キクログ批判 その1
マイナスイオンはニセ科学?
2006.06.22
阪大教授の菊池誠氏が、kikulogというブログを書いている。本稿はそれに対する批判である。
「ニセ科学批判」をする人々に共通する性向は、「個別に見ない」ということである。
たとえば菊池誠氏は「マイナスイオンはニセ科学」と断じ、その論拠として次のように言う。
マイナスイオンとは、大気イオン学あるいは大気電気学という学問領域で言われているnegative
ions というものの「日本的一般名詞」である。それは、大気中に負に帯電して浮遊している微粒子のことであり、それ以外のものではない。そしてそれは電荷の量として実測できる物理的実体である。
それを、negative という言葉は日本人には受け入れられそうもないから、誰かが「マイナス」と言い換えただけのことだ。それがどのような物質であるか、どのように発生させるか、体にいいかどうか、などは、マイナスイオンという物理的実体とは別の話である。
菊池氏には、そのあたりの区別がついていない。「マイナスイオンは体にいい」と言う者を糾弾するために、何の留保条件もなしに、「マイナスイオンはニセ科学」と言う。
しかし「マイナスイオンはニセ科学」と言い切ってしまえば、それはマイナスイオンという現象そのものがニセ科学だと言うのと同義であり、大気電気学そのものを否定するのと同じである。
最近、菊池氏は、大気電気学の泰斗である小川俊雄博士が
このようなマイナスイオンが本当に健康によいのか、またどうしてよいのか。プラスイオンはほんとうに健康に悪いのか、またどうして悪いのかが解決すべき問題となっている
と語っていることに驚いて、
マイナスイオンの「未科学性」 ID:1145352396
「いろいろな商品に健康効果がうたわれている」というのに「解決すべき問題」とか呑気なことを言ってていいのかなあ。たぶん、研究者としてはまじめなかたなのだろうなあと思うのだけど、いいか悪いかわからないものが「健康効果をうたう」ことの是非くらいは考えていただいてもよかったのではないでしょうか
などと言い出して、「マイナスイオンはニセ科学」という言い方を「マイナスイオンの未科学性」と意味不明の言葉で言い換えて、ごまかしている。ふつうは、「知らぬ事とは言え(知らなかったわけだ)、大変失礼しました」と先達に詫びるべきところを、逆にイチャモンをつけている。
私は小川俊雄博士と語ったことがあるが、氏はそのとき、インターネットでニセ科学を批判する者たちに対して
「あの人たちはどうして、知りもしないことをペラペラとしゃべるのでしょうねぇ」
とおっしゃっていた。
大気電気学の研究者は、マイナスイオンが体にいいかどうかは分からないと言っている。それは当然で、誰もそんなことを研究したことがないからである。マイナスイオンが体にいいかどうかを研究するのは、医学とか生物学の分野である。大気電気学の研究者はふつうそこまではしない。
また、別の一例として、私が扱っている水は、それを空気中に噴霧するとマイナスイオンがたくさん発生する。通常の水道水などの倍ほど発生する。これは観測事実である。その一方で、その水を飲用したりしていると健康上注目すべき改善が、広範に、人間だけではなく動植物にも起きている。これも観測事実と言っていいだろう。しかしそれらの2つの観測事実を直接結びつけることができるかどうかは、まだ分かっていない。それらを結びつける仮説を考えることは可能だが、それは仮説でしかない。
その一方で、その水は界面活性が高いという特徴もある。イオンの発生増加と界面活性の上昇は、水が分子レベルで変化を起こしていることの現れだろうが、健康面での結果の多くは、マイナスイオンが発生することよりも、界面活性が高いことの方が関係がある、と私は推理している。
いずれにせよ、このように、「マイナスイオンは体にいい」とは言わずに、マイナスイオンについて語っている人は、世にいくらでもいるのである。
一方で、世の中には、「マイナスイオンが体にいい」とストレートに言う人もいる。H氏とかY氏とか、菊池氏が名指しで批判する人々だ。しかしむろん、マイナスイオンを摂取することが体にどう作用するか、というメカニズムが判明しないうちは、そのような主張は科学としては間違いである。だから、それらの人々を批判するのは別に構わない。彼らは彼らの「仮説」を語っているに過ぎないのだが、往々にしてそれが事実だと思いこんでしまう傾向があるようで、そのような勘違いが起こるのは、
