改憲論者の正体見たり枯尾花

2016.06.08


この2〜3ヶ月で「日本会議」について様々な本が出ましたので、いくつかを読んでみました。




その中でも、菅野完氏の「日本会議の研究」が出色です。同会議の樺島事務総長が出版差し止めの提訴をするなど話題ともなり、本はベストセラーになっています。膨大な資料の解析と実地の調査とに基づく労作です。本書の功績は、安倍らの改憲願望が空疎な観念、あるいは妄想でしかなく、まったく実現不可能であることを明らかにしたことです。

改憲勢力の実態
昨年11月に日本会議が主導して日本武道館で「憲法改正1万人集会」が開かれました。
菅野氏は一般参加で集会に参加し、その様子を観察しました。参加者は崇教真光の3千人動員を筆頭に、宗教団体の動員が9千人以上で、そのほとんどは高齢者でした。


何を変えたいのか
そしてその集会では、憲法改定の内容は語られず、唯一、櫻井よしこ氏が「緊急事態条項」の新設と「家族条項」について触れただけだったそうです。憲法9条は問題にもなっていないのです。
自民党の高村副総裁は昨年の戦争法可決によって「自衛隊をいつでも海外に出せるようになったので9条の改定は不要になった」とテレビ討論で語っていました。自民党も9条を変えるつもりはなくなったようです。

では安倍は何を変えたいのかというと、安倍は歴史も法律も会得したことがありませんから、何をどう変えたいという具体的な考えはありません。単に情緒的に天皇中心の戦前に戻したいだけで、自分は改憲したぞ、と祖父の墓前に報告したいだけです。

「個人」と「人」
家族を重視する自民党の改憲案は、「国民はすべて個人として尊重される」という文章の「個人」を「人」に置き換えています。これは改憲案の起草者にとっては大切なところで、日本には西洋的な個人主義はふさわしくない、もっと家族や公共を大切にすべきだという考えがあって、それで変えているわけです。
しかるに国会での「なぜ変えるのか、なぜ個という文字を削除するのか」という野党の質問に対して、安倍は「さしたる意味はない」と答弁しました。これは安倍は、野党や国民をはぐらかそうとしたのかというと、どうやらそうではなく、単に安倍にはその違いを理解する知能がないということのようです。

東京都知事の桝添は、何とも恥ずかしい男ですが、着任の記者会見で、憲法の「個人」を「人」に変えてはならない、と自民党の改憲案を切り捨てています。
なぜなら「人」の対向概念は「犬猫」であり、「国民は人として尊重される」と書いても、犬猫のようには扱わないという意味でしかなく、そんなことをわざわざ書く憲法などない。一方で、「個人」の対向概念は「政府」とか「権力」であり、「国民は個人として尊重される」とは、政治権力は個人のことに介入してはならないという意味であり、そこには人類の歴史の成果があるのだと述べています。

憲法とは何か
そもそも憲法とは、国民に教訓を垂れるためのものではありません。日本会議や自民党はそこをまったく勘違いしています。
日本国憲法とは、日本に住む人々(日本人、外国人を問わず)が、個人の尊厳を守りながら円満に平和に暮らして行くための基本ルールです。ですから、日本は昔から天皇中心の国柄だとか、日本には昔からの美風があるとか、それは日本の文化であり伝統であり、国民の努力で守り育てるべきものですが、そういう日本人にだけ特有の話をいちいち日本国憲法に書き込む必要は、格別にはありません。

しかるに、日本会議や自民党は、憲法にそういうことをたくさん書き込みたいようです。
そういう心情を持つ人々を右翼と言います。
世界中のどこにでも、自分の国や民族が一番だと過剰に意識する人々がいて、それぞれの国で右翼を形成します。その最たるものがナチスであり、戦前の日本の一部の人々です。

改憲のプロセス
憲法の条文の不具合を修正するという改憲は、衆参両院で3分の2で発議し、国民投票で過半数を得るという方法で実現できます。ですから安倍は、それにならって、国会で3分の2をとれば改憲できると考えています。しかしそうは行きません。

まず、衆参で寄せ集めて3分の2をとっても、各党で何をどう変えるか決まっていませんから、何年経っても議論はまとまらないでしょう。

しかしもっと本質的な問題があります。
それは、自民党の改憲案が、憲法改定ではなく、現憲法の否定になっていることです。
しかし、現憲法を否定するような改変を現憲法の枠内で実行することはできません。
憲法は政治家に、この憲法を遵守せよ、と命じています。
ですから、その憲法を否定するような改定をすることは、憲法違反になります。

