。村人からは、信心が足らない、先祖の供養が足らないなどと中傷されたり、あるいは、伝染病だと村八分にされたりしたこともあるようです。しかし幸いなことに、これらの病気は発生が急激であったために、本人に落ち度は無いのではないかという慎重さが働きました。そして、熊本大学医学部の医師の献身によって、水俣病の原因はチッソ(株)の工場排水中の水銀 <Hg> であると特定され、スモン病は、新潟水俣病と闘った経験をもつ新潟大学の医師によって、整腸薬キノホルムが原因であることが分かり、その後の研究で、キノホルムが体内の必須ミネラルである、銅 <Cu> を過剰に流失させることで生じることが分かりました。富山県の神通川流域で発生していたイタイイタイ病は、富山市の開業医荻野氏の、行政や大企業の圧力や妨害、学会の嘲笑にも屈しない闘志と献身によって、三井金属神岡鉱業所の鉱石残滓置場から、カドミウム <Cd> が神通川に流出することによって起こっていることが突き止められたのです。

一方、アトピー性皮ふ炎の場合はそれほど急激な増加ではなく、70年にわたって徐々に増えてきています。それは、医者たちの職業としての1世代を越えるほどの長い時間ですから、第1章で示したように、いまだに「体質だ」、「遺伝だ」、「特定の家系だ」と、本人の側に問題があるという主張が、学会の主流を占めています。
しかし、70年という歳月は人類の歴史から見れば一瞬のことであって、アトピー性皮ふ炎の急増ぶりも水俣病やスモン病の場合と違いはありません。この急増ぶり自体が、アトピー性皮ふ炎もまた、水俣病やスモン病と同じように、何か社会の人工物質によって引き起こされていることを強く示唆していると言えます。

アトピー性皮ふ炎の時間的、地域的な広がりを見れば、アトピー性皮ふ炎を誘発する外因となっている物質は、この70年のうちに、日本全土および世界の各地で日常的に使われるようになったものでしょう。
スモン病や水俣病、イタイイタイ病の原因は、病気の発生を社会現象として「広角レンズ」でとらえることで明らかになりました。アトピー性皮ふ炎の場合も、木を見て森を見ず、ということではなかなか真相をつかむことは出来ません。顕微鏡を覗き込むのはほどほどにして、全体の状況を広角レンズで眺めることが必要です。

引用おわり


私は、「アトピー体質なるものは実在しない」と言っている。それが、現象に対するもっとも合理的な説明だからだ。この考えは、医学の学会の考えとは正反対である。したがって、私が正しいか、学会が正しいか、どちらかである。そしてどちらが正しいかは、それが分かったときに決まるのではなく、初めから決まっているのである。
私は今、これから生まれてくる赤ちゃんの「アトピー予防プロジェクト」を実践している。妊婦さんたちに登録してもらい、私のアドバイスにしたがって、妊娠、出産、授乳の期間を過ごしてもらったときに、アトピーの発生率がどうなるかを調べている。ひとりで、医学の常識に真正面から異議を申し立てているので、なかなかはかどらないが、プロジェクトはすでに5年経過して、少しずつデータが集積されている。
正しい知見が確定し広まることで、多くの人が救われるだろう。

「水は変わるか」という自然科学上の設問に対して、今回、ニセ科学批判者たちは「水は変わらない」という立場をとった。彼らは、「水のサンプルによって結晶のでき方が変わることなどあり得ない。俺たちはそんなことは絶対に認めない。そんなものはニセ科学だ」と、何の証拠もなく居丈高に言いつのっている。科学者として恥ずべき態度である。

私は、「水は変わる」と主張している。それが、現象に対するもっとも合理的な説明だからだ。
これも、私が正しいか、ニセ科学批判者たちが正しいか、のどちらかであり、それはこれから決まるのではなく、この宇宙で初めから決まっていることである。