冨永氏の実験観察の誤り  その2   2008.07.24


ラマン散乱

冨永氏と天羽氏がやったラマン散乱の実験には何の意味もない。
彼らは何を見たのか? 何も見ていないのである。

天体望遠鏡を作ったとしよう。それで夜空を観察する。星が100個見えた。そのときその観察者が「宇宙には星が100個ある」と言うなら、それは部分的に正しい。しかしその観察者が「宇宙には星は100個しかない」と言うなら、それは間違いである。
もしその者がそう言ったなら、その者の科学的素養はゼロである。自分が観察して見えなかったものは、この世に存在しない、などと平気で言う科学者などいない。

冨永氏と天羽氏は、自分たちの装置でラマン散乱のスペクトルを観察し、同じ温度の水道水とマグ水のラマン散乱スペクトルには差がないことを見た。あるいは、差が見えなかった。そこにウソはないだろう。しかしそのことから何が言えるのか。見たとおりのことしか言えない。すなわち、「同じ温度の水道水とマグ水のラマン散乱スペクトルには差がない」というだけのことである。

私はラマン散乱がどういうものか知らないが、冨永氏が裁判所に提出した文書から判断すると、ラマン散乱は、他の分野ではいろいろと有用なのだろうが、こと水に関しては、すでに温度が分かっている水の温度を当てることができる、といった程度のものでしかないようである。

つまり、何の役にも立たない。

冨永氏は裁判所に提出した文書で以下のように言う。
http://www.i-foe.org/h19wa1493/sanka2/index.html

図1を見ると「室温の水」(青のグラフ)から「超臨界水」(赤のグラフ)まで、このO-H伸縮振動領域のラマンスペクトルが顕著に変化していることが分かるであろう。さらに、この図1から分かる事は、水分子の水素結合に何らかの変化があれば、まず、この振動数領域の振動スペクトルに変化が現れることが分かる。水のクラスターが変化するという事は、水素結合の状態が変化することと同じ事であるから、もし、何かの処理で水のクラスターが変化したとすると、まず、この振動数領域の振動分光スペクトルの変化として現れる。
つまり、振動分光スペクトルに変化が無ければ、水のクラスターに変化がないことになる。

この文章を解析しよう。


第1文
図1を見ると「室温の水」(青のグラフ)から「超臨界水」(赤のグラフ)まで、このO-H伸縮振動領域のラマンスペクトルが顕著に変化していることが分かるであろう。

これは以下のことを言っている。

1.水のラマン散乱スペクトルは水分子の中の水素と酸素の結合の具合を示している。
2.温度が違うと、水のラマン散乱スペクトルが違う。
3.したがって、温度が違う水では、分子の中の水素と酸素の結合状態が違う。

まぁ、この3段論法正しいだろう。


第2文
さらに、この図1から分かる事は、水分子の水素結合に何らかの変化があれば、まず、この振動数領域の振動スペクトルに変化が現れることが分かる。

このあたりから化けの皮がはがれてくる。

「さらにこの図1から分かることは」と言うから、何か新しいことが分かるのかと思っていると、「水素結合が違う」という表現が出てくる。はて、と思って第1文と第2文を比べれば、「温度が違う」ということを「水素結合が違う」という表現に置き換えているだけである。しかし、「温度が違うと水素結合が違う」などということは、この図1をいくら眺めても分かることではない。
つまり、「温度が違うと水素結合が違う」ということが別のことで分かっていて、あるいは冨永氏の頭の中に初めからあって、この第2文では単に、「温度が違う」という表現を「水素結合が違う」と言い換えているだけである。新しいことなど何も分かっていない。



第3文
水のクラスターが変化するという事は、水素結合の状態が変化することと同じ事であるから、もし、何かの処理で水のクラスターが変化したとすると、まず、この振動数領域の振動分光スペクトルの変化として現れる。