さて、マイナスイオンブームは○○○・△△△・□□□という三人の”権威者”によって牽引されてきた。この三人が揃いも揃って普通の意味での研究者ではなかったこともこのブームの面白いところである。
という、菊池氏の、(いささか品の悪い)論評と関係があるのかも知れない。
いずれにせよ、それらの人々の間違いを批判することは、よいのである。
しかし問題はその先にある。
その批判を、「マイナスイオンはニセ科学」と総まとめにして言ってしまうのが間違いなのだ。それは全否定の表現だから、それでは昔からの大気電気学も否定することになってしまう。それは、たとえば小川博士の長年の業績を否定し、小川博士はニセ科学者だったと言うのに等しいのである。そのような不用意で失礼な発言は、阪大教授の職を賭すほどの重大な事柄なのだが、菊池氏は気づかない。
批判するなら個別に、この人のこの主張は間違いである、あの人のあの主張は言い過ぎである、という形で批判するのでなければならない。それが科学者としてあるべき姿ではないか。しかしニセ科学批判者たちは、なぜか共通の性向として、個別には見ず、安易に全否定してみせるのである。
このことに関連して菊池氏は最近、つぎのように書いている。
きくち 08:13pm on 2006-06-07
「全否定」はなにも生まないんですけどね。いいところまで否定してしまうと、あとあと自分の論理が破綻してしまい、それを取り繕うために別の「全否定」をしなくてはならないというデフレスパイラルになります。
まったくその通りなのだが、菊池氏自身がその間違いにおちいっている。個別に見ることなくすべてを否定してしまうのは、「ニセ科学批判」をする人々に共通して見受けられる性向である。
菊池氏はマイナスイオンについて不用意に全否定してしまったために、それをまじめに研究している人をも否定してしまい、論理が破綻してしまった。それを取り繕うために「マイナスイオンの未科学性」などと、意味不明なことを言い出しているわけだ。
個別に見ない習性は、前掲した菊池氏の表現にもある。(再掲)
マイナスイオン発生装置と呼ばれるものは大きく三種類にわけられる。(1)水を細かく粉砕して噴霧するもの(2)放電によるもの(3)トルマリンを用いたもの。方法が違えば生成されるものも違う。実際、「マイナスイオン」と称されるものは(1)では帯電した細かな水滴(2)では空気中の何かが帯電したもの(3)は何も出ない、ということになる。これらをまとめて「マイナスイオン」と称してもしょうがない・・・・・
まとめて「マイナスイオン」と称してもしょうがない・・・・と菊池氏は言うが、マイナスイオンとはnegative ionsの別称であり、大気中に浮遊する負に帯電した微粒子の総称であって、それがどのようにして作られたか、物質は何か、とは別の概念である。浮遊しているものをまとめて「マイナスイオン」と称しても、何の問題もない。もともとそれが定義である。
しかし逆に、「マイナスイオンの有効性」とか「有害性」などを論ずる場合は、それを作り出す方法や、どんな物質が電荷を担っているのかを個別に見る必要があるし、そうしなければ何も分からないのである。そこのところを「マイナスイオン」でまとめてしまっては、分かる話も分からなくなる。菊池氏は、まとめてはいけないところで自分で勝手にまとめてしまって、「まとめてもしょうがない・・・」と自家撞着に陥っているのである。
また、知識という点で言えば、菊池氏はここで、「トルマリンではマイナスイオンは出ない」とあっさり否定している。トルマリンによって周囲にマイナスイオンを発生させるためには外部エネルギーが必要で、その工夫の一つとして、「微量放射線源」との組み合わせがあるのだが、菊池氏はこの時点でその知識がなかったようである。その後の3月の物理学会のレジメでは微量放射線について少し触れているから、その間に新知識を得たということだろう。実際、
マイナスイオンの項に追記しました。でも、まだよくわからない(2006/2/23)
と菊池氏は書いている。ここで小川博士の論評を再掲しておこう。
「あの人たちはどうして、知りもしないことをペラペラとしゃべるのでしょうねぇ」
しかしそれなのに、同じページで菊池氏は次のように言っている。
でも、「マイナスイオンはニセ科学」という結論は変わらないです。
つまり、「よくわからない」が、「マイナスイオンはニセ科学」という結論は変わらないといういうことだ。
はじめから結論は決まっているのである。 (つづく)