東映映画 「はやぶさ 遙かなる帰還」


2012.02.21



東映映画「はやぶさ はるかなる帰還」を見ました。
なかなか良い映画です。ぜひ映画館でごらんになることをお勧めします。
「はやぶさ」の宇宙旅行の様子が、もちろんCGですが、大画面で迫力満点で見られます。
大人だけでなく、7才か8才くらいの少年少女にも十分に理解できて楽しめます。







日本って、すごいなぁ、と素直に思います。


しかしこれと比較すると、原発関係者らの、傲慢と怠慢と無能が際だちます。

もちろん、日本の宇宙開発にもいろいろな政治的、経済的な意図があって、純粋科学だけでやっているわけではないでしょうが、JAXAや宇宙研の科学者やそれを支える技術者や工場の人々の矜持や能力や情熱は、「原子力ムラ」の住人とは比較になりません。



さて、映画の中で、丸川先生(実名:的川先生)役の藤竜也が記者会見で、目指す小惑星にイトカワと命名するシーンがありますが、そこでは、

「もちろんイトカワとは、ペンシルロケットで日本の宇宙開発の礎を築いた糸川英夫博士です」

という説明だけで終わっています。


しかし「糸川とはやぶさ」との関係について、プロデューサである東映の岡田祐介社長は省略してしまいましたが、一言あって欲しかったと思います。


なぜなら、探査機に「はやぶさ」と名付けたあと、宇宙研が標的の惑星にわざわざ「イトカワ」の名を冠した背景に、戦前の陸軍戦闘機「隼(はやぶさ)」を設計したのが糸川博士だったという、弟子たちの記憶があったからです。

「はやぶさ」と名付けたのには、獲物をとる(サンプルリターン)とか、隼という文字が探査機の形状と似ているなどの理由があったようですが、探査機が「はやぶさ」でなければ、標的は「イトカワ」にはならなかったでしょう。


一昨年、はやぶさが帰還したとき遊び心で替え歌を作りました。
「おまけ」に付けておきます(^^



探査機 はやぶさ の 歌
← ペンシルロケットを持つ糸川英夫博士
替え歌  探査機はやぶさの歌
作 吉岡英介


エンジンの音轟々と
はやぶさ旅立つイトカワ目指して
翼(つばさ)は輝くソーラーセル
胸に抱くはイオンエンジン
世界をリードする 先端技術




3億キロはるか はやぶさは
自力でイトカワに降り立ちぬ
惑星起源を解き明かす
岩を砕きて取りこみて
いざや地球に
        サンプルリターン

過ぎし幾多のトラブルにも
交信途絶えしその時も
必ず帰してみせるぞと
チーム一丸団結の
心はゆるがず 管制室


世界に誇るはやぶさの
7年(とせ)の旅 60億キロ
ミッション見事に成し終えて
身は天空に燃え尽きぬ
さらば はやぶさ 
                 永遠(とわ)に たたえん

もとの歌  加藤隼戦闘隊              
昭和19年 作詩 加藤部隊
作曲 陸軍軍楽隊


エンジンの音轟々と 
隼は征く雲の果て
翼(よく)に輝く日の丸と 
胸に描きし赤鷲の
印はわれらが 戦闘機    



寒風酷暑ものかわと
艱難辛苦打ちたえて
整備に当る
強兵(つわもの)が
しっかりやって来てくれと
愛機に祈る 親ごころ

過ぎし幾多の空中戦 
銃弾うなるその中で
必ず勝つの信念と 
死なばともにと団結の
心で握る操縦桿


世界に誇る荒鷲の 
翼のばせし幾千里
輝く伝統受けつぎて 
新たに興(おこ)す大アジア
われらは皇軍 戦闘隊


                            
   


ちょっと解説   

先の大戦で、南方戦線で英、蘭軍と果敢に戦った隼戦闘機は国民を奮い立たせました。加藤隼戦闘隊の活躍は映画にもなり、その隊歌は長調の明るさと躍動感もあって戦後も長く歌い継がれてきました。世界に誇る、その優秀な戦闘機を設計したのが、若き日の糸川英夫博士です。

戦後日本の宇宙開発の基礎は、その糸川博士の、ペンシルロケットを打上げ続けた先見性と行動力によって築かれました。それが「はやぶさプロジェクト」の宇宙研につながっています。

探査の標的が定められ、探査機が打上げられて所定の軌道に達したとき、探査機は「はやぶさ」と名付けられました。そしてそれまでは数ある無名の小惑星の一つに過ぎなかった標的に、博士の後輩たちは世界の承認のもとに「イトカワ」の名を冠しました。

