読売新聞政治部 「亡国の宰相」

2011.09.17


新潮社から9月15日刊で、読売新聞政治部が「亡国の宰相」という本を出しました。

すごい題をつけたものだと感心して、表紙や帯を見ると、「官邸機能停止の180日」、戦後最大の危機に「最悪の愚宰相」を戴いた日本の悲劇・・・・と、まるで菅前総理を犯罪人のように扱っているので、どんなものかと購入して読んでみました。








読売新聞社は、戦後、A級戦犯で巣鴨に服役していた、戦前の特高警察の長であった正力松太郎が、CIA(アメリカのスパイ組織 中央情報局)と取引して無罪放免となって出所し、社主になったのが第2の創業です。

正力はその後、若手の中曽根康弘と組んで、原子力を推進しました。戦前からの実力者であり、後に首相になった岸信介も、日本の核武装と大国の仲間入りを目論んで、原子力開発に注力しました。

それ以来、読売新聞社は先頭に立って原発を推進してきました。ですから原発の是非について、読売新聞社は中立ではまったくありません。その報道は偏向したものになっています。

その読売が「亡国の宰相」とののしる理由は、むろん、菅前総理が脱原発を唱えたからです。
その意味で、この題名は菅総理にとっては勲章のようなものでしょう。


しかし、本書を実際に読んでみると、表紙のオドロオドロしさの割には、内容は政治部の記者が緻密に事実を拾い集めて書いたもので、素直に読めば菅前総理を称賛しているように読めるところも多々あります。

「あとがき」で玉井忠幸という政治部長が、むりやり菅前総理をおとしめようと「総まとめ」をしています。それが読売新聞社の最初からの意図だからそうなっているのですが、その意図は、表紙だけ見る者には通じても、ちゃんと中を読む者にはほとんど成功していません。


玉井氏が菅前総理の罪状として挙げるのは、


なにより罪が重いのは、すでに政権の求心力を失った菅氏が「個人的な思い」から脱原発路線への転換を訴え、原発被害の拡大に懸念を強める国民感情をかき乱したことだ。 目前の電力危機に取り組むことより、遠い未来の夢を語って聞かせることを優先し、日本経済の土台であるエネルギー政策を大きく揺るがせた。


ということです。

え、? これだけ?  これだけで亡国の宰相?

いろいろと罪状を挙げようとして、結局これしかないということですが、しかしこれはそのまま、菅総理の功績と評価することもできます。


3月12日早朝の福島原発視察については次のように記述されています。





保安院は12日午前1時過ぎの時点で、炉内の圧力が設計値の1.5倍に達したことを受け、海江田に、「1号機の格納容器の圧力が異常に上昇している」と切迫した状況を報告。斑目安全委員長も、菅首相や海江田に、「問題の収束にはとにかく、水を炉内に注入すること。そして、発生する蒸気のベントしかない」と進言した。

菅も海江田も「早くベントを行え」と東電をせっついた。これに対し東電は「弁を開けようとしているが、電源が失われてどうしても開くことができない」と訴えた。東電の報告に菅は苛立ちを隠さなかった。

「福島の状況を現地に行って把握したい」。そう希望する菅に、枝野は「このタイミングで官邸を外せば、「袋だたきに遭います」といさめた。震災対応の司令塔が首相官邸を離れて現場に向かう無謀な行動は、必ず野党ばかりでなく、世論の批判を受けると、枝野は危惧した。それでも菅は「バカ野郎。事態を食い止めるのと、批判されるリスクを考えるのとどっちが大事だ」と譲らなかった。

「福島の原子力発電所に出かけてくる。現地の責任者と話をして状況を把握したい」
夜が明けると、菅は記者団にこう言い残し、首相官邸屋上に降り立った陸上自衛隊の大型ヘリに乗り込んだ。午前6時14分、屋上へリポートから菅や斑目を載せた陸自ヘリが飛び立った。防災服にスニーカーといういでたちの菅は、機中で斑目に、原発事故の現状や対処法について熱心に質問し、ノートに書き込んだ。

午前7時11分、ヘリから降り立った菅は、マイクロバスで福島第一原発内の非常災害対策本部のある建物に移動し、修復作業の拠点「免震重要棟」の会議室で叫んだ。「ベントはまだか!」 吉田昌郎福島第一原発所長は「決死隊を作ってやります」と答えた。吉田の自信に満ちた一言で、菅のアドレナリンはようやく納まった。

