キクログ批判 その4   産総研 その後
 
 2006.07.26

産総研のその後のいきさつを抜粋して、柘植氏や菊池氏の考え方の、基本的な間違いを再度指摘しておこう。

141.柘植 July 19, 2006 @ 04:35pm
きくち先生、そして皆さん。
所内公開の準備に忙殺されているのですが、特に「家庭生活とニセ科学」に関しては、かなり精神的に参っています。やはり我々、産総研の職員という立場は、大学の先生とはずいぶん違います。基本的に我々は組織人だという事です。
私自身の立場は「大気イオンの健康影響」や「帯電微粒子の健康影響」という話なら未科学で良いのだろうと考えています。しかし、「マイナスイオンの存在」や「マイナスイオンの健康影響」はニセ科学であるというスタンスでいるわけです。なぜなら、おそらく「マイナスイオン」というものを「大気イオンや帯電微粒子という既に定義された物質とは別に、そのように名付ける事の必然性」を示した話を読んだことが無いからです。
なんと言いますか、マイナスイオンを巡っては「存在や効果を言い出したものが、反証可能なだけの詳細な立証をする責務がある。それがなされない限り、それらは科学的には無いものと見なされる。」という基本が成り立たなくなっている感じを受けている訳です。「マイナスイオンの存在や効果を否定するなら完全な立証をすべきだ」に近い意見を貰うたびに、「それは違うだろう」という事に疲れてしまっている訳です。
いろいろな事情もあり大手家電メーカーの責任論に関しては修正(というより削除)することに成りました。


きくち 06:01pm on 2006-07-19
組織の問題についてはしかたがない部分があるでしょうから、無理のない程度にまとめられればいいと思います。
もちろん「マイナスイオンの存在や効果を否定するなら完全な立証をすべきだ」は基本的に間違えています。「存在と効果を主張するなら完全な立証をせよ」であって、逆ではありません。
講演の中に、「存在と効果を主張するなら、主張する側がそれを立証しなくてはならない(マイナスイオンはまだそれがない)」というのが科学の基本的な考え方だ、ということをさりげなく潜り込ませられればいいなあとは思います。


143.柘植 July 20, 2006 @ 08:18am
きくち先生、ありがとうございます。
「存在や効果を主張する者が反証可能な詳細さを持って立証するのが基本だ。それがなされないなら、『無いもの』とみなされるのが大前提だ」という話は「潜り込ませる」というよりも、講演の一つの骨子になりつつあります。

これが、その後の展開である。以下、検証してみよう。



柘植氏  やはり我々、産総研の職員という立場は、大学の先生とはずいぶん違います。基本的に我々は組織人だという事です。

このことに気づいたのは柘植氏の進歩だが、実はそんなことは始めから決まったことであって、世間の常識である。
大学人は「高等遊民」で、そもそも社会の余剰で遊んで暮らしている人種だ。それは悪いことではないし、大いに自由に研究をしてほしい。自然科学も人文科学も、科学とは遊びの延長であり、すぐれた研究は遊び心の中からしか生まれないのである。

産総研の技術者はそうはゆかない。きちんと上下の命令系統のある組織であり、組織のルールから外れれば制裁を受ける。
柘植氏は今回、組織内で決定されていないことを、外部の公開の場で議論したり相談したりしたわけだが、そのような行動は組織内の同僚や上司には受け入れられない。それは組織論としても人間の感情としても、当たり前のことだ。そのシンポジウムをやるかどうか、どういう内容にするか、外部の公開の場で勝手に議論した後で、上司に決裁を求めるなどという行為が、組織の原則を逸脱した行為であることは論を待たない。



柘植氏  なぜなら、おそらく「マイナスイオン」というものを「大気イオンや帯電微粒子という既に定義された物質とは別に、そのように名付ける事の必然性」を示した話を読んだことが無いからです。

これが、「マイナスイオンはニセ科学」と主張することの、柘植氏なりの根拠ということだが、奇妙な論理である。科学の世界の外側で、誰かが勝手に「マイナスイオン」と呼び始めただけである。そんなものに「そのように名付ける必然性」など、初めからあるはずがない。
だから、そのことをもって「マイナスイオンはニセ科学」と言うのは、まったく理屈になっていない。そんなつまらないことにこだわっていないで、マイナスイオンという名が気に入らなければ、頭の中で「ネガティブイオンズ」と言い換えればよいだけのことだ。それで状況はすっきり理解できるだろう。大気イオン学の先達はとっくにそうしている。


柘植氏  マイナスイオンを巡っては「存在や効果を言い出したものが、反証可能なだけの詳細な立証をする責務がある。それがなされない限り、それらは科学的には無いものと見なされる。」という基本が成り立たなくなっている感じを受けている訳です

これも粗雑な論理である。柘植氏も菊池氏も一貫して「存在や効果」とか「存在と効果」と言って、2つのことをいっしょくたにしているが、「存在」と「効果」とは違うことであり、別々に考えなければならない。

「存在」については、ネガティブイオンズをマイナスイオンと呼び変えただけのことだから、もちろんマイナスイオンは存在する。マイナスイオン(ネガティブイオンズ)は大気圏にふつうに存在する事象である。

「効果」については、「マイナスイオンに効果がある」ということは、どうやら立証されていないようである。だから、もし、「マイナスイオンには効果がある」という者がいたら、「それは立証されていない」とたしなめればよい。それだけのことである。しかるにこのことをとらえて、「マイナスイオンはニセ科学だ!!」などと言い募るのはどうかしている。