主役が「はやぶさ」となり「イトカワ」となったことで、プロジェクトは特別な物語性を帯びました。人々の心に隼戦闘隊の勇姿がよみがえり、プロジェクトに対して広範な支持が集まりました。昔を知らない若者たちが作った「はやぶさ」のストーリーや歌にも、その底には糸川博士と隼戦闘機の話があります。ですから、現世に生きている人々だけでなく隼戦闘隊の勇士たちもまた、人々の記憶を通して草場の陰からこのプロジェクトを応援していたのです。これは単なる感傷ではなく史実です。

糸川博士は当時世界の最先端だった中島飛行機製作所で「隼」を設計しました。戦後博士がロケット開発を呼びかけたとき、協力したのは占領軍によって解体されていた中島飛行機のOBたちでした。それが宇宙研の始まりですから、「隼」と「はやぶさ」は直結しているのです。宇宙研の人々は「はやぶさの帰還は神がかり的だった」と述懐していますが、このプロジェクトには真に祖霊のご加護があったと言うべきでしょう。

我が国はアメリカのペリーに開国を強要されて以来、欧米列強に負けじと努力してきました。いまNHKでやっている坂本龍馬も、「坂の上の雲」の秋山兄弟もその一心です。糸川博士が隼を設計したのも、加藤隼戦闘隊が勇敢に戦ったのも、糸川博士が戦後ロケット開発に取り組んだのも同じ気持です。トヨタもニッサンも同じです。

80才になる私の叔父は世界的な地球科学者で欧米にたくさんの友人がいますが、
その叔父が「一度はアメリカにギャフンと言わせたいねぇ」と語ったことがあります。
B29の爆撃を受けた少年たちに共通する心情でしょう。
(右の写真は叔父26才と私9才 1956年)


叔父は東大で、初代南極観測隊長永田武博士のもとで地球科学を学びました。


永田博士と糸川博士は東京市立一中(現九段高校)の同級生です。(右の写真は糸川博士(左)と永田博士(右))
永田博士は国際地球観測年(1957〜1958)に参画すべく、それまでは弾道旅客飛行を目指していた糸川博士のロケット開発の方向を宇宙観測に転換させました。そして両博士は欧米に遅れをとるまいと努め、敗戦後間もない日本でしたが、宗谷丸(切手の船)での南極観測など国際観測項目の全てに積極的に参加し、ロケットを200kmまで打上げて上層大気の観測に成功し大いに面目を施しました。

常に<国際競争&協力>をしている現在のjaxa(宇宙研と宇宙開発事業団が統合)には、その気概が色濃く受け継がれており、今回NASAが不可能だと回避した「サンプルリターン」を「それなら日本がやる」と言って成功させ、アメリカにギャフンと言わせたのです。

探査機はやぶさの成功には日本人のDNAが集約されています。日本の歴史、伝統、技術、精神、教育、経済などすべての要素が集約されています。そしてはやぶさは、子供たちに宇宙や科学へのあこがれを抱かせ、勉学への意欲を湧かせてくれます。管制室の若い俊秀たちの一致団結ぶりは、科学にも、W杯サッカーのような根性や責任感や愛国心、そしてチームワークが大切であることを教えてくれています。

この偉業は末永く語り継がねばなりません。そのためには万博音頭のような国民的な歌を作ってみんなで歌うことが一番ですが、今の場合、わざわざ新しい曲を作る必要はありません。「加藤隼戦闘隊」の元歌があるからです。加藤隼戦闘隊もまた、我が国民が末永く語り継ぐべき歴史です。民族の歴史も精神も父祖から代々つながっています。一部を切り離して否定することはできません。実際に「隼」と「はやぶさ」はつながっています。

「隼」も「はやぶさ」も、世界の中で日本の役割は何なのか、という視点から見るべき世界史的事象です。そんなことを考えて、元歌を生かしながら、プロジェクトのキーワードを配して替え歌を作ってみました。

これは懐古趣味でも軍歌でもなく、「探査機はやぶさの叙事詩」であり、現代日本の応援歌です。多くの人がこの歌を歌えば、科学技術に対する人々の考えが自然にポジティブになるでしょう。今の子供たちが、ちょうど私たちが子供の頃、野原を行進しながら「ボ、ボ、ボクらは少年探偵団♪」と歌ったようにして、遊びながらこの歌を歌って育ったら、科学や宇宙に心を寄せ、国に誇りを持ち、自信を持って世界の人々と対等につきあえる、日本の科学技術立国を支える人に成長してくれるでしょう。曲はもともと兵士が唱和できるように作られていますから、誰でも歌えます。みなさん歌ってみてください。日本が元気になります。

2010年7月



残念ながらその後、震災があり、原発が爆発して、日本は危機に陥りました。いったん事故があれば国が滅びかねないような原発はすべて廃止して、日本人が得意な分野を伸ばすべきです。



「探査機はやぶさの歌」 どんな歌か、聞きたい方は youtubeでどうぞ。
(1分20秒までは文字解説、そのあと歌です)

探査機はやぶさの歌
http://www.youtube.com/watch?v=FuZodfJPIM0







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