そのような改憲は、現憲法の枠外で超法規的な「クーデター」でやるしかないのです。

憲法制定権力
憲法学者の樋口陽一氏は、「憲法制定権力」という言葉を提示しています。

自民党の改憲案は、「現憲法廃止と新憲法制定」という国家体制の大変革を企図するものです。そんなことが現行憲法の改憲で実行できるとは、日本国憲法のみならず世界中のあらゆる憲法が想定していません。
現憲法の廃止と新憲法制定は「憲法制定権力」を確立することによってのみ可能です。
たとえばフランス革命です。フランス国民は王政を倒して新憲法を制定しました。そこにはそれを熱烈に支持する国民の結集がありました。それが憲法制定権力です。

日本でも、明治憲法の制定にあたっては憲法制定権力が存在していました。明治維新後の日本をどうするのか、国の基本を定めたいという、政治家と国民の合意があったのです。

そして現憲法の制定時にも「憲法制定権力」がありました。それはけっしてアメリカではありません。明治憲法を奉じて営々とやってきた結果が、数百万の人々が死に、世界中から嫌われ、国中が焼け野原になり、食料もない、という悲惨な状況でした。その中で国民は新しい日本の基本を定めたいと熱望したのです。日本政府は新憲法の草案を提示し、憲法制定のための国会議員選挙が行われ、国会で半年以上の議論と修正が行われ、ようやく新憲法が成立し、天皇も政治家も国民もそれを心から祝いました。

いま安倍は、その憲法を「みっともない憲法」と言って切り捨てようとしています。

では安倍を支持する「新憲法制定権力」はどこに存在するのか。それが、観光バスで動員されてきた各種宗教信者の年寄りばかり1万人だ、と日本会議は誇示します。

しかしこれのどこが憲法制定権力か。
それに対して、昭和21年に新憲法を制定した勢力は、その思想信条を子孫に伝えました。
いまその子孫である数千万人の日本人が日本に満ちているのです。

自民党自体が改憲は票にならないから選挙の争点にはしない、などと言っています。
もし自民党が、具体的な改憲案を提示して選挙に打って出て、過半数を得れば、新しい憲法制定権力になります。しかし自民党はそうはしないわけです。

国際的圧力
日本会議や自民党が、明治憲法に戻って日本を天皇制の軍国にする憲法改定をしようとしたら、諸外国はどう出るでしょうか。日本会議や自民党は、そんなことは日本の勝手だ、と言うつもりかも知れませんが、そうは行きません。何しろ今でも国連の敵国条項の対象である日本ですから、世界中から「またやる気か?」と思われてしまい、日本は孤立します。

わけても中国は、激怒するフリをしつつ、これを「絶好の機会」ととらえて、日中国交断絶までもって行くでしょう。そのとき、軍国になった日本には世界中で誰も味方してくれませんから、滅ぶのは中国ではなく日本です。

そんな試練に耐えられる憲法制定権力は存在しません。
観光バスで動員された老信者たちにそんな気力があるわけがありません。

そもそも、日本国民には現憲法を抜本的に改変したいなどという願望はまったくないのです。
日本国憲法は日本だけで成立したものではありません。
世界の国々が承認し歓迎したことで成立しているのです。
それをひっくり返す憲法制定権力などどこにも存在しません。

日本会議と、安倍が妄想を抱いているだけです。

信なくば立たず
安倍は、憲法解釈を変更して戦争法を通したから、日本はアメリカの要求に応じて世界中どこででも戦争ができる国になった・・・と思っています。

しかしその解釈も戦争法も憲法違反だと99%の憲法学者が断じています。菅官房長官が、合憲だとする憲法学者としてようやく3人の名を挙げましたが、その全員が日本会議の構成員です。

ですから自衛隊を海外に出せば、日本中で違憲訴訟が渦巻きます。
それはすでに始まっています。

すでに自衛隊の志願者は激減し、防衛大学卒業生の任官拒否も増加しています。
安倍自民党の暴走で、専守防衛という自衛隊の本分が危うくなっているのです。

日本会議は目的のためには手段を選ばない凶暴性を持っています。たとえば、大阪の教育委員会に育鵬社の教科書を採択させるために、平気でアンケートの偽造を行いました。石垣島の教科書採択でも、強引な手法をとっています。日本会議に属する国会議員は「沖縄の新聞はつぶせ」などと公言して平気です。女性蔑視発言も日常茶飯です。

これらは日本会議と安倍周辺の人格的特質です。おそらく彼らの仲間内ではこういうやり方が賞賛されているのでしょう。そして彼らはそういう野蛮な手法の延長上に憲法改定があると思っています。しかし、そんなことはあり得ません。

安倍は政治の要諦は国民からの信頼だということが、まったく分かっていません。
数あわせとごまかしでどうにでもなると考えています。
たぶん、これまでずっと、そういう人生を送ってきたのでしょう。

参議院選挙で野党共闘が実現しつつあります。
安倍政権を倒すことは簡単です。選挙で野党に投票すればよいのです。

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