キクログ批判  その3

なんで今頃、水道水の安全論議か?
 
 2006.07.12
菊池氏が突然、水道水は安全だと言い出した。

http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?mode=comment&UID=1149636644#comment_form
某所に書こうと思って、やめたこと June 07.2006

「水伝」に限らない話なんですが、なぜ「水」の人たちは(商売の人だけでなく、まじめな市民運動の人も)日本の水道水を危険物扱いしたがるのでしょうね。いや、商売の人は「危険」と言って儲けるんだから、そりゃそうなんですが

「水」の話をするみなさんが、意図的に無視されることですが、実は日本の水道はきわめて安全性が高い。それは当然の話で、水道ほど基本的なものがもし安全じゃなかったとしたら、日本が世界最長寿国になるはずがないんです。実際、世界中で毎年多くの人が汚染された水からの感染によって命を落としています。
にもかかわらず、江本氏の本によれば結晶ができないから水道水はだめなのだということになってしまいます。そんなばかな話はないんですよ。世界的に見れば、日本ほど安全で豊富な水を誰もが簡単に手に(口に)できる国は少ないのです。人間は水がなければ生きられませんから、水に感謝を言うなら、まずは安全な水を供給している日本の上水道システムに感謝するのが筋ではないかと思いますが、江本氏はそうは思っておられないようです。むしろ、水道水はだめだとおっしゃる。
上水道の恩恵を理解できない人が、水にどう感謝するというのか、僕にはまったくわかりません。
もし、世界中の国が日本並みの上水道システムを持てたら、世界は大きく変わるはずです。世界が必要としているのは、波動水でもなく「ありがとう」という文字を見せた水でもない。僕たちから見ればごくごくあたりまえの単なる水道水です。

身近な幸せは身近すぎて実感できないということなのでしょうか

posted by きくち @ 08:30AM | Comment(1



いったい、水道水が危険だと言っている人が、今どのくらいいるだろうか。
ほとんどいないのではないか。

「水道局の方から来ました」と言って高い浄水器を売りつける人がいるらしいが、今やそういう古典的なビジネスをしている人たちだけが、塩素試薬などを持ち歩いて、そういうことを吹聴しているだけではないか。どうもキクログを見ていると、菊池氏や氏の仲間たちが好んで議論する相手は、そういう人々であったり、それにだまされる人々であったり、要するに知的レベルの低い人がが多く、応対する側にもあまり知性は感じられない。


さて、わが国の水道水については、今から20年ほど前に危機的な状況があったのである。
1970年代から少しずつ問題は深刻になってきたのだが、1980年代から、各地の水源地が汚れ、河川が汚れ、拡大する都市で下水の整備が遅れ、浄水場では大量の塩素が投入されて、問題は一挙に顕在化し、さまざまな議論がなされたのだった。
80年代後半から90年代前半にかけてのそれらの議論の中で、中西準子氏や神戸大学の讃岐田訓氏などが警鐘を鳴らしている。

私の著書「アトピー解決篇」では、中西準子氏の次の文章を引用している。
長く東京都の水道局に勤めた小島貞男さんの話では、世界で水道水の処理のためにもっとも大量の塩素を投入したのは、東京の玉川浄水場だそうである。小島さんが玉川にいた頃、100 PPM の塩素を投入したと話している。東京都の資料では、最高の時は塩素を150 PPM という記録があるから、間違いなく世界一であろう。
(中西準子 東大環境安全研究センター 「水の環境戦略」岩波新書 1994)







また、学研のウータンが1992年に出した「今、水道水が危ない」という本がある。
そこからいくつかの写真を提示しよう。

木曽川で鮎が大量死

水道の取水口はゴミだらけ油だらけヘドロだらけ 水源の湖も死んだ

なんともおぞましい状況である。

こういう状況の中で、さまざまな形で問題の解決がはかられた。農薬の規制、工場のハイテク汚染の規制、下水の整備、などである。市民からのさまざまな要求も当局を動かした。また、バブル崩壊後後の経済成長の鈍化も、水質の保持を容易にしてきた。
それらの結果として2006年現在、かつてのような水道水の深刻な問題は影を潜めたのである。

