また「ニセ科学批判集会」をやるらしいが・・・
2006.08.24
ニセ科学批判をする人々は、よほど本業に飽き飽きしているものと思われる。
京都(同志社女子大)と東京(学習院大)でニセ科学批判の集会をするそうだ。
その基調提言とやらを、こなみ氏がやるそうで、ニセ科学とは何かを弁ずるらしい。
ニセ科学批判をする人々を眺めてみると、ひとつの共通性がある。それは自分の本来の業たる科学研究に対してほとんど情熱を失っていることであり、また自然の不思議に対する感性がほとんどマヒしていることである。
たとえば本サイトでも紹介した東大の天文学の吉井氏などには、夜な夜なパソコンの前に座って、ごたくを並べているヒマなどないし、そんなことより天文学の研究の方がずっと楽しいから、そんなことはしないのである。そして国民は、そういう彼らであってくれるからこそ、給料を払うのである。
科学研究者とは普通はそういうものであって、インターネットでニセ科学批判をしている大学関係者は、きわめて特殊な人々であり、実は科学者の中で圧倒的少数派でしかない。そういうサイトの主はせいぜい数人だし、それらの掲示板などで発言をする人々はあちこちで共通の常連ばかりで、日本中集めても百人くらいしかいないだろう。
そして彼らはお互いに批判することはなく、おべんちゃらを言い合う。彼らは仲間を批判すると仲間はずれにされると恐れているようだ。
前にも書いたが、「ニセ科学」とは菊池氏の造語であって、たとえば「マイナスイオンはニセ科学だ」と言ったときの菊池氏の言葉は、
カテゴリー ≫ ニセ科学 January 17, 2006
さらに「ニセ科学」シンポジウムについて
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呼び名はニセ科学でも疑似科学でもお好みでいいのですが、「ニセ」のほうが即物的でインパクトもあるので好き。「疑似」はちょっと高尚そう(漢字だから(^^))だし、価値判断を含まない気がするし、「ニセ」と言い切りたい。
by きくち
と、「笑いマーク」つきの遊び半分である。
彼らはこのようにして、仲間内で遊び半分で「ニセ科学批判」とやらをしているわけだが、しかし一応は大学の教授だとか助教授の肩書きがあるから、間違った議論であってもそれらがインターネットで野放図にたれ流されることで、我々のビジネスは影響を受けている。彼らは個別に検証することなく、自分の予断や固定観念で全てを否定する。困ったものである。
だから私は、インターネット空間に対抗軸を立てるべくこのサイトを書いている。ほんとうは、マイナスイオン水生成器を普及したり、アトピー問題の解決に向けて活動することに時間を使いたいのだが、言われっぱなしでは彼らの言うことが本当だと思われてしまうので、仕方なく時間を割いているのである。
彼らは最近、「ディレカ」という製品を批判しているが、こなみ氏は自分のサイトで次のように言っている。
http://www.cs.kyoto-wu.ac.jp/~konami/myboard/deceitscience.html
発酵などをよい方向に促進させてくれる、つまり、腐敗菌などの微生物が活動できないような状態にしてくれます。(ディレカのHPからの引用)
ありがちなウソです。微生物にとって自分たちの生命活動が人間につごうがいいかどうかという方向付けは不可能なのだ。腐敗も発酵も彼らが物質を分解してエネルギーを得ていくための活動であって,たとえば嫌気的,好気的といった活動環境による区別はありえても,人間に都合の良い方向の活動が起きて,その反対が起こらなくなるなんて無理。「人間に都合のよいことが起きる」という売り文句をみたら,最初から眉に唾を付けよう。
私はディレカのHPでの表現を読んで、その「理論」の部分は、チンプンカンプンでまったく理解できないが、しかしここでディレカが主張しているのは、理論ではなく「現象」であるから、そういう現象があるかどうかは、実際に確認してみる必要がある。
見なくても分かっているというのは、相手を批判する者の態度としては傲慢にすぎる。
そして実は、ディレカが主張するような現象は、起こっているのである。
これを「人間にとって都合がよいかどうか」という観点で眺めているのは、実はディレカではなく、こなみ氏自身である。
しかしこの現象は、こなみ氏自身が言うように、人間の尺度とはあまり関係がなく、
たとえば嫌気的,好気的といった活動環境による区別はありえても,
という種類の現象のように思われる。
ディレカに限らず、どうやら水という物質はわりと簡単に変わるようで、上記のような現象はいろいろな活水器で起こっている。水の変化が生物に選択的に働くということのようである。
我々が扱っているマイナスイオン水生成器でも、風呂のカビは減るが、パンはおいしくできるし、お酒もおいしくできる。カビもコウジもコウボも似たような生物なのに、どうしてだろうと不思議である。ゴキブリは減り、ヤブ蚊も減るが、蛍やトンボやハチは元気になる。どれも昆虫なのに不思議である。
ホ、ホ、ホータル来い、こっちの水は甘いぞ、ということが実際にあるということだ。
水の変化がどういうものであるかはまだ分かっていないが、生物がこのように選択的に感応することが、水が変化していることを逆に示しているとも言える。
これらのことは現場でのみ得られる知見である。こなみ氏は現場を見ずに、通り一遍の常識的な見解にとどまったまま、他人を詐欺師呼ばわりしている。
そういうやり方はニセ科学批判者の常道であり、新しいことが起こったと言うなら証明書付きで持って来んかい!と彼らは居丈高にいうのである。
また、先般、日本物理学会で「ニセ科学批判集会」が行われたが、その開催提案者である学習院大学の田崎氏は、提案書に次のように書いていた。
私はこれを読んだとき、田崎氏の人間理解の幼稚さに呆れたものである。
そしてこれが、「ニセ科学批判集会」の開催の基調方針だと言うのである。
その後、科学の世界で何が起こったか。
ニセ論文や研究費の横領などが、次から次に起こっているではないか。
なぜそうなるか。それは科学者も人間だからである。
科学者が、自分たちが科学者であるという、それを唯一の理由として、一方的に世間を断罪しようとしたのが「ニセ科学批判集会」である。それは彼らのおごりでしかない。
相手を批判しようとする者は、対象を個別に見るべきであり、現場に来て検証すべきである。それなしの批判は横暴でありおごりである。