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大阪大学サイバーメディアセンター 菊池誠氏へのコメント
以下は菊池誠氏が、「水からの伝言」現象について、小学校の先生に配っている文書だそうです。
これについて、吉岡のコメントを述べます。
菊池氏の文章(引用)
「水からの伝言」を教育現場に持ち込んではならないと考えるわけ
2005.11.28 阪大サイバーメディアセンター 菊池誠
この文章は、某小学校の先生方と議論するにあたって配布したレジュメです。短いですが、同様の目的で使用するにはこのくらいがちょうどいいでしょう。ご自由にお使いください
1. 明白にニセ科学であること
写真の「結晶」は本物です。しかし、結晶の形が言葉に影響されるという主張は嘘なのです。音楽にも影響されません。江本氏らは「科学的にはまだ証明されていない」といいますが、そうではなく、科学的には完全に否定されています。結晶の形は温度と過飽和度で決まることは、中谷宇吉郎が人工雪の実験で示しました。これは世界的に知られたすぐれた業績です。また、水は感覚器官も頭脳も神経も持たないただの物質なので、言葉の「意味」に反応することはありえません。
ニセ科学を事実であるかのように教えることは、理科教育と完全に相反します。理科離れが叫ばれる今、ニセ科学を学校の場に持ち込むことには慎重であってほしいと希望します。ちなみに、「水からの伝言」は所詮は江本グループが展開する「波動ビジネス」の一部です。
2.道徳に取り入れることの問題点(1以外に思いつく疑問)
仮に結晶が言葉に影響されるとして、それが道徳とどのように関係するのでしょう
結晶形の良し悪し(美醜)を言葉の良し悪しと関連づけることは、「人を見かけで判断してはならない」という道徳と矛盾するように思います。
良し悪しの判断を結晶形に委ねてしまうことは、思考停止ではないでしょうか。良し悪しは自分の頭で考える(考えさせる)べきものだと思います。極端な話、好きなときに結晶が作れるようになれば、人間は善悪の判断を一切自分でしなくてもよくなってしまいそうです。それはまずいでしょう。
そもそも道徳を科学(この場合はニセ科学だが、仮に事実としても)で裏付けようとすることには問題がありそうです。道徳は人間の心の問題であって、科学が介入すべきものではないと思います。
人間の身体の大部分が水でできていることは事実ですが、人間が言葉に反応するのはそのせいではなく、感じる心をもっているからです。人間の気持ちを水のせいにしてしまうのは、人間の尊厳を傷つけるように思えます。
「ありがとう」はよくて、「ばかやろう」は悪いという安直な二分法でよいのでしょうか。誠意のこもらない「ありがとう」よりも愛情をこめた「ばかやろう」のほうがいい場合もあるはず。言葉はそれだけで切り出すべきではなく、「場面」と合わせて初めて意味を持つはずです。
高学年ともなれば、結晶の形が言葉に影響されないことを知っている子供もいそうです。
その場で納得した子供が、あとで「事実ではない」と知ったとき、裏切られたと感じるのではないでしょうか
親が「それは嘘だ」と言ったら、子供は教師と親の板挟みにあいそうです
授業にフィクションを取り入れてはいけないと言っているわけではありません。さまざまな授業で物語が大きな役割を果たすことは重々理解しています。「水からの伝言」は「事実」として教えられるところが問題です。
以上、引用おわり
ここから、吉岡のコメントです。
菊池
写真の「結晶」は本物です。
吉岡
そうです。
菊池
しかし、結晶の形が言葉に影響されるという主張は嘘なのです。
吉岡
江本氏の本意は、「その言葉を書いたり言ったりした人の心に影響される」ということです。
アエラではっきりとそう言っています。ですから、この現象は「非・科学」の世界、精神世界の現象です。それを「科学」で裁くことはできません。
科学者はとかく、「水が言葉を読んで反応するなんてあり得ない」という、「科学的な解釈」だけになってしまって、水は言葉を読んでいるのではなく、書いた人の心に反応しているのだ、という「非・科学的な解釈」にまで思い至りません。
