科学者群像  2008.02.09

自然に関心を持ち、なぜ、なぜ、と考えて夢中になる。それが科学者の根本だろう。

長ずるに連れて、さまざまな雑事が身辺にまとわりつくのは仕方がないが、自然科学者は、年を経てもその根本を堅持すべきである。すべきであると言うより、自然にそのように振る舞える人が科学者と呼ばれるのにふさわしい人である。そして、自然にそのように振る舞える、その心の根本は「愛」なのである。

私が少年だった頃は、子供たちはいろいろな偉人伝を読むことが多かった。科学者の伝記としてはニュートン卿やファラデー卿、キュリー夫人、レントゲン博士、牧野富太郎博士、北里柴三郎博士などの伝記があったが、それらを読めば、幼心にも科学の心の根本に「愛」があることは良くわかったものである。

少年たちのもう少し身近には、手塚治虫先生の「鉄腕アトム」があった。
そこでの主要なテーマは科学と愛だった。
アトムを育てた、慈愛に満ちた博士の名は、皮肉なことに「お茶の水博士」なのであった。

現代日本にもすばらしい科学者はたくさんいる。
NHKで、人気漫才コンビの「爆笑問題」が、先端科学の研究室を訪問する番組があるが、それぞれの研究室でさまざまな興味からさまざまな研究がなされていることが、とても面白く、楽しく、好ましい。
また、先日TBSの情熱大陸で、天文学者小久保英一郎氏を取り上げていたが、三鷹の天文台の中に氏独自のスーパーコンピューターを作り上げて、惑星の生成過程のシミュレーションを計算し、それを動画で世界中の学者の前で発表する姿は、まことに凛々しく立派だった。(イベントホライゾン氏も感動し絶賛している)

私はこれまでも、真摯に科学研究や教育に取り組む人々を紹介して来たが、以下は昨今、新聞で紹介された科学者群像である。






これらの人々に共通するのは自然に対する愛の心、学問に対する敬虔な心だろう。
そのことは、積み重ねて形成されてきた彼らの表情にはっきりと見てとることができる。

山形大学準教授の天羽氏を、これらのサイエンティストたちと比べるのは、これらのサイエンティストたちにとってあまりにも失礼だが、天羽氏には「愛」の心がまったくない。そしてそれが、彼女の「科学者人生」が、どこへ流れて行っても、しょせんは不毛にならざるを得ない根本の理由である。

高尚で有能ですがすがしい科学者群像を紹介したあとでは、ばかばかしくて、あまり言う気にもなれないが、天羽氏の周辺でおべんちゃらを言っている者たちは、自分がどういう人間を支持しているのか、その現実を正しく認識すべきである。
(まぁ、同類だから言っても仕方ないか)


彼女は1年半前にキクログで、K氏の批判に対して次のように言っている。

http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1132064252

90   k  September 1, 2006 @01:29:31
天羽氏は残念ながら狭量な学者です。机上でのお話が多すぎる。現実でのできごとは現場で起こっています。裁判官のようなことはやめて自分の研究に没頭したほうが良いでしょう。世間は白から黒、そして灰色といろんなことで構成されています。一面ではその判断はつきません。科学には愛が必要です。いや科学自体がじつは愛から始まっています。そこに根本的に大きな愛が見られない学者は科学をやる資格はありません。

95   天羽優子  September 2, 2006 @02:24:37
科学が愛から始まるだなんて初耳ですね。
私ゃ、科学は好奇心から始まったと思ってたもので。
期待に添えなくて悪いが、私は今後も「愛」などというどうにでも解釈できる「ご都合主義」なものに基づいて科学と関わるつもりはありません。むしろ「野次馬根性万歳」ってのが私の立場ですね。
もっと言うと、「現場でコトが起きている」という「思いこみ」「妄想」を振りまかれちゃ迷惑なんですよ。こっちの商売の邪魔になる。何せ、黙ってると、どう見てもヘンテコな製品に補助金がでちゃったり、そういうテーマ限定で競争的研究資金が配分されかねない。それに、今時のことだから、黙ってたら、被害が発生した後で「ダンマリを決め込んで一体何をやっとったんだこの役立たず」と普通の善良な市民から叱られる立場でもあるのでね。
まあ、科学を騙った時点で、学説の流通競争やら研究費のパイの奪い合いやらに参戦したとみなされたってしょうがないと思ってください。




K氏の指摘と批判は正鵠を得ている。

それに対する天羽氏の反論は、彼女の、科学に対する、人生に対する、他者に対する、心の持ち方を如実に表していて、まことに「おぞましい」と言うしかない。

このような心の持ち主が、やがてどうなるか。


すでに1年半前に、彼女の今日の狂乱は、彼女自身によって予言されていたのである。


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