菅という不幸 菅という僥倖

2013.02.25


カウントダウン・メルトダウン(文芸春秋)は朝日新聞の主筆だった船橋洋一氏が、内外多数の人にインタビューして1月に出版された本で、上下2巻の大部です。

船橋氏は民間事故調の主宰者でもあります。危機に際しての菅元総理の判断や行動に対して、冷静な評価をしていると思いますので、抜粋してご紹介します。










菅 対 吉田

一同、マイクロバスで免震重要棟へ向かった。菅が右側の窓際に、その隣に武藤栄東電技術担当副社長が座った。菅の後ろに斑目春樹原子力安全委員長、池田元久経産副大臣現地対策本部長は通路を隔てて隣。いきなり菅の怒声が飛んだ。「なぜ、ベントをまだ、やらないんだ」
一行は免震重要棟に到着した。案内されるまま、2階の緊急時対策室横の会議室に入った。モニターが壁に掛っているだけだ。これ以上無愛想にできないほど殺風景な部屋である。誰もいなかった。「何で誰もいないんだ!」菅はまた叫んだ。ややあって、吉田昌郎東電福島第一原発所長が姿を現した。

テーブルをはさんで、向こう側に吉田と武藤、こちら側は菅を斑目と寺田学首相補佐官が挟んで座った。左側に池田と黒木慎一保安院審議官が控えた。武藤は、ベントを開けるには、圧縮空気を送るためのコンプレッサーと電源が必要でその手当に手間取っていると説明を始めた。1、2分して、菅が怒鳴った。「そんなこと、そんな言い訳を聞きに来たんじゃない!」「何でオレがここへ来たと思ってんだ!」吉田はそれには直接答えずに、テーブルに図面を広げて、説明を始めた。「電動ベントをいま準備しています」「それはどれくらいかかるんだ」「4時間、かかります」「4時間も待てないだろう。東電は、ずっと4時間と言っている。いつも、あと何時間、そればっかり言うんだよな」(だいたい、ベントは午前3時のはすではなかったのか。その予定時刻からすでに4時間がたっている。それをさらに4時間、待て、というのか)菅は苛立ったが、吉田は顔色一つ変えない。

「ベントはやります。手動でやることも考えています。手動でやるかどうかを1時間後に決めます」「そんな悠長なことを言っていられない。早くやってほしい」「ただ、きわめて線量が高いのです。ですから1回15分しか仕事ができません」吉田はそのように答え、菅の目を正面から見て、言った。「最後は人が突入します。決死隊でやります」

「決死隊」という表現に菅は、うなずいた。

ベントはなぜ遅れたのか

午後2時30分、ようやくのことで1号機のベントは成功した。それを決断してから14時間半、政府のベント命令を受けてから7時間半、ベント作戦を始めてから4時間以上、それぞれ経っていた。ベントはなぜ遅れたのか。

官邸と東電の間には根深い不信感が横たわっていた。両者の間には信頼関係はおろか、まともなコミュニケーションもなかった。菅は、東電がベントを迅速に決められなかったのは、3月11日夕方から12日の昼頃まで、経営トップの勝俣恒久会長と清水正孝社長が同時に本店を留守にしており、そのため大きな経営判断ができなかったことによるのではないか、と疑っていた。東電という会社、それも本店は、「官僚機構以上に官僚機構だ、誰もリスクを取りたがらない。だから大きな決断をできない」と菅は感じていた。

その不信感は海江田万里経産大臣の場合も同じだった。海江田は危機管理センター中2階の小部屋で武黒一郎東電フェローたちに「君たちがいつまでも躊躇してベントしないのなら、命令にするぞ。命令にするぞ」と何度も警告を発した後、意を決して、原子炉等規制法に基づく命令に切り替えた。東電の経営体質からして、命令しなければ、いつまでもベントを実施できないのではないかと恐れたのである。

2011年3月12日午後3時36分 1号機建屋水素爆発

水素爆発などありえない、と菅はすっかり思いこんでいた。福島第一原発に行くヘリの機中、斑目と話した際、斑目が菅に言った言葉を鮮明に覚えていたからである。

「炉心では被覆管と水が反応してどうなるんだ」
「その反応で水素ができます」
「じゃあ、水素を放出したら水素爆発が起こるんじゃないか」
「いいえ、圧力容器で水素ができているわけですけども、それをまず格納容器に逃します。格納容器の中は、これは窒素で全部置換されていますから、酸素がないから水素は爆発しません。ベントで煙突のてっぺんから外に放出すればそこで燃えるわけですから、水素爆発は起こりません」