確かに江本氏の表現には舌足らずなところがありますが、江本氏の言葉を善意で解釈する人には、これで通じるのだろうと思われます。善意の人々は、「ありがとう」という文字を書くときに、自然に、「ありがとう」という気持ちを込めて書くので、その心が水に伝わって、江本氏の言うようなことが起こる・・・・かどうか、私は知りません・・・が、少なくとも江本氏はそう言っています。
それをいきなり「うそつき」呼ばわりするのは非礼です。
とにかくこの現象は、「科学」で判断できる現象ではありません。
菊池
音楽にも影響されません。
吉岡
この点については、菊池氏の主張は、科学として明白に間違いです。
結晶成長は周囲の空気振動の影響を受けると考えるのが合理的です。
ただし、そのことはまだ科学的に検証はされていませんが。
菊池氏は、「音楽にも影響されません」とだけ書いています。その意味は、「結晶成長のどの時点で音楽をかけても、それが結晶成長に影響を与えることはない」ということで、それ以外の解釈は成立しません。菊池氏はそう断定しています。しかしそんなことは科学的に証明されていません。
菊池氏はこれまでずっと、そのような「科学的に検証されていないこと」を主張して、小学校の先生を説得して回ってきた、ということになります。
さらに言えば、江本氏流に「凍らせる前に空気振動を与えた」場合はどうかというと、「そんな影響が水に残るわけがない」かどうかは、科学的に検証されないうちは、何とも言えないでしょう。
そしてもし、「凍る前に空気振動を受けた影響が水に残る」ことがあったとしたら、それは「非・科学」の世界の現象ではなく、科学的に解明できる現象であるはずです。
菊池
江本氏らは「科学的にはまだ証明されていない」といいますが、そうではなく、科学的には完全に否定されています。
吉岡
まず、水の状態が、それを取り扱う人の心のあり方(言葉)で変わることがあるかどうか、それは科学で証明されたり否定されたりすることではありません。科学は「心」を扱わないからです。ですから、「科学的に完全に否定されている」という菊池氏の主張は間違いです。
次に、音楽に関しては前述のとおりです。ですから「科学でまだ証明されていない」という江本氏の主張が正しく、「完全に否定されている」という菊池氏の主張は間違いです。
菊池
結晶の形は温度と過飽和度で決まることは、中谷宇吉郎が人工雪の実験で示しました。これは世界的に知られたすぐれた業績です。
吉岡
これも菊池氏は間違っています。この点についてはアエラの記事に対するコメントで、低温科学研究所の古川氏の英文を紹介してありますので、それを参照してください。
もし菊池氏が本気で、今から50年以上も前のコンピューターもなかった時代に、質素な実験設備で中谷先生がやった研究で、水の結晶の出来方はすべて解明済みだと思っているなら、菊池氏には科学者のセンスがないと言わざるを得ません。北大の低温科学研究所では、今も結晶の出来方の研究をしています。菊池氏はそれをムダな研究だと言うのでしょうか。
あるいは、もし菊池氏が、事情は百も承知で、こういう「ガセネタ」をばらまいて小学校の先生を黙らせようとしているのなら、そういう行為こそ「ニセ科学」として糾弾されねばなりません。
菊池
また、水は感覚器官も頭脳も神経も持たないただの物質なので、言葉の「意味」に反応することはありえません。
吉岡
当たり前です。水は言葉を「読んで」いるわけではありません。
菊池
ニセ科学を事実であるかのように教えることは、理科教育と完全に相反します。
吉岡
江本氏の仕事を、「科学」の範疇にあると勝手に考えて、「ニセ科学」呼ばわりをしているのは、菊池氏を始めとする一部の自称・科学者だけです。
菊池
理科離れが叫ばれる今、ニセ科学を学校の場に持ち込むことには慎重であってほしいと希望します。
吉岡
「ニセ科学」を学校に持ち込んではいけないことは、「理科離れ」などという問題とは関係なく、「慎重ならいい」はずもありません。ニセ科学は学校に持ち込んではいけないのです。当たり前のことで、そんなところで「慎重であってほしい」などと留保条件をつけるのは、どうかしています。
ただし菊池氏には、「何が「ニセ科学」か」 を判断する能力がありません。
