国会事故調の基調は核発電推進

2012.07.09


東電事故調、民間事故調の茶番

国会であれ民間であれ東電であれ、事故調査の目的は、なぜ福島の事故は起きたのか、という原因を調べて特定することにあります。

しかしながら、東電の調査結果は毎日新聞の社説で「訴訟の弁明のようだ」と呆れられたように、事故は天災で、東電にはまったく責任がなく、ああ言われたらこう言おう、こう言われたらああ言おう、という弁明に終始していました。よくあんなものを恥ずかしげもなく発表するものだと呆れてしまいますが、「東電から出た放射性物質は、いったんゴルフ場の草にくっついてしまえば、もはや東電のものではない」という理屈を平気で言う人々ですから、まぁ、そんなものでしょう。恥という観念がまったくないのです。これらの弁解や調査結果は、当然トップである勝俣氏の意向です。

また、民間の事故調は、原発推進の意図がありありとしていました。東電からは聴取していない、というのではまったく無意味でした。民間事故調の背景がどんなものか怪しいもので、そもそも民間が好き勝手に集まって事故調とか、そんなことしていいの?その結論はどういう意味を持つの?と思うのがまっとうな感覚です。

で、まぁ当然ですが、今では誰も民間事故調の結論なんか覚えていませんし、東電の事故調の結論など誰も相手にしません。


国会事故調の意図は核発電推進

それらに比べて国会の事故調は、さすがに、権力を用いて時間をかけただけあって、事故の原因に迫っています。その結論として「これは人災である」ということで、いろいろなところで人為的なミスや怠慢や傲慢が重なって、大地震や大津波に耐えられないと分かっていながら運転してきた、その結果として今回の事故が起きたということです。

それはまさにその通りです。

特に、原子力技術者の田中三彦委員が、かねてからの彼の持論である「核発電設備は津波が来る前に地震で損傷していた」可能性があると結論に盛り込んだのは良かったと思います。日本の核発電は大きな地震には耐えられない設計で、どこかの配管が外れてしまいます。

そのあたりはいいのですが、しかしながら、国会事故調の結論もまた、原発推進の方向です。
これは人災である、ということは、人が気をつけたら避けられる、ということです。
だから、これからはもっと気をつけてやろうよ、と言外に言っているわけです。


核発電は日本人には向いていない

しかし、「もっと気をつけてやろうよ」ということが、実は日本人には出来ません。
このことを事故調は言いませんし、やれば出来ると思っているようです。

なぜ日本人には向いていないか。

それは日本には信賞必罰の習慣がなく、個人の権利も確立されておらず、いつのまにかすべてがナァナァになるからです。長いものには巻かれろ、出る杭は打たれる、そうやってこの島国で仲良く暮らしてきたのが日本民族です。それは日本人の美徳でもあり、「はやぶさ」のようなプロジェクトや新幹線の技術や、カイゼンやカンバンやサービス残業などの滅私奉公にはうまく「人の和」がとれて成功するのです。

しかし核発電のようなリスクの高い巨大技術は、もともと人類の手に余るのですが、特にそういう「ナァナァ民族」には扱えないものなのです。

世界中で核発電のリスク減らすための新しい規制が始まったとき、日本だけはそれに従わず、何もしませんでした。保安院と電力会社の馴れ合いのためです。そして内輪では、日本の技術は最高だなどと褒め合っていたのです。
そんな日本を見て、世界中の原子力関係者が、次に事故が起こるとしたら日本だろうと予測していました。そして事故が起きました。しかし日本では誰も責任をとりませんし、誰も逮捕されませんし、そもそも警察の捜査さえ行われません。

そんな国で「もっと気をつけてやろう」と言っても、できやしないのです。

阪神大震災の前に、ロスアンゼルス大地震で高速道路が落ちました。日本の土木技術者は米国の技術を嘲笑し、日本ではあんなことは起こらないと高笑いしていました。それが震災で阪神高速道路は橋げたがはずれ、真横にひっくり返って、新幹線の橋げたも落ちました。調べてみればどこもかしこも手抜き工事だったのです。しかし誰も責任をとりませんでした。

古くは、海軍のミッドウェイ海戦の惨敗でも、陸軍のインパール作戦やニューギニア作戦でも、勝手な妄想に基づいて作戦をたて、空母を失い航空機を失い何万人という兵をいたずらに殺して、しかし参謀たちの誰も責任をとらず、陸軍省も海軍省も終戦の間際まで恩給の計算をしていました。

いまの原子力委員会は戦前の軍部とそっくりです。原子力委員長など陸軍参謀の制服を着せたらそのまま通用しそうな傲慢な顔つきです。彼らは自分たちの妄想にもとづいて、もんじゅだ再処理だなどと勝手な計画を立て、地震の大きさはここまでと勝手に決め、津波は来ないと勝手に決めて、それらに反対する者を排除し、国民に正しいデータを開示せず、その挙句にあちこちで大失敗して大散財して、しかも誰も責任をとりません。

そしてなんと、福島の事故前とまったく同じ人々が、いまだに核発電推進をもくろんで、データを改ざんしたり、推進側だけで秘密会議を23回も開いたりして平気で、自分たちは正しいことをしているんだと居直っています。こんな連中がものごとを正しく合理的に行えるはずがありません。


核発電はやめるのがもっとも安全で合理的

こんな民族性ですから、危機の深淵に一国の宰相として臨んだ菅前総理は、この国で核発電を安全に運転するためにどうすればいいかと、考えに考えた結果として、「核発電をやめる」のがもっとも安全であるという結論に達したのです。

日本が戦後、戦争をしないで来られたのは、いろいろな国際状況はありますが、なんと言っても最大の要因は、アメリカに強制されたこととは言え、戦争を行う権利を政府に与えず、戦争を行う組織そのものをなくしてしまったからです。

日本民族が核発電の災厄から免れる唯一の方法は、核発電をやめることです。この期に及んでまだ、「日本人なら出来る」などと幻想を抱いている連中は、日本中を焼かれながら、まだ勝てるなどと言っていた戦争中の軍部首脳と同じく、まったく盲目で無能で無責任です。経団連のナントカとか、自民党のナントカとか。


ただし脱核発電の根本は、「できないからやらない」のではなく、核発電は経済的に成立していないし、完全な安全はあり得ないし、廃棄物を子孫に残すことになるので、たかが電力が欲しいために利用すべきものではないということです。

日本だけでなく世界中が核発電から脱しなければなりません。



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