「マイナスイオンはニセ科学だ」と言ったときの菊池氏の言葉を見てみよう。

カテゴリー ≫ ニセ科学 January 17, 2006
さらに「ニセ科学」シンポジウムについて ID:1137495527
呼び名はニセ科学でも疑似科学でもお好みでいいのですが、「ニセ」のほうが即物的でインパクトもあるので好き。「疑似」はちょっと高尚そう(漢字だから(^^))だし、価値判断を含まない気がするし、「ニセ」と言い切りたい。 by きくち


菊池氏は、「ニセ科学シンポジウムは、ニセ科学を叩くためのものではない」「叩いてない」とさかんに言いわけをしていたが、「マイナスイオン」を名指しで「ニセ科学」と断定し、「ニセ」という言葉には「即物的でインパクトがあって価値判断がある」と言っているのだから、氏の意図は明らかだ。センセーショナルに話題を盛り上げたいということだ。

マイナスイオンをネガティブイオンズと言い換えれば何の問題もないところで、たいへんだ、たいへんだ、と騒いでいる。ただしこの2006年1月という時点で、菊池氏が「大気イオン学」の存在を知っていたかどうかは大いに疑問である。


柘植氏  「マイナスイオンの存在や効果を否定するなら完全な立証をすべきだ」に近い意見を貰うたびに、「それは違うだろう」という事に疲れてしまっている訳です。

菊池氏  もちろん「マイナスイオンの存在や効果を否定するなら完全な立証をすべきだ」は基本的に間違えています。「存在と効果を主張するなら完全な立証をせよ」であって、逆ではありません。
講演の中に、「存在と効果を主張するなら、主張する側がそれを立証しなくてはならない(マイナスイオンはまだそれがない)」というのが科学の基本的な考え方だ、ということをさりげなく潜り込ませられればいいなあとは思います。



柘植氏も菊池氏も、まぼろしを見ているのではないか。
「存在や効果」とずさんな表現をしているが、前述のように「存在」は否定できないし、柘植氏も菊池氏もマイナスイオンすなわちネガティブイオンズの存在そのものを否定しているわけではないし、他にそんなことを言う科学者もいない。すなわち、マイナスイオンの存在を否定する人などいないのである。だから、「マイナスイオンの存在を否定するなら完全な立証をしろ」などと要求する人もいないわけだ。当然だ。

したがって、ここは「存在と効果」ではなく、単に「効果」だけに限定した議論になるわけだが、ではいったい、「効果を否定するなら完全な立証をすべきだ」などと要求している人がいるのだろうか。

H口氏やY野井氏が、そんなことを要求したか?
大手家電がそんなことを要求したか?
現実には、誰もそんなことは要求していないのである。

マイナスイオンの効果については、H口氏やY野井氏は効果があるようなことを言っているようだ。しかしそれでも、「効果があることを否定するならそれを完全に立証せよ」などとは言わないはずだ。そんな傲慢な人はいないし、そんな言い方では誰からも相手にされない。彼らが何か言っているとしたら、「私は効果があるという実験結果を得た。それをむやみに否定しないでほしい」と言っているだけだろう。

柘植氏も菊池氏も、まぼろしを見て騒いでいるのだ。


菊池氏  「存在と効果を主張するなら、主張する側がそれを立証しなくてはならない(マイナスイオンはまだそれがない)」というのが科学の基本的な考え方だ、

前述したように、マイナスイオンの「存在と効果」という表現は、粗雑にすぎる言い方なので、近頃、ニセ科学批判者たちがよく言うところの、

「新しいことが起きたと主張するなら、主張する側がそれを立証しなくてはならないというのが科学の基本的な考え方だ」

という一般形で考えてみよう。

まず、この主張は完全に正しい。

科学の世界で何かを主張しても、ほかの研究者に認められなければ、その主張はないに等しい。認められるためには、ほかの研究者が再現できるだけのデータを示して、しかるべき学会誌に投稿して査読を受けて、掲載されるというのが通常のルールである。当然だ。だから彼らが上記のように主張するのはまったく正しいのである。

しかし問題は、彼らがこの「科学の世界のルール」を無定見に実業界にまで押し広げてくることだ。

実業界では、新しいことが起こっても、仲間内で認めてもらう必要はなく、直接、ユーザーに情報を伝えればよい。
たとえば、ネガティブイオンズの発生装置を付加した空調機を作って、「マイナスイオン空調機」と名付けて売り出すことは、実業界では何の問題もない。それがユーザーに受け入れられるかどうか、そのリスクを自分で負うだけである。
あるいは、自動車メーカーが「燃費のよいエンジン」を開発したとしよう。なぜ燃費が改善できたか、その原理やノウハウや新工夫を同業他社に明かす必要はないし、同業他社が再現できるようなデータを出す必要などさらさらないし、同業他社に認めてもらう必要もない。ましてや科学の世界にお伺いを立てる必要などまったくない。
「燃費が向上している」ことが事実であれば、それでよいのだ。

つまり、実業の世界では、「新しいことが起きたと主張するなら、主張する側がそれを立証しなくてはならない」などというルールはないのである。

ただし、では勝手に何でも言っていいのかというと、そうは行かない。
その情報が虚偽であったら詐欺だし、効果があるかどうか分からないものを、効果があると言って売るのも詐欺だし、その製品が危険なものであれば業務上過失罪などに問われる。他社の特許や商標権を侵していたら損害賠償を請求される。
つまり実業の世界は法律で規制されているのである。

このように、実業界のルールと科学の世界のルールとは、全然違う。科学の世界のルールをむやみに実業界に持ち込むのは間違いである。大学に住むニセ科学批判者たちにはその簡単なことが分からない。

しかし産総研の技術者が同じように勘違いをしているのはいかがなものか。
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