リブレヒト教授へのサジェッション
 2006.10.18

親愛なるリブレヒト教授、

突然お手紙をさしあげ、あなたをわずらわせることをお許しください。
私の名は吉岡英介といい、35年ほど前に京都大学を卒業した者で、そこで私は原子核工学を専攻していました。
あなたのサイトの、江本勝氏を批判している記事に関して、私はあなたに日本で入手可能なさらなる情報をお伝えしたいと思います。またいくつかの質問と示唆もあります。
あなたは江本氏の仕事に何の科学的価値も認めませんが、私は純粋に科学的な観点から、別の意見を持っています。
私はここで、私が江本氏の関係団体のメンバーではないことを明らかにしておきます。私は3年ほど前に大阪で開かれた彼の講演会に出席し、彼を見たことはありますが、彼とはそれ以外の関係はありません。

マイナスイオン水

私は、私のサイトをマイナスイオン水ドットコムと命名しています。おそらくそれは、あなたには奇異に聞こえるだろうと推測しますが、私はマイナスイオン水について合理的な定義を持っています。大気中には正のイオンと負のイオンが浮遊しており、それらはイオン検出器と呼ばれる機器で検出することができ、それらは地球科学者や地震学者などによって研究されてきています。
ふつうの水自身が、霧滴化されて大気中に噴霧されると負のイオンを生み出す性質を持っていることが、よく知られています。つぎのデータは水を霧滴化して大気中に噴霧して負のイオンの数を測定した、私たちの実験の結果です。


 ふつうの水道水         空気1ccあたり 22000個
 私たちのマイナスイオン水   空気1ccあたり 42000個






私たちの水はふつうの水道水の2倍の数の負のイオンを生み出していますから、私たちはこれをマイナスイオン水と呼んでいます。多くの日本人にとって英語の「マイナス」」という言葉のほうが「ネガティブ」という言葉よりずっと親しみがあるので、私たちは、私たちの水をマイナスイオン水と名付けたのです。
私たちのマイナスイオン水は、下図に見られるように、水道水を強い磁場(磁石だけではなくそこには特許の小さな特別な工夫があります)の間を通すことによって、水道水そのものから作られます。左側の図の4つのブロックは磁石です(すみませんが日本語だけです)


図. マイナスイオン水生成器の原理

私たちの機器は水にさわっていませんから、マイナスイオン水の組成はもとの水道水と同じです。ですから私たちは、負のイオンの生成の差は、水の組成の変化によるものではなく、水自身の構造的な変化、それが機械的であれ電気的であれ、によると推論しています。


リブレヒト教授の江本勝氏の仕事に対する批判
http://www.its.caltech.edu/~atomic/snowcrystals/myths/myths.htm

水に隠されたメッセージ
江本勝の仕事についてどう思うかって?私の意見を聞いているのか?
短い答えはこうだ。私は江本氏の仕事はいつものニューエイジナンセンス、ありふれた「わけのわからないおしゃべり」に過ぎないと思う。
もしあなたが、江本氏について聞いたことがないのなら、彼はいくつかの本を出版していて、氷の結晶は、水が異なる想念や感覚に最初にさらされると、違ったように成長すると主張している。たとえば、彼は異なる容器にある水に対して、ジャズとかクラシックとかロックとか種類分けされた音楽を演奏する。そのように「処理された」水は、ほかの条件を同じようにして、結晶成長に使用される。彼は、異なる音楽的処理は、異なる型の雪の結晶を生み出すと主張し、それを証明する写真を我々に見せる。

