| 二木紘三のうた物語 より http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/08/post_6629.html 昭和29年(1954)3月1日、アメリカは、中部太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁で水爆実験を行いました。このとき、160キロ東で操業していた静岡県焼津のマグロ漁船・第五福龍丸が死の灰をかぶり、約7か月後の9月23日、同船の久保山愛吉無線長が亡くなりました。 第五福龍丸被爆のニュースとともに、反原水爆運動が一気に盛り上がり、5か月後、原水爆禁止署名運動全国協議会が生まれました。 この歌が作られたのは、このころです。東京・大井の町工場の工員・浅田石二が作った詞に、都立日比谷高校の社会科教師・木下航二が曲をつけました。発表は昭和29年7月28日。 亡くなった久保山無線長は、静岡県漁民葬において、静岡大生らが歌うこの歌で送られました。 時はすべてを忘れさせるといいますが、過去の傷みを忘れた、あるいはあえて無視しようとする者たちが、政府のなかにも増えてきました。 (二木紘三) 作詞:浅田石二、作曲:木下航二
1 ふるさとの街焼かれ 身よりの骨埋めし焼土(やけつち)に 2 ふるさとの海荒れて 黒き雨喜びの日はなく 3 ふるさとの空重く 黒き雲今日も大地おおい 4 はらからの絶え間なき 労働に築きあぐ富と幸 |
| 投稿欄 茨城県の日立市に住んでいます。当地では、大震災の混乱は時々大きな余震が来る他は落ち着いて来ましたが、一つだけ、大きな心配事が重苦しく圧し掛かっています。定年農業をやっている私は、この春は北方約100kmの福島原発の動向にびくびくしながら、マスクをして畑を耕しています。 投稿: 竹永尚義 | 2011年4月11日 (月) 08時57分 |
| 原爆と原発は違いますが、放射能という、「生命の秩序」に敵対する「宇宙の混沌」を乱用したことは同じです。世界唯一の被爆国として、広島、長崎のあと、3度目は許さないと世界に訴えていた日本が、自らの行為で世界の海と空を汚してしまいました。 こうなると分かっていたら、誰もこんなことはやらなかったのではないか。 原発を推進してきた人々に聞きたい。 こうなると分かっていても、やったのか? もし、こうなると分かっていたらやらなかった、と言うなら、もうやめねばならない。 こうなることも分からなかった無能で無責任な者たちが、 「もう一度やらせてくれ」などと、どの面下げて言うのか? (竹永さんという方の投稿で分かりにくいので解説しますと、アメリカ側の資料では、 2つ目の原爆の標的は小倉だったのが、天候が悪く長崎に変更されたということです) |
昭和38年に日比谷高校に入学し、木下航二先生に倫理を習いました。当時少年たちは日本の未来は原子力だとあこがれており、私も、京大の原子核工学科で学びました。しかし学ぶうちに、原発が人類の手に負えないものであることが分かり、その後、原子力に携わることなく40年が過ぎました。20年前の福井県美浜の事故では関西電力に原発廃止を訴えたりしましたが、毎日生きるのに精一杯でしたから、なるべく省エネで過ごすくらいのことでした。
今回の東電の災害で、3たび許すまじ、と世界に訴えた日本人自身が、世界の空と海を汚し、人々の労苦で築き上げたものもなくなりました。3度目は日本発でした。世論は変わりました。私も社業のかたわら残りの人生で、子や孫たちのために、原発を廃止する活動をしてゆこうと決意しました。
人々はもう一度この歌を思い出してほしいと思います。また、これから日本人が世界から非難を浴びながらも、つつましく仲良く生きていくために、二木先生が紹介しているキダタローの名曲「ふるさとの話をしよう」もぜひ復活させたいものです。
投稿: 吉岡英介 2011年4月 9日 (土) 11時36分