斑目は明確にそう言い切った。
菅は帰京すると「水素爆発は起きない」と秘書官たちに言って回った。

午後4時過ぎ、党首会談を終え、菅は首相執務室に戻ってきた。福山哲郎官房副長官と斑目が部屋で待っていた。菅が戻るとすぐに、伊藤哲朗内閣危機管理官が地下1階の危機管理センターから上がってきた。「福島第一原発で爆発音がしました。白煙が出ています」

「白煙って何ですか」と菅は斑目に尋ねた。
「火事ではないですか。おそらく揮発性のものが燃えているのではないですか」

武黒一郎東電フェローも呼び込まれ、聞かれたが、「聞いていません」「本店に聞いてみます」との答えしか返ってこない。そこに寺田補佐官がドアを開けて飛び込んできた。「総理、1号機の建屋が爆発しています。すぐテレビをつけてください」

1号機の建屋が四方に吹っ飛び、白い煙が上空にもうもうと湧き上がっている。斑目は、それを見て、頭を両手で抱えながらテーブルにこすりつけ、「あちゃー」とうなった。菅は声を張り上げた。「こりゃ、何だ。爆発じゃないのか」「斑目さん、アレは何なんですか」斑目は絶句した。頭の中がクルクルまわって、言葉が出てこない。「水素爆発じゃないんですか。あなたは水素爆発はしないって言ったじゃないですか」「私が申し上げたのはあくまで格納容器の話であります」

菅は秘書官に強い口調で命じた。「あんな爆発だったら、現地の人間はすぐにわかるだろう。なぜ報告が上がってこないんだ。早く情報を上げてくれ!」

14日午前11時1分 3号機爆発

吉田の、叫びにも似た声が東電本店の非常時災害対策室(オペレーション・センター)に響いた。

吉田 「本店、本店、大変です。大変です」
本店 「はい」
吉田 「3号機。たぶん、水蒸気だと思います。爆発が、いま起こりました」
本店 「はい。緊急連絡」
吉田 「11時1分です」
本店 「1号機と同じような感じ?」
吉田 「地震とは明らかに違う横揺れが来ましてですね。たぶんこれは1号機と同じ爆発だと思います」

吉田の声が上ずっている。

午前11時過ぎ。官邸首相執務室。菅は、公明党と党首会談をしていた。寺田首相補佐官が、飛び込んできた。「爆発です。日本テレビをつけてください。4チャンネルです、4チャンネル」
テレビが3号機の爆発のシーンを映している。煙が噴き出している。菅はつぶやいた。「これ、黒いよな」「爆煙の上がり方から見て、もしかしたら、圧力容器飛んだかもしれないな」
1号機は白煙が横に噴き出ていたが、これは黒煙が上に噴き出している。

深夜の電話

3月14日午後7時55分、東電本店のオペレーションセンターで高橋明男フェローが隣に座っていた武藤に話しかけた。「これ、避難、退避は何時になっているんだろうな。退避基準をつくれって言ったんだっけ。武藤さん、これ、全員の発電所からの退避っていうのは何時頃になるんですかねえ」

清水は難しい決断をせまられることになった。撤退するにしても官邸の了承を取らなければならない。清水は経産大臣秘書官に何度も電話をかけた。清水は「大臣と直接、お話ししたい」との伝言をその都度、託した。7時ちょっと前、清水は海江田と話すことができた。「退避を考えなければならなくなるかもしれません」という内容を言葉少なに話した。「ぜひご了解いただきたいと思いまして」そう清水が言ったのに対して、海江田は、「それはないでしょう」と突き放し、電話を切った。

午前1時すぎ、海江田が電話に出ると、清水がこわばった声で2号機の状況が一段と深刻になってきた事情を説明した。「このままでは作業員を退避させざるをえなくなると思います」「現在、福島第一原発では700〜800人の作業員が働いていますが、彼らを第一原発から第二原発に退避させたいと思います」