菊池
ちなみに、「水からの伝言」は所詮は江本グループが展開する「波動ビジネス」の一部です。
吉岡
インターネットなどで「ニセ科学を批判する」という人々の共通点は、自分は国家から金をもらって安穏な生活を楽しみながら、一般社会でビジネスをして日銭を稼いで暮らしている人々を、何か汚いもの、格下のものと見ている点です。
菊池氏のこの文章では、「所詮は」という一句の挿入が、そのことをはっきりと物語っています。
小学校の道徳の時間が問題になっている連想で言えば、戦前の修身で教えていた二宮金次郎は立派なビジネスマンでした。ひとりひとりが国家の禄を当てにせず、自立して生きていくこと、すなわちビジネスをすることは尊い行いであり、国家はそのような「実業」によって支えられているのです。
国立大学の教官の「教育業務」は実業でしょうが、研究活動は実業社会の滋養を吸い上げて行われていることです。そういう立場の人々が、実業社会に向かって、相手を名指しで「うそつき」などと罵詈雑言を浴びせ、その営業活動を妨害するなどという行為は、してはいけないということはありませんが、もしやるならば、よほどの調査と見識の上に立って、もし自分が間違っていたら職を辞する覚悟でやるべきです。
残念ながら菊池氏の言動には、そのような調査も見識も、覚悟さえも見あたりません。
「所詮は「波動ビジネス」の一部だ」という言い方は、「どうせそんなもんは金儲けのためだろうよ」という意味です。「自分は高潔に、金儲けなど考えずに誠実に生きている。江本氏は、ウソ八百を並べ立てて金さえ儲かればそれでいいという人である」と、菊池氏は考えているようです。
しかし、人間はそのような卑しい動機で、毎日毎日、結晶の写真をとったり、アメリカやヨーロッパまで出かけて講演をしたりしません。人間は、そういう生き物ではないのです。また、そういう卑しい動機で活動する人の講演会に、長年にわたって世界中の人々が集まるということもありません。
菊池氏には、人にはそれぞれ「こころざし」があるということが分かっていないようです。
江本氏の活動は、「水からの伝言」などの著作や思想活動が本質であり、「波動ビジネス」はその活動を支えている、というのが、世界共通の素直な理解です。私自身は江本氏の「波動ビジネス」に関心はありませんが、江本氏が何を売ろうが、誰がそれを買おうが、それが法に違反する行為であれば司直が取り締まればよいことであって、菊池氏がつべこべ言うことではありません。
江本氏の活動に対する菊池氏のような解釈は、菊池氏自身の卑小さの現れでしょう。
そしてそれもまた、インターネットなどで「ニセ科学を批判する」という人々に共通しています。
菊池
2.道徳に取り入れることの問題点(1以外に思いつく疑問)
吉岡
1以外に思いついた、ということですが、相当に程度が低いと言わざるを得ません。幼稚と言っていいでしょう。「高校1年のホームルームで討論してみました、その議事録です」という程度の文章であり内容です。これでは、小学校の先生を説得できるはずもありません。この稚拙な文章によって、菊池氏が小学校の道徳教育に介入する能力がないことが歴然としてしまっています。
もし菊池氏が、この程度の論理であちこちで議論して「説得できた」と思っているなら、それは菊池氏が世間知らずということでしかないでしょう。小学校の先生は大人ですから、面と向かって大学の先生を軽蔑したりはしませんが。
それに、、1 の文章の一言一句がすべて、前述のような悲惨な状況ですから、1以外にいくら思いついたところで何の意味もありません。
おわりに
阪大の物理と言えば、湯川先生や坂田先生の栄光の歴史がありますが、菊池氏の言動を見ると、それも地に落ちたのか、という印象です。基礎工では故川井直人先生のユニークな活動があり、私も学生時代に川井先生の薫陶を受けたことがあります。いま私たちは、川井先生の流れを汲む人たちと、限られた予算と時間をやりくりしながら、水の物性についての研究をしています。2006年には発表できる結果が出ると思います。
(おわり)
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