もしあなたが、水がそんなことをするとは常識に反すると考えるなら、あなたは正しい。実際、水は想念や感覚に反応することはない。それは単に水である。

では、人は江本氏の実験をどう説明するのだろうか?
私の最善の推論はこうだ。江本氏は数百もの結晶を育て、彼が作りたいと願う、それがどのようなものであれ、それを表現するような違う型の結晶を、そこから選び出すのである。
たとえば、水が古典音楽にさらされたなら、彼はいくつかの美しい結晶を取り出して我々に見せる。ロック音楽の場合は、彼は醜い結晶を選んで、それらを我々に見せる。彼の結論は、ロック音楽が醜い結晶を作る一方で、古典音楽は美しい結晶を作る、となる。彼が我々に見せないのは、どちらの音楽処理も実際には同数の美しい結晶と醜い結晶を作る、ということである。科学の仲間ではこれを、自分の仮説に会わせるようにデータを取り出すと言って、もしそれをやればもちろん詐欺と見なされるのである。

私が、江本氏がこれをやっていると知っているかって?いいや、だから私は推論と言っている。
江本氏は彼の仕事を、綿密な調査がある著名な科学の学会から出版したことはない。彼は、自分が何を言っても自由な自己出版の本として、それを提供するだけである。基礎的な物理学から言ってその主張は正しいはずがなく、江本氏は彼の実験が何らかのメリットをもつと、科学界を納得させてはいない。

私はしかしながら、ひとつのことを確実に知っている。もし江本氏の仕事が正しいなら、それはただちにノーベル賞に値するだろう。(そして、ノーベル賞は大きな名誉であるだけでなく、数百万ドルの現金賞であることも、私は指摘せねばならない)しかしその仕事は正しくなく、現在までもっとも小さな科学的な注意さえひいていない。それは単にそれ自身を科学のように見せかけようとする、ニューエイジナンセンスのもうひとつの例(ほかに非常にたくさんの例がある)にすぎない。


江本氏の仕事についての付加情報


リブレヒト教授、あなたに最近日本で発表された記事をお見せしよう。日本の高級雑誌のひとつであるアエラが江本氏の仕事について昨年12月に、下に見られるひとつの記事を発表した。有吉さんという女性記者が、江本氏に許されて彼の講演会に出席し、そして江本氏の仕事を数年間にわたって批判してきた4人の科学者のコメントを紹介しながら、江本氏を一方的に非難する記事を書いた。



記事の中には下記のような江本氏のインタビューがある。その中で江本氏は、自分の仕事は科学ではなく詩や夢物語のたぐいのものだと明確に言っている。


彼は結晶を選んでいる

また、かつて私が3年ほど前に大阪で開かれた彼の講演会に出席したとき、江本氏は何の躊躇もなく、彼は本を出版するときには、いくつかの結晶の中からもっとも気に入った結晶を選んでいると述べていたことを私は覚えている。たとえば、彼がどこかの美しい泉の水の結晶の写真を見せるとき、彼は、その泉の水のいくつかの結晶の中から、その泉についての彼の考えをよく表している結晶を選ぶ。

そうしないことがあろうか?

私は、それはふつうの人がする自然な方法だと考える。
人は醜い結晶を選ばなければならないのか?
あるいは人は、自分の本の限られたページにすべての写真を提示せねばならないのか?

同様にして、彼がモーツアルトを「聴いた」水の結晶についての夢物語を書くとき、もちろん彼はその物語に最適の結晶を、モーツアルトを聴いた水の中に現れた結晶の中から選ぶのである。
もし、私たちが、彼の仕事を科学の類だと認識するなら、結晶を選ぶのはフェアでないだろう。しかし、もしそれが彼が言うように単に夢物語であるなら、物語作家にとっては結晶を選ぶのがむしろ自然であり得るだろう。

あなたの推論

あなたは江本氏を次のように非難している。

たとえば、水が古典音楽にさらされたなら、彼はいくつかの美しい結晶を取り出して我々に見せる。ロック音楽の場合は、彼は醜い結晶を選んで、それらを我々に見せる。彼の結論は、ロック音楽が醜い結晶を作る一方で、古典音楽は美しい結晶を作る、となる。