海江田は一呼吸入れて言った。「清水さん、退避は無理です。もう少し頑張ってもらわないと困ります」 ただ、最後に「重大な決断なので総理と相談します」とつけ加えた。

海江田はそばにいた安井正経産省資源エネルギー庁部長に聞いた。「東電の福島第一の現場から全員いなくなったらどうなる?」 「そうなったらメルトダウンするのは1号から4号だけじゃありません。5号も6号も冷却できなくなって大変です。それに各号機のプールもみんなダメになってしまいます」 (この状況で全員退避となると、1号機から6号機まで全部つぶれる。そうなれば東京都民も場合によっては逃げなければならなくなる)海江田は背筋が凍る思いがした。

御前会議

5階の首相応接室では海江田はじめソファにもたれかかるようになり、徐々に口数も少なくなった。結局は撤退なのか・・・・という重たい空気がジトーッとまといつき始めた。細野豪志首相補佐官は、「玉砕」という言葉を思い浮かべた。

「ここで判断するのはおかしい。総理に判断を仰ぐべきじゃないですか」

福山は、このままではズルズルッと撤退でいいという判断になるかもしれない、と怖れた。正式な会議を開き、総理の「聖断」を仰ぐことで、流れを変えられないか、と思った。枝野、寺田とも異論はなかった。のちに、官邸政務が「御前会議」と呼ぶことになる会議の開催が決まった。

午前3時ごろ。菅は、首相執務室の「奥の院」と呼ばれる奥の部屋で仮眠をとっていた。秘書官が菅を起こした。菅は寝ぼけ眼で起き出してきた。不機嫌きわまりない表情だった。海江田が「東電が原発事故現場から撤退したいと言ってきていますが、どうしましょう。原発は非常に厳しい状況にあります」と切り出した。

(何だ!撤退やむなしと考えているのか。それで自分を起こしに来たのか)

「撤退? 何だそれは。そんなのありえないだろ」菅の怒りに火が点いた。
「ええ、そうなんですが、ただ、東電の社員に死ぬまでそこに残れとも言えませんし・・・・」海江田と枝野がやや「ひるんだ」感じの発言をした。

菅は「現場はどう言ってんだ。吉田さんに聞いてみよう」と言い、その場で、卓上の電話機から福島第一原発の吉田所長に電話した。菅は、受話器を耳に当て、なにやらうなずいていたが、電話を切ると「吉田はまだやれると言っている。おい、現場ではやれると言っている。撤退なんてありえないぞ」と高ぶった。

午前3時半、応接室で「御前会議」を開催した。

菅が大声を上げた。「撤退したら一体誰が対応するんだ。6つの原子炉と7つのプールを放棄するのか。どういうことになるのかわかっているのか」その場の空気がピーンと張りつめた。菅はなおも続けた。「東日本全体がなくなるんだ。絶対ダメだ。何人死のうとも、引き揚げちゃだめだ」「自分の国で起きた原発事故を放置するなんてありえないだろう」「引き揚げることは、絶対に許さない」「もし東電が現地から引き揚げたら、1,2,3号機の炉、どうなる。4号機のプール、どうなる。最悪の場合、決死隊を結成する。60歳以上だけでやる」

それから、付け加えた。「そのときは、オレも先頭切ってでも駆けつけなきゃな」

統合本部

午前4時17分。清水が官邸に到着した。菅は静かに言った。「清水さん、撤退などありえませんよ」「はい」清水は答えた。消え入りそうな声だった。「そんなことないんですね。撤退なんてありえませんよ」「もちろんありません」「やるしかないですね」「その通りです」菅は清水があまりにもすぐ「はい」と言ったので、拍子抜けした。

内心、ほっとしたが、ここで一気に局面を転換する必要があると感じた。(清水の言葉だけでは不十分だ。政府の意思決定と東電の意思決定の統一をしないといけない)
「これまで官邸と東電ということで別々に対策本部がありますが、これは情報の共有と迅速な把握と、そういう点から見て、問題があります。こういうことからして統合したいと思います。政府と東電の統合本部を作ります。それを東電の本店に置きたい。いいですね」

菅の言葉に、清水はびっくりした表情を浮かべたが、「結構でございます」と答えた。菅は、自分も東電に行くつもりだ、と言った。

東電乗り込み

15日午前5時35分、菅一行は車列を組んで、官邸を出た。東電本店前では、一行の車列を大勢の報道陣が待ち受けていた。暗闇の中、フラッシュが焚かれた。

一行は2階のオペレーションセンターに通された。東電では、部課長級の社員は全員、ここに集合するよう社内放送があった。「何が起こったんですか」「菅総理がわれわれを激励に来られます」

