菅総理 退陣間近

2011.08.20


菅総理は退陣を決意したようです。党内外の事情から、やむを得ません。

原子力安全庁を新設して経産省から切り離し環境省のもとに置くという、最後の仕事にメドがついてヤレヤレといったところでしょうか。あとは後継者に託してサバサバしているようです。やめると決断してしまえば、これ以上はやってられねぇよ、という気分もあるでしょう。

この5ヶ月間の修羅場の中で、菅総理が適切な判断で国を救ってくれたことに感謝します。

しかし、それにしてもこの5ヶ月間の菅総理への批判、風当たりはたいへんなものでした。ふつうの神経の者には、このような批判の嵐は耐えられなかったでしょう。この危機にあたって、ふつうの神経でない総理を持ったことが日本の幸運でした。噂通りに、毎日毎晩、伸子夫人に支えられていたのでしょう。伸子夫人もふつうの神経ではなさそうです。


冷却水が失われたら数時間で炉心がメルトダウンすることは、原子力関係者の間では常識です。そういうシミュレーションもかなり以前に保安院で行われていて、6時間か7時間と算定されていたことも明らかになっています。
そして、地震の揺れであちこちの配管が破断して冷却水が噴き出し、それを見て現場は総員退避になったわけですから、原子炉がそのあと数時間でメルトダウンするだろうことを東電は知っていました。そして実際に、地震後のごく初期の段階で福島の1号2号3号の原子炉がすべてメルトダウンしていました。東電はそのことを最近になって認めました。

そういう状況でしたから、菅総理が地震直後に福島に視察に行ったために、その時間ロスで建屋が爆発してしまったとか、菅総理がわざわざ海水注入を止めさせたとか、菅総理でなければ今頃原子炉はみんな無事だったはずだとか、そういう批判がしきりに流布されていましたが、すべてガセネタだったということです。


まぁ、こういう批判に菅総理はよく耐えたと思います。




ただし、唯一あり得る批判は、どの範囲を避難させるかという判断に対するものです。

批判者はこれを持って菅総理は万死に値すると言っています。
情報の隠蔽によって移動できなかった何百万人もの人が将来ガンになると批判します。


このことについて考えてみましょう。

私たちは現実を見なければなりません。現実はどうか。

わが国には原発事故に的確に対処する条件が、もともとほとんど無い。これが現実です。わが国には福島市や郡山市などの大都市をevacuate(空にする)するだけの、金も人も移住先も、いよいよギリギリになるまではありません。ましてや、関東一円や東京を、evacuateするなど、できるはずもないことです。


目に見えて火の粉が降り注いだり、水があふれ出したりするということならともかく,目に見えない放射能がしんしんと降り注ぐという状況で、福島市や郡山市の何十万という人々を他の土地に強制移住させるだけの、金も人も、移住先も、いよいよギリギリになるまではわが国にはないし、それを決断して国民に強制できるだけの強固な政治権力もありません。


もし日本で、目に見える危険ならともかく、目に見えない危険に対して、福島市クラスの大都市を強制疎開させようとしたら、民家から工場から商店からオフィスから病院から学校から寺院から役場から、すべてを強制疎開させようとしたら、そのとたんにさまざまに議論は沸騰し、おそらくその決断をした政権はすぐにつぶされて結局、強制疎開はできず、政府は無力化して統制がとれず、民は先が見えずに途方に暮れるという状況になったでしょう。ましてやすでに大津波で数十万人が家を失っている状況です。

菅政権はそういう混乱を避けました。だから「20ミリシーベルト」なのです。
1ミリシーベルト以内が法律だ、法を守れ、それが法治国家だ、と言う人もいますし、20ミリでは学者の良心が許さないと辞任した人もいましたが、菅総理の思念は別です。どこまでが安全かということではなく、どこで区切れば福島や郡山が外せるかという政治判断です。(ただし、それをそのまま言っては政権がつぶれますから、政権はそうは言いません)

そしてそれはたぶん、菅政権単独での決断ではありません。なぜなら、自民党の石原幹事長はSPEEDiの情報が自民党にも届いていたことを明らかにしていますし、それが福島県庁に届いていたことも知られているからです。つまり、与党と野党と当事者である福島県とが暗黙の合意のもとに、福島市や郡山市の疎開を避けたのです。



日本人はパニックは起こさない、自分で判断できる、だから政府は正直に情報を出せばよい、と言う人がいますが、それは日本人というより、人間というものを買いかぶった、非現実的な夢想です。
もし3月の原子炉の爆発時に、政府が「原子炉3基がメルトダウンしました」とそのまま発表していたら、東京は大パニックになっていたでしょう。発表直後に、新幹線も在来線もギュウギュウ詰めになり、高速道も一般道も超渋滞、ガソリンスタンドは長蛇の列、何百万人もの人が関東脱出を図って右往左往し、首都圏経済はもぬけの殻、日本経済はマヒしてほとんど再起不能になったでしょう。


菅総理の判断は、福島の人々に忍耐を求めることで、日本全体を救うという判断でした。
そのことについて総理は「批判は甘んじて受ける」ということです。


3月当時、私の息子一家は千葉市に住んでいました。

3月14日の3号炉の爆発を見て、私はすぐに息子に電話して、神戸に避難するようにアドバイスしましたが、息子はいろいろと事情があってすぐには動けず、3月16日の夕方にようやく一家3人で神戸の我が家に来ました。それから1週間ほど我が家に滞在した後、関東は一応平静なようだし、娘の幼稚園の卒園式があるし、4月には入学式があるし、自分も職場を長く離れているわけに行かないし、ということで千葉に戻って行きました。(前から決まっていたことですが、息子一家は7月にアメリカに移動しました)
もし政府が、原子炉はメルトダウンしました、と発表していたら、千葉に戻るという判断にはなっていなかったでしょうが、それよりも、そもそも電車や道路がいっぱいで千葉から神戸に移動できていなかったでしょう。


避難するかどうかの判断は、それぞれの事情があって悩ましいところです。
福島には、やむを得ず避難しないで住んでいる人々がたくさんいます。
それを政府の命令で避難させるとすれば、逆に強硬な反対論が出てくるでしょう。

菅政権の判断を一方的に責めることはできません。

そもそも何が悪かったのか?
日本のような地震の多い人口密集地に原発を乱立させたことが悪かったのです。

菅でなければもっとうまく出来たとか、とにかくあいつをやめさせればいいなどという主張は、一方的なデマでしかありません・・・・・が、デマが成功して菅総理退陣、脱原発は黄信号です。

トップに戻る