その通り、そこまではあなたは正しい。あなたは推論する必要はない。江本氏は、自分が結晶を選んでいる事実を自分で認めているのだ。

しかしその次の文章は正しいとは限らない。

彼が我々に見せないのは、どちらの音楽処理も実際には同数の美しい結晶と醜い結晶を作る、ということである。

それは、あなたの推論である。

私は、あなたが、その水が古典音楽でも何でも、何かにさらされたかどうかで結晶を形成する過程に、違いがあるはずがないという、専門家としての経験から判断していると理解する。
しかし、もし我々がそれらの音楽を空気の振動と認識するならば、異なる振動にさらされた水の間で、結晶を形作る過程になんらかのかすかな違いや傾向が、ひょっとしたらあるかも知れない。
たぶん、江本氏は彼の幻想的な心で、それらの水がどんな音楽にさらされたかによって、美しい結晶の数と醜い結晶の数に違いがあると感じているのだろう。
私は、空気の振動と結晶形成との間の関係についてそれほど興味があるわけではないが、少なくとも私たちは、江本氏の観察において美しい結晶の数と醜い結晶の数が同じであるかどうかは、彼がデータを公開しない限りは分からない、と言わねばならない。

それは詐欺か?

そして最後にあなたは、江本氏の活動を詐欺と非難する。

科学の仲間ではこれを、自分の仮説に会わせるようにデータを取り出すと言って、もしそれをやればもちろん詐欺と見なされるのである。

もし江本氏が、モーツアルト以外の音楽にさらされた水の結晶を選んで、それをモーツアルトと結びつけたのなら、たとえそれが夢物語であったとしても、そのような行為は詐欺として非難されねばならない、と私も思う。
しかし、彼がやったことは、モーツアルトにいったんさらされた水の結晶の中から、もっとも好ましい結晶を選んで、それをモーツアルトと結びつけて、モーツアルトの夢物語を作ったのである。
実際に、彼の本の中のすべての写真は、彼によってこのような方法で選ばれている。もし彼が、これはカリフォルニアの水の結晶だ、と言ったら、それは実際にカリフォルニアの水から出来た結晶の中から選ばれたものであって、アリゾナの水やコロラドの水や、どこかほかの水ではないのである。江本氏にとって、この点で人々をだます理由はないだろう。なぜならとにかく結晶はたくさんあるからだ。
私は、江本氏はそのようなやり方を偽造とはまったく考えていないと理解する。彼はモーツアルトの結晶の中からモーツアルトの結晶を選び、モーツアルトの夢物語を創造する。彼の物語は、彼の頭の中で彼にとっては何の矛盾もなく完成されるのである。それは単に彼の思考法なのである。
そうであれば、私たちは彼を詐欺師と非難すべきなのだろうか?

それは宗教の類である

そして、江本氏は次の段階に進む。彼は、水は人間の意識や言葉、書かれた文字にさえ反応するという。
この場合でも彼は、彼の感覚や感性にしたがって結晶を選んでいる。
だから、どんな科学者にとっても、彼の報告が真実かどうかを追跡したり証明したりすることは不可能である。そこには初めから、客観性や再現性はないのである。
私はそれは、「科学の枠外」(非・科学)だと考える。そうであれば、それは科学的な批判の範囲外にあらねばならない。それは宗教の類ではないか。

もしあなたが彼の考えをニューエイジナンセンスと非難するなら、私たちは、死んだ男が3日後に生き返ったという、もうひとつの有名な話を思い出してもよいだろう。

人々は、その復活の物語を科学的真実として信じているだろうか?いいや、そんなことはない。
では、人々はそれをオールドエイジナンセンスとして非難するだろうか。いいや、そんなことはしない。

人々は、死んだ人間は決して復活しないと科学的に理解している。なぜなら、それは死の定義に反するからだ。
しかし彼らは復活の物語を信じている。それは科学の枠外である。それは宗教である。
人々は、たとえそれが科学的に間違っていても、自分が信じたいことを信じる。
それが人間社会というものではないか?

それでは、人々は江本氏の仕事を科学として信じているのか?
あるいは人々は、現代の科学者たちが、水が人間の言葉や考えを認知するという現象を、少しでも認めたり承認したりすることがあるとでも期待しているのだろうか?