正面には東電経営陣の席があり、勝俣、武藤らはもう着席していた。細野が「それでは、総理、ご着席いただいて・・・」と促したが、菅は立ったまま、真っ正面に座っている武藤をにらみつけ、怒鳴り上げた。

「君たちは、一体、状況がわかっているのか」
「こんなにいっぱい人がいるところじゃ、物事は何も決まらないぞ!いったい何をやってるんだ!」

200人以上の人々がいるところに通されるとは菅は予想していなかった。
「誰にオレは説明するんだ」
清水が「私が・・・・」と答えたところで、菅は「おまえは技術者なのか、どうなんだ」と質した。
隣の武藤が「私が技術の責任者です」と言うと、「こんな広いところでやるのか」と言った。

菅は細野の手からマイクをもぎ取った。右手にマイク、左手を腰に添え、立ったままで、演説を始めた。「一体どうなってるんだ!12日の1号機の爆発はテレビで放映されているのに、官邸には1時間も連絡がなかったじゃないか」「これは2号機だけの話じゃない。2号機を放棄すれば、1号機、3号機、4号機から6号機、さらには福島第二のサイト、これらはどうなってしまうんだ」「今、福島第一から撤退すれば、1号機から4号機、5、6号機まで全部爆発する。福島第一原発だけでなく、福島第二原発も爆発する」「日本の領土の半分が消えることになる。日本の国が成り立たなくなる。何としても命がけで、この状況を抑え込まないといけない」「撤退を黙って見過ごすわけにはいかない。日本が原発事故を自分で何もできないとなったとき、外国が、アメリカもロシアも、何もしないでいるだろうか。何十日間、何百日間、放置するだろうか。自分たちがやる、と言い出しかねない。それは日本が占領ということになる」「君たちは当事者なんだぞ。命をかけてくれ。東電は逃げても、絶対に逃げ切れない。金がいくらかかかっても構わない。日本がつぶれるかもしれないときに撤退はあり得ない。撤退したら東電は100%つぶれる」「会長、社長も覚悟を決めてくれ。60歳以上の幹部は現地に行って死んだっていいとの覚悟でやってほしい。おれだって行く。われわれがやるしかないんだ」「もう一度言う。撤退はありえない。撤退したら東電は必ずつぶれる」

10分間近く、菅は演説した。すさまじい形相だった。顔には疲れがにじみ出ていた。

菅という不幸 菅という僥倖

菅は、首相官邸において、巨大な危機を克服すべく陣頭指揮を取った。しかし、その危機管理スタイルは異形だった。政府事故調、国会事故調、民間事故調はいずれもその問題点を指摘している。

菅は、木を見て、森を見ることが苦手だった。大局観に欠けていた。マイクロマネジメントに傾斜しすぎた。官僚を上手に使えなかった。その上、言葉が粗暴な上、人を試す言い方をする。こらえ性がなく、怒りっぽく、人を怒鳴りつける。だから、情報が下から吸い上がってこないし、周りが円滑に流れない。そして、国家的危機に際して、国民の胸に響く言葉を発することがついぞなかった。

リーダーシップのあり方からすれば、おそらく菅は落第点をつけられてもしょうがないだろう。

にもかかわらず、菅がいなければ「日常モード」から「有事モード」への思い切った切り替えはできなかっただろう。危機の本質を誰よりも早く察知し、緊急対応へとシフトさせた。それでも「日常モード」を「有事モード」に切り替えることは簡単ではない。

東電の社員に命をかけて踏みとどまれ、という権限も強制力も政府にはなかった。15日未明の官邸5階での政務の議論の本質は、細野に言わせれば「作業員に死ねと言えるかどうか」をめぐるテーマだった。細野は、細野をはじめ、海江田、枝野、福山も官邸政務はそれを言えなかった、と証言している。

「そこは菅さんにかなわなかった。 菅直人は、間接的にだけど、東電の作業員は死ねと、死んでもいいと言ったんです。死んでも、一人の命より国家の重みのほうがあると言ったんだと思いますよ。そういう表現は使わなかったけど。彼はまったくもってヒューマニストじゃないんです。リアリスト。ミクロかマクロしかない。真ん中がないんです。だから細部には気を遣うんだけど、真ん中がなくて国家なんですね」