だから、いま、「水道水は危険だ」と騒ぐ人はほとんどいない。そういう記事も出版もあまりない。

ただしこれは水道水の安全性が完全に確保されたということではない。浄水場では高度処理などがなされて改善が見られるが、浄水場から先はまだ十分には改善されていない。大阪の水道も、浄水場から先の配水場は老化が著しく赤さびだらけで、ヘドロがたまっており、中に入ると悪臭がする。それがそのまま大阪府民の飲料水となっている。また、集合住宅のタンクは十分に清掃されていないことがあって、動物の死骸が浮いていたり藻が発生したりしていることがある。配管も清潔とは言い難い。FRP(ガラス繊維強化プラスチック)製のタンクから細かいガラス繊維が流れ出し、胃や皮膚から人体に吸収されて、アスベストのような作用を起こしている。また塩素は必要なものだが、使う直前にはなくなってくれた方が皮膚への刺激がなくなる。そのことが十分に啓蒙されていないため、乳児に湿疹が多発している。

現在広く行われている現実的な対策は、少なくとも飲用水の蛇口には簡便な浄水器をつけることである。また、浴用水については、試用直前に塩素を除去または中和することが、皮膚や髪にやさしい。
これらの対策が普及してきたのは、菊池氏が揶揄的に言う「水関係の人」たちの努力の結果である。

菊池氏は例によって、知らないことをペラペラと気楽にしゃべっているが、水道水の問題にはこういう歴史的な事情と現在の問題点があるのである。そして、この20年ほどの水道水をめぐる議論の中に、菊池氏の発言があったことはない。


菊池氏の突然の議論は、アフリカの難民キャンプやフィリピンの貧民街などと比較して、日本の水道は素晴らしいと言っているような、時期はずれのトンチンカンものでしかない。言えばその通りだが、なんともばかげた議論である。

日本が世界で最長寿国になったことの注目すべき点は、アフリカや熱帯地方と比べて長寿なのではなく、欧米先進国をも追い抜いたことにある。ところが欧米先進国は当然、水道の先進国でもあるのだから、もし日本が最長寿国になったことが水道のおかげであると菊池氏が主張するなら、氏は日本の水道システムが欧米のそれよりも優れていることを示さねばならない。しかし、菊池氏は「知らないことをペラペラしゃべっている」だけだから、そんなことを示すことはできない。
それに実際問題として、欧米の水道システムが日本より劣っているということはないのである。

日本人の平均寿命が延びたのは、水道を含めた公衆衛生のインフラが整ったこと、石油のおかげで重労働から解放されたこと、食糧事情が改善されたこと、乳児死亡率が著しく改善されたことなど、いくつかの要素が重層的に作用してのことで、ひとり水道のおかげではない。

また、いささか余談だが、あまり明らかには語られないが、乳幼児死亡率の減少の背後には、胎児奇形による優生保護的な処理や、死産、流産の問題がある。だから、平均寿命の算出にあたって、先般の社会保険庁の分母対策のような現象が起こっており、生まれてからすぐ死ぬような命は、生まれて来ないことで、平均寿命の計算から除外されている。現在の少子化は、「産まない」だけではなく、「産めない」という問題があるのだ。それは母子手帳の発行数(産む意思)と、実際の出生数との乖離となって現れる。先の写真を眺めて見れば、20年前の水質汚染の問題が、今後も尾を引きそうなことが分かるだろう。



ところで、なぜ、菊池氏はいきなり、「水道水は安全だ」などと言い出したのか。

それは、「水からの伝言」がらみの発想である。
しかしそこには大きな誤解というか、曲解がある。
菊池氏はどうしても江本氏を「全否定」したいらしく、その予断があるので、江本氏の言っていることが素直に理解できず、ヒステリーを起こしているのである。

江本氏は、「水道水はダメだ」とは言っていない。
「水道水は結晶になりにくい」と言っているだけだ。

江本氏の本によれば結晶ができないから水道水はだめなのだということになってしまいます。

という菊池氏の指摘は、「ねつ造」である。

江本氏が最初に「水からの伝言」を出版したのは1994年であり、日本の水資源の危機的状況が、江本氏が水に関心を向けたきっかけとなったようだ。そして水道水の危機が進行していた時代だから、江本氏の著述がそれを反映したものになっているのは自然だ。
私は、江本氏の発言をすべてチェックしているわけではないから、どこかで彼が「水道水はダメだ」という発言をしたのかも知れないが、もしあったとしても、それはこのような時代背景によるもので、その時代にあってはむしろ当然の発言である。それを、今の視点から批判するのはフェアでない、というより、菊池氏の無知や無責任ぶりを示している。