決してそんなことはない。

健全な常識のある人々は、江本氏の仕事を科学の感覚で信じているわけではない。
人々は、科学は世界の半分を説明できるかも知れないが、ほかの半分は説明できないと知っている。
現代科学が説明できない、もうひとつの世界がある。
人々は江本氏の物語を、もうひとつの世界の夢物語、あるいは私はそれを宗教と言うが、そういうものとして受け入れているのである。

日本では、数人の科学者たちが江本氏の思想そのものを非難している。彼らは多くの日本の人々がすでに江本氏の仕事を科学として信じてしまったと考えている。そして、彼らは、もし彼らが社会に対して何らかの警告を発しなければ、多くのほかの人々もそのワナに落ちることになるだろうと考えている。しかし、それは単に彼らの誤解に過ぎない。実際の状況はそうではない。江本氏の仕事を科学として信じている人々はそれほど多くはないのである。

日本では、数百人の小学校教師たちが、江本氏の夢物語を子供たちに見せることで、子供たちに他の人々に感謝する心の大切さを教えようと試みている。彼らは言う。「命のない水でさえあなたの良い心に答えるのだから、家族や友人や隣人たちがそうしないことがあろうか」と。

この教訓の最初の半分は単に夢物語に過ぎないかも知れないが、残りの半分は真実である。もしあなたが人々に感謝すれば、人々はあなたに感謝するだろう。もしあなたが人々を憎めば、人々はあなたを憎むだろう。これは人間社会の真実であり、子供たちがどこかの段階で学ぶべきことである。したがってその教訓はムダではない。
しかし科目はもちろん道徳であって、科学ではない。

江本氏は教師たちにそうすることを強制してはいないし、指導もしていない。
教師たちが、自分たち自身で江本氏の本を読み、彼の考えを彼らの教育内容に取り込んできたのである。
そうであるから、かの日本の科学者たちは、その問題をそれらの学校教師たちと議論することはできても、江本氏に対して彼の夢物語を放棄させようとするような、インターネットでの合唱や社会運動を推進することは許されない。日本国憲法はそのような野蛮な行為を許さないのである。

ところで、教師たちの願いとは対照的に、子供たちは教師の声を半分聴いているだけで、残りの半分はそんな退屈な授業から抜け出して野球でもやりたいと思っているのである。近代化された国で宗教的な子供を育てることは難しいものである。

科学的な可能性

では、江本氏の仕事には科学的に再認識すべき余地はないのだろうか。

私は1点だけ科学的にさらに考察を進めるべき点があると思う。それは江本氏が、結晶が現れる確率はサンプルによって違い、そこにはサンプルによる傾向が見られると報告している点である。
彼は試料の水を50の容器に分けて、それらを凍らせる。たとえば東京のような大都会の水道水は、50の容器のうちに何らかの結晶を見いだすことは難しいが、たとえばある有名な泉の水の場合は、5個か6個に結晶が見られる。それは約10%である。すると江本氏は、その水は力のある、よい水だと評価するのである。

しかしながら、私たちの結果はもっと注目すべきものであった。
私たちは東京の水道水から作った私たちのマイナスイオン水を江本氏の施設に持ち込んだ。それは、いつものように50の容器に分けられ、その結果として彼らは47個の容器に結晶が見られた、と私たちに報告してきた。それは94%の確率である。





   私たちの結果は   47/50 = 94%



   図. マイナスイオン水の結晶



先述したように、私たちのマイナスイオン水は、大気中にふつうの水道水よりずっと多くの負のイオンを作り出すことができる。水の組成には違いがないのだから、それは水自身の構造において電気的なあるいは機械的なわずかな未知の変化の結果であり得ると私たちは推論している。