この4時間半の視察は後日、「初動対応の致命的なミスではないか」と、野党からの追及を受けることになる。菅が視察している間、東電が菅の安全に配慮して、ベントの準備作業を止めていたのではないかという見方だった。枝野が危惧した通り、震災発生の翌日、まだ混乱が続いている中で、震災対応の司令塔で責任者でもある首相が首相官邸を留守にしたこと自体が問題だという批判も噴き出した。

菅に同行した斑目安全委員長が3月28日の参院予算委員会で、「首相が原子力について少し勉強したいと語った」と明らかにするなど、菅の視察問題はその後長く後を引くことになった。


これが政治部記者の公平な記述です。
これを素直に読めば、菅総理はよくやったという評価になるのではないでしょうか。
他の誰が総理だったら、これ以上に必死に的確に対応できたというのでしょうか。


しかし読売には、これが「亡国の宰相」と見えるわけです。


現地の責任者と会いたいと切望して出かけたこの視察で、菅前総理が現地の吉田所長と直接に信頼関係を築いたことは、数日後の、「東電撤退か?」という重大局面で大きな意味を持つことになりました。

政治部記者は以下のように記述しています。



福島第一原発の事態が悪化している事を受け、東電の清水正孝社長は海江田万里経産相に「福島第一原発から撤退する」との趣旨の連絡を電話で伝えてきた。清水は枝野にも「現場の作業員の命が危ない」と再度、「撤退」を要請した。

清水の要請は、「作業員数の縮小」や「一時的な撤退」を意味していたとの証言もあるが、菅や海江田は「全面撤退」と受け止めた。

枝野は福島第一原発の吉田昌郎所長に電話し、「清水社長がこう言っている。どうなのか。本当に命が危ないなら考えないといけない」と尋ねた。吉田は「まだ、頑張れる」と言い切った。枝野は清水に「吉田は大丈夫だと言っている」と反論し、「撤退」を認めなかった。

東電の「撤退」の動きに危機感と不信感を強めた菅は、3月15日午前5時25分、首相官邸で記者団を集め、原発対応の強化に向け、政府と東電の統合対策本部を設置し、自らが本部長となり、副本部長には海江田と清水の2人を充てることを唐突に表明した。

菅はその足で東京・内幸町の東電本店に乗り込み、「あなた方しかいないでしょう。撤退などあり得ない。覚悟を決めて下さい。撤退したときは、東電は100%潰れる」と居並ぶ東電幹部を叱責した。

さらに一号機の爆発事件に触れ、「テレビで爆発が放映されているのに、官邸には1時間くらい連絡がなかった。一体どうなっているんだ」と、かねてからの不信感と怒りをぶつけた。菅の怒声は会議室の外まで響き渡った。

菅は、海江田と細野豪志首相補佐官を連絡調整役として東電本店に設けた統合対策本部に常駐させることも決めた。東電に対する政府の「お目付役」であることは明白だった。


菅前総理が、全知全能をふりしぼって、全体力を使い切って、必死になって事態を食い止めようとしている様子が政治部記者によって克明に記述されています。

東電の撤退を食い止めた、この瞬間が大きな分岐点でした。

もし東電が撤退していたら、福島第一だけではなく第二も含めた10基すべての原子炉と、すべての使用済み燃料プールとが爆発し、東日本は壊滅していたでしょう。
枝野が言うように、人命に関わることでしたから、現地の吉田がダメだと言ったら、政府は東電の撤退を認めざるを得なかったでしょう。
また、もし吉田という人物を知らずに、政府が現地と直接連絡をとれない状況だったとしたら、清水の言うとおりにするしかなかったでしょう。

初日の強行視察に、大きな意味があったということです。
菅前総理は、周囲の反対を抑え、将来の批判もおそれず、それを強行しました。


ところが、読売の玉井政治部長はこれに対して、「亡国の宰相」とむち打つのです。

かなりムリがあります。 どういう神経でしょう。
社主の意向には逆らえないということでしょうか。

マスコミがここまで徹底的に偏向するのも珍しいことです。
原発推進派はそれだけ必死だということでしょうか。


本書では、その後の浜岡の停止、内閣不信任案の否決、玄海のストレステストによる再稼働延期、3法案の可決による退陣まで、政治部記者による克明な記述が続きます。

読売の意図は別にして、この半年の政治の動きの記録として資料的な価値はありそうです。



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