江本氏は、人はもっと水に敬意を表すべきだし、水を大切にし、水に感謝しなければならないと言っている。江本氏は、水道水はダメだから「波動水」とやらを飲め、などとは言っていないし、波動水でトイレを流せとか、車を洗えなどとも言っていない。そんなことは不可能だから、そんなことは言わない。当たり前だ。江本氏が日本の上水道に感謝していないという証拠もどこにもない。 菊池氏の頭の中で、勝手な妄想がふくらんでいるだけである。

逆に、江本氏の、水に感謝しようという考えが、結晶写真という明示的な形で人々に広まることで、人々の水を大切にしようという意識が高まり、我が国の水の危機が乗り越えられた面があることを、私は否定しない。


菊池氏やその仲間たちは、江本氏の仕事には何の科学的価値もないと決め込んでいるから何も見えないが、私は、江本氏が、長年の努力で、「水道水は結晶になりにくい」ことを体験的に発見したことを、人類が新たに獲得した重要な知見だと考えている。

江本氏の結晶技術は、誰でも彼でもできるというものではない。
江本氏の仕事は、科学として認めにくいところはあるかも知れないが、たとえば陶工柿右衛門が手探りの試行錯誤から「赤色」を作り出したような、熟練の職人技であり、結晶写真は名工の作品である。だから世界の人々の心を打つのだ。
キクログの常連の「こなみ」という人は、江本氏よりも劣る技術と劣る条件でろくでもない結晶を作ってみて、そのことから江本氏の仕事を否定している。あるいは、「てめぇの吐く息が凍っただけじゃねぇのかよ」などと野次る者もいる。なんとも呆れた傲慢さである。嘘だペテンだと言いたいなら、ちゃんとした追試をやってからにしたらどうか。それが礼儀というものだ。追試の条件がどうのこうのというのは、自分でやらないための言い訳にすぎない。
キクログの投稿に、キクログ仲間以外の人から、「江本氏の研究所で結晶観察を公開しているのだから、見に行ったらどうか」という提案があったが、まったくその通りである。しかしキクログの人々は誰も行かないし、誰も江本氏と面と向かって話そうともしない。卑小な人々である。



さて、世界のほとんどの水道水は表層水である。雨が河川となって流れ、浄水場でたくわえられて町々に配水される。一方、地下からの湧き水は、雨水が地中にしみこんで、長い年月をかけて湧いてくる。ここに差があるのではないか。江本氏もそのことに気づいているようで、結晶の出現率が大きい水道水について、この水道水は地下水の割合が大きい、などとコメントしている。
表層水は、太陽や大気の影響を受けている。紫外線を浴びたり、ガスが溶解したりしている。湧き水は長年にわたってそれらの影響から遮断され、場合によっては特別な鉱脈や強い磁場の中を通過したりしている。
表層水と地下水には「分子のレベル」で微妙な差が生じているのではないか。地下水同士でも、その湧出の過程によって個々に差があるのではないか。それらの微妙な差が「結晶化」という特殊な状況におかれたとき、結晶の出現率や形状の差となって現れるのではないか。

江本氏の「水は答えを知っている」に次の叙述がある。
空から降った水は何十年、何百年もの年月をかけて土を通り、地下水になります。スイスで30年間、川の水を研究してこられた元チューリッヒ工科大学教授のジョアン・デイヴィスさんは、こうした水を「ワイズ・ウォーター」と呼びます。賢い水というわけです。それに対し、降ったばかりの雨水は、「若者の水」という表現を使います。


「ありがとう」で水は変わらない、というのは、現代の科学者に共通の理解だから、その点で江本氏に反対するのはよいだろう。物理学者としては常道である。しかし、だからと言って、江本氏の仕事には科学的価値はまったくない、と全否定するのは短絡思考である。

「水道水は結晶になりにくい」という江本氏の報告を、「江本氏は水道水はダメだと言っている」と感情的にしか受け取れないのでは、物理の学徒としての資質に欠ける。それどころか、たとえ江本氏が自分の観察結果から「水道水はダメだ」と結論づけたとしても、「待てよ、彼はそう言うが、この報告は物理現象として興味深いのではないか」と一考してみるのが物理学徒というものである。

しかし残念ながら、「水分子の構造は時空を超えて不変だ」などという、まったく証拠のない教義を妄信し、それに反対する者を詐欺師よばわりして、「ニセ科学糾弾大会」を開くような、菊池氏ら「ニセ科学批判者」たちには、このような考えは理解できないのである。
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