そしてここで、私たちは水の試料の違いによる結晶出現率の違いを見いだしている。
それもまた、水自身の構造の、わずかな未知の変化を示唆しているのかも知れない。


江本氏の結晶観察の方法

江本氏の結晶観察の方法は、まず約1ccの水を、ひとつの容器に垂らし、それをマイナス25度の冷凍室に2,3時間入れておく。するとその水は凍って、キスミーチョコレートのような形を作る。それから彼らはそれをマイナス5度のほかの部屋に持ち出して、明るい光りの下で顕微鏡で観察する。顕微鏡の拡大率は200倍ほどである。
彼らは、キスミーチョコレート型の、頂点の部分だけを観察する。他の部分は見ない。彼らは、結晶の枝の部分は水平方向に成長し、同時に結晶の厚みが垂直方向に上がってくるように成長すると言っている。

結晶はどのように形成されるのか

私は、氷が光源からの熱で溶け始めると推察する。そして氷の表面から蒸発が始まる。
すると図に示すように、氷の表面に沿ってキスミーチョコレートの形の頂点の方向に向かって水蒸気の流れが生み出される。水蒸気の流れが氷の頂点を離れるとき、断熱膨張のような効果が起きて、氷の頂点部分あるいはその周囲の水蒸気の温度を再び低下させるのではないか。その温度は頂点のあたりの水を再び凍結させるのに十分なほど、あるいは頂点の周囲の水や水蒸気を結晶化させるのに十分なほど低くなるのだろう。

これは私の推論に過ぎない。

しかし、もしそれが正しければ、水蒸気の量、流れのスピード、キスミーチョコレートの形や傾きなどが、江本氏の結晶化方法において重要となってくるはずだ。あるいは、もし照明器具から供給される熱の量が重要であるなら、江本氏が電気器具店で購入した照明器具が、たまたま適切なものだったわけだ。

江本氏の観察は、観察の条件が正確でなく、安定でなく、専門的でもないという理由で日本の科学者たちに厳しく批判されている。そして結局、彼らは江本氏の仕事のすべてを、あまり注意深い考察なしに否定し、排除するのである。

しかし私は、江本氏の観察における、結晶出現率は、もっと注意深く取り扱われるべきだと考える。実際のところ、江本氏は結晶出現率は試料によって違うと言っている。たとえば、地下水は表層水よりもずっと結晶形成の確率が高い傾向があると、彼は示唆している。
私は、江本氏が熱心に繰り返し言及している、結晶の美しさとか完璧さは、結晶の出現率と関連していると考える。なぜなら、もし出現確率が高ければ、それだけ結晶が自らを美しく完璧なものにする機会が多くなるだろうからだ。しかし美しさや完璧さは人間の感性で評価されるので、それらを科学の考えで取り扱うことは難しい。しかし他方で、結晶の出現率は、水自身の構造的変化が起きている可能性を示唆する、客観的で再現性のある科学的指標となりうる。

負イオンの数と、結晶化の確率、これらの2つは、分子レベルでの水の構造的変化を示す指標となりうる。


もうひとつの実験

もうひとつの実験結果がある。私たちは下図のような2つの循環配管路を作った。



左はその回路図である。
それらはごく簡単なものである。
水はタンクからポンプに回り、それから10m長さの鉄管(材質はSS、さびやすいふつうの鉄)を通ってタンクに戻る。2つの回路はまったく同じに作られている。2つのシステムの間でのただひとつの違いは、左のシステムには私たちのマイナスイオン水生成器がついていることである。写真ではタンクの上に見られる光る銀色の物体である。その器具は配管の中の水に直接触れることはない。

私たちは2つのタンクに同じ水道水を入れ、ポンプを運転するスイッチを同時に入れた。72時間運転した後に、水のサンプルをタンクから取り出した。

左側は左の回路の水である。サビがない。

右側は右の回路の水である。たくさんのサビがある。

その実験は、学問研究用の極小磁場の検出器などを手作りしている、カーシュビンク博士などもときどき訪ねてくる、民間の小さな研究所で行われた。

リブレヒト教授、あなたは実験結果が何を示唆していると考えるだろうか?
私たちは、水自身の構造に何らかの変化が起きているに違いないと信ずる。


ワインの味が変わる

もうひとつおもしろいパフォーマンスがある。私たちのマイナスイオン水はボトルの中のワインの味を変えることができるのである。
私たちはこのパフォーマンスを当地の人々に毎月実演している。ほとんどすべての人々が、ブラインドテストであっても味が変化したことを感ずることができる。