ここで冨永氏は、「クラスターが違う」ことと「水素結合が違う」こととは等価だとしている。
したがって結局、第1文、第2文、第3文によって冨永氏が言っていることは、

    温度=水素結合=クラスター

ということである。
冨永氏が実験で実際に見た現象は、ラマン散乱とその水の温度との関係でしかない。
そして彼は、頭の中で「温度」を「水素結合」と言い換え、それをまた「クラスター」と言い換える。
カチカチの氷と、自由に飛び回る水蒸気との間に、液体の水はあるのだから、温度が上がれば(加熱すれば)水の分子がより自由になるのは当然で、「自由になる」ということを、冨永氏は「水素結合」と言い「クラスター」と言っているが、彼が実際に見た現象は「温度が同じならラマンは同じ」ということであって、それだけのことである。



第4文
つまり、振動分光スペクトルに変化が無ければ、水のクラスターに変化がないことになる。

もっともらしい結論に見えるが、結局の所、全体を通して言っていることは、「ラマンに差がなければそれらの水の温度は同じだ」ということで、それだけのことでしかない。

「温度が同じならラマンは同じ」ということから、「ラマンが同じなら温度は同じ」と言い切れるものかどうか、逆は必ずしも真ならずだから、論理的にいささか疑問だが、どちらにしても、そんなことは温度計1本で分かることである。つまりラマン散乱という手法は、他の分野は知らないが、水の構造を解析する手段として、温度計ほどの役にしか立たないということだ。


水の温度が同じなのに、水の「構造」が違うということがあったらどうか。
それは冨永研究室のラマン散乱装置では見えないのである。温度しか見えないのだから。
兵庫のスプリング8でようやく何かが見えたというのが最近の研究である。

すでに我々は、マグの水は甘いという味覚による知見を持っている。そのことをラマン散乱は観察できるか。できはしない。何を測ればいいかさえ分からない。砂糖を入れて甘いのなら成分を分析すればよい。成分が変わらずに甘くなることがあったとしたら、ラマンではお手上げだし、今の科学ではおそらく分析できない。

冨永氏は、自分の観察で星が100個しか見えなかったから、宇宙に星は100個しかないと言っているようなものである。

それだけなら他愛のないことかも知れないが、冨永氏の罪は、そのような実験手法によって、人を罪に陥れたことである。
http://www.minusionwater.com/2shou101112.htm

http://atom11.phys.ocha.ac.jp/wwatch/intro.html
吉岡/天羽 往復メール  2003年11月〜12月
吉岡  
科学者は、問われたときに正確で公平な意見を述べればよいのです。科学者の仕事はほかにあります。
天羽  
大きなお世話です。本来の論文を書く仕事もしてますし,教育もやっています。ついでに言っておくと,司直の頼みで,浄水器の摘発の際の鑑定嘱託も引き受けたことがあります。どう摘発するか,司直が勉強するのにウチのサイトの情報を使ったようです。その後,正式に書類が回って依頼されたので,実験して,水処理の前後で水素結合の状態に変化はないという結果を,冨永教授と一緒に出しました。こっちは科学者の業務の一部ですね。



司直の摘発に協力して、ラマンで差がでなかったからその器具はインチキだ、という判定をしたようである。その器具が何か、インチキであったかどうかは知らないが、その器具をクロと判定した冨永氏の実験は、ここで見たように、「温度に差がない水の差は見つけられない」という、ろくでもない実験であって、どんな活水器であれ、その装置の前後で水温に差があるはずもないから、冨永研究室はすべての活水器にとって墓場のようなものである。

神戸の裁判において、彼は同じ手法で人を罪に陥れようとしている。我々を悪徳商法を行う者として断罪しにやってくる。こんどは司直に頼まれたわけではない。インターネットで人をからかった自分の行動を正当化するために、逆に相手を陥れようとやってくるのである。
その根拠が、このラマン散乱で、ラマン散乱で何も見えなかったからクラスターに変化がないことが分かった、と得意満面でやってくる。しかし前回言ったように、私はクラスターが小さくなるなどと主張していないのである。どう見てもまともな科学者の行動ではない。

次回は原告からも裁判長からも質問される。
結果は恥の上塗りとなるだろう。



次回は表面張力の実験の欺瞞性について述べよう。



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