都立小石川高校教諭 上條隆志氏の物理学指導
 
 2006.08.31



2006年7月 毎日新聞夕刊

ポーランド科学アカデミーが主催する高校生物理論文コンテスト「ノーベル物理学賞への第一歩」で、都立小石川高校の生徒が3年連続入選の快挙を達成した。それを指導したのが同校物理科教諭の上條隆志氏だ。
自由な発想で
上條氏は
教科書に書いてあることが正しいとは限らない。自由な発想で課題に取り組むことこそ、科学の醍醐味だ」と語る。
(以上 毎日新聞より。本稿末尾に全文)


私も同感だ。
上條くんは私の旧友である。

私も京大の大学院に入ったとき、指導の先生から、
「教科書に書いてあるからとか、先生が言ったからとか、
先輩が言ったからとか、そんな理由で正しいと信じるようではまともな研究者にはなれない」
と指導された。
まさに「教科書を疑え」ということだ。

私は研究者にはならなかったが、
この教えは私の心に深く残り、
その後の私の人生のいろいろな局面で、
考え方のバックボーンとなってきた。
後年、アトピー問題を考察するときに、
医学の既成観念にとらわれることなく、
新たに枠組みを推理できたのも、
恩師のこの教えが生きていたからだと思う。
私は、どこの大学でも研究者というものはそうやって育てられるものだと思っていたから、4年ほど前に、東大の安井至氏が、「マイナスイオンなど教科書で習ったことがないから、ウソだと思った」と語っている新聞の記事を見て、「えーっ?逆だろ?」と驚いた。そして、東大がそういう考え方ならば、それに比べて京大には自由な発想が学風としてあったんだなと改めて思ったものである。

科学とは、教科書に書いていない新しいことを研究する学問だから、科学研究の分野で、教科書に書いてないからウソだと考える集団と、教科書にとらわれない自由な発想をする集団があったら、どちらの集団から多くのノーベル賞受賞者が出るかは、おのずと明らかである。(小柴先生は東大では異色である)

ニセ科学批判者たちも「何かを疑っている」のだが、多くの場合彼らの「疑い」は、教科書などの「権威」をモノサシにして、教科書に書かれていない「権威のない考え」やシロウトの発想を糾弾する形で、ほとんど憎悪に近い感情をもって発動されている。

安井至氏や天羽優子氏の言論に、そのことがはっきりと見てとれる。
こなみ氏のディレカに対する悪口雑言も、その典型である。

天羽氏によれば、水は磁場では絶対に変わらないし、クラスターと浸透圧とはまったく関係ないし、健康によい水など絶対に存在しない。なぜならそんなことがあるとは教科書のどこにも書いてないからだ、と彼女は言う。そして、そんなことがあると言う者はそれだけで詐欺師だ、と彼女は憎しみをこめて言うのである。

しかし憎悪は一種のとらわれの感情であり、自由な発想とは対極にあるのであって、余計なものにとらわれているから、彼らは多くの場合、根本的に間違ってしまうのである。

マイナスイオンは空中にあって実測できるものだから、それを研究することをニセ科学と言うのはどうかしている。(マイナスイオンが体によいかどうかは別の話だ)
水の結晶を多数観察して、そこにサンプルの違いによるなんらかの傾向を見いだしたなら、その研究は尊重されるべきであり、反証なしに否定されるべきではない。(ありがとう、うんぬんは別の話だ)
ディレカが電流が流れると言うなら、電流を測ってみればよいことである。

どれも、ニセ科学だとか詐欺師だとか、そういう話では全然ない。
どれも、憎しみをこめてののしるような話では全然ないのである。

世の中にはいろいろな人がいるから一概には言えないだろうが、ニセ科学批判をしている大学関係者の中に、京大出身者がいないのは偶然ではなさそうだ。
京大には、そういうことをする学風がない、ということか。



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