数ヶ月前に私たちはそのパフォーマンスを国立神戸大学の教授たちに見せる機会を得た。私たちが大学を訪問すると、4人の教授たちが応接室にやってきた。1人は農学博士、1人は理学博士、1人は工学博士、もう1人は医学博士であった。そとき私たちは、それは日本でもっとも知的な人々の集団のひとつに違いないと思ったものである。

私たちはミネラルウォーターを2本と、いささか渋みのある安い赤ワインを2本買ってそこに持参していた。(味の違いをはっきりと見いだすには安いワインを選ぶことが大切である)

私たちは聴衆の面前で2つのバケツをミネラルウォーターで満たした。ひとつのバケツはふつうのミネラルウォーターで満たされた。他のひとつは私たちの器具を通ったミネラルウォーターで満たされた。
私たちは、私たちの器具が水に直接触れていないことを確実に見せるために漏斗を用いた。
このような、水の設備のない応接室では、瓶入りの水を使うのが簡単なので、私たちはミネラルウォーターを用いた。それに聴衆にとっては、封印されたミネラルウォーターが目の前で開けられるのを見る方が、いっそう疑わしさがないのである。



それから私たちは、店で購入してきたばかりのワインボトルをバケツにつけた。封印はもちろん開けられていなかった。ワインと水との間には直接の接触はなかった。それから1時間ほど、私たちは私たちの器具を説明したり、聴衆と議論したりした。それから私たちは瓶を開けてワインパーティを楽しんだのである。

すべての博士たちが、ブラインドの状態(どちらがどちらか分からないようにした状態)でもワインの味の違いを感じることができた。

この不思議なパフォーマンスには再現性がある。それはいつでも起こる。それは不思議ではあるが手品でも「だまし」でもない。その背後には科学的な理由があるはずだと私は信じる。

私たちは、他にも幾百もの良い結果を、農業や食品産業やレストランや水産業や畜産業、人々の健康などの適用分野で経験しており、それは組成の変化を示すものではなく、水自身の構造の変化を示唆するものである。また、私たちは、私たちのマイナスイオン水の蒸発速度がふつうの水より早いという計測結果を得ており、それはキスミーチョコレートの頂点での結晶形成の確率が大きいことを、もしかしたら説明するものかも知れない。

私たちは今、いくつかの方法で研究を進めている。
私たちは、水自身の中を直接見ようと試みている。

さらなる研究が要求されている

リブレヒト教授、あなたは、結晶を観察するあなたの器具は、単純な霧箱だと言っています。そうであれば、あなたの結晶は明らかに水蒸気から形成されていることになります。一方で、江本氏の結晶は、液体の水から出来ており、水の中に出来ているようにも見えます。
また、あなたは結晶をさまざまな条件下で観察しており、それらの条件とは温度とか湿度とか電圧とかなどであり、それらは水そのものの条件ではないと私は理解しています。あなたは水の試料の違いによってなんらかの違いが出るとは予測していないし、調べもしていないと思われます。
しかし江本氏は、ほかの条件を彼が出来うる限り同一にして、水の試料の違いによる結晶の違いを観察しています。彼は世界中からサンプルを得ており、それらは表層水であったり湧水であったり水道水であったりし、さらに彼は試料を異なる振動で揺することで、異なる履歴を与えたりさえしています。

私は、これらの2つの実験は異なる現象を観察していると考えます。

たとえ江本氏が科学の専門家ではないにせよ、たとえ彼が言うことがすべての科学者にとって奇妙であるにせよ、私は、彼の研究を科学的なやり方で、願わくば水の結晶の専門家によって、さらに進める余地があると信じています。もちろんそれらの科学者は、江本氏の夢物語からは切り離されていなければなりませんが。

2006年10月18日
あなたの忠実なる


吉岡英介
吉岡事務所 代表

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