細野は「 菅直人という政治家の生存本能というか生命力ってすさまじいものがある」と思ったという。「この局面で我が国が生き残るためには何をしなければならないのかという判断は、これはもう本当にすさまじい嗅覚のある人だと思っているんです・・・・撤退はありえないし、東電に乗り込んで・・・・そこでやるしかないんだという判断は、日本を救ったといまでも思っています」

菅直人の戦いは、日本という国の存在そのものをめぐる戦いだった。
そのような危機にあって死活的に重要なリーダーシップの芯は、「生存本能と生命力」だった。
そして、菅はことこの一点に関してはそれを十分すぎるほど備えていた。



詳しくはぜひ、本書をお読みください。



吉岡評  

50年前に、理科か文科か迷ったら理科に行け、理科の学問は学校でしかできないし、今に理系の総理が出るよ、と高校の先生に言われて、理系に進みました。木を見て森を見ないのは理系の傾向ですが、それはミクロの世界がそのままマクロの世界に通じるからです。

たとえば橋を架ける場合、どこに架けるか、誰が金を出すか、集めるか、などが文系の仕事で、実際に橋を作るのが理系の仕事です。落ちない橋を架けるには一心不乱にミクロの計算をしなければなりませんから、それで手いっぱいです。

しかしその技術はいきなり世界で通用します。それが実はマクロであって、むしろ、どこに架けるか、どうやって金を調達するか、などがミクロな話なのです。(これは職人にも言えることです)

ですから、根回しとか気遣いとか組織を動かすとか、そんなミクロな話を「森」と言われても、理系の人間にはあまり興味がない・・・ということなのです。

それから、現場を見たがる、細かい事実を見たがるのも理系の特質です。

文系の人はとかく、「ボクは文系ですからよく分かりません」という言い訳をします。あるいはそう言って逃げます。しかし理系はそれができませんし、もともと現場を見てできるだけ「土地勘」を得たいという習性があります。ですから菅氏は翌朝にヘリで福島に飛びました。あの視察は、菅氏が理系だからやったこと、できたことなのです。

そしてその視察は、東電にベントを促す意味もありましたし、官邸と吉田所長との間にホットラインができたことが、東電の撤退をくいとめるための決定的な利点となりました。

また、民間人を死地に追いやるような決断について、「そこは菅さんにかなわなかった・・・」と細野氏は述懐していますが、これは社長と副社長では判断が全然違うということで、副社長は社長の言うとおりにしていればいいので気楽ですが、社長は全権を持って船のかじ取りをしなければなりません。たぶん細野氏も、総理という立場だったら、菅氏と同じ決断をしたでしょう。

国会事故調は、「東電を叱りつけたのか」と菅氏に尋ね、菅氏は「そんなつもりは全くなかった。必死で頼んだのだ」と答えていましたが、これはまったくそのとおりでしょう。権限がないのですから頼むしかありません。桜宮高校のバスケット部や女子柔道ではないのです。

ただし、法的根拠がない中で東電にそれを頼むとき、ボソボソ話をしていたのでは伝わりません。まなじりを決して、大声で怒鳴ることも、コミュニケーションの方法として決定的に大切です。そしてそれにはある程度天性の資質が必要で、菅さんにはそれがあったということです。
鳩山、麻生、福田、安倍・・・・と直近の総理を思い浮かべれば、あのとき菅氏が総理であったことが、日本にとってどれだけ幸運だったかは明らかです。

「菅には森を見る目がなかった」という船橋主筆の文系的な指摘は当たっているのでしょうが、危機からの脱出は菅にしか出来なかったということもまた、船橋氏の評価です。

菅氏は、総理として国家存亡の深淵をのぞき見たことで、理系の総理として、原発の愚かさを骨身にしみて痛感しています。その後の菅氏は、脱原発を世界に宣言し、浜岡を止め、玄海の再稼働を止め、保安院を分離し、再生可能エネルギー買い取り法を成立させて退陣しました。


3月3日の夕方、大阪天王寺のクレオ大阪中央で菅氏の講演会を開催いたしますので、関西の方はぜひ「ナマ菅」の話をお聞きください。脱原発を目指すすべての人々にとって、これからの脱原発の活動にとって、「ナマ菅」の話を聞くことが重要です。

残席50あります。
お申し込みはお電話でどうぞ  078-367-3477  褐抽ツ


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