血液型人間学は立派な科学である
2006.12.21
大阪大学の菊池誠教授が、故能美正比古氏の「血液型人間学」をさかんに批判している。
「血液型で人の性格が判断できる」というビジネスがらみの話があるそうだが、もしそういうものがあるなら、私もそこまで言うのは間違っていると思うし、実生活にたいして役に立つことでもないと思う。そんなものにお伺いを立ててどうする、とも思うが、しかしそういうろくでもないものがはやるのも、まぁ世の中はそんなものだから、別に目くじらを立てることでもないだろう。

目くじらを立てたい人は立ててもよかろうが、しかし「血液型性格判断」を否定せんがために、能美氏の先駆的な業績そのものを、無価値なものとして切り捨ててしまうのは間違いである。

私は、いまから30年以上も前に「血液型人間学」をリアルタイムで読んで感心したものである。それ以来、血液型と人の性格とか気質というものの間には相関があると信じているし、納得もしている。

血液型を分けるものは、人体内の「糖質」だそうで、その糖質は血液だけでなく、骨も筋肉も脳も、A型の人はすべてA型の糖質で、B型の人はすべてB型の糖質で統一されているのである。そしてA型の血液とB型の血液をまぜると、互いに凝縮してしまう。人々が体内にそのような構造をもっているとき、それが人々の行動パターンにはまったく影響しない、と考えるのはむしろ不自然である。影響が見いだせるかどうかは分からないが、なんらかの差があってもおかしくないと考える方が自然だろう。

能美氏の「血液型人間学」が、人々の関心を集め、多数の人々を納得させたのには理由があるのであって、「なんで人はあんなニセ科学を信じるのか」という菊池氏の感懐は、氏の根本にある大衆蔑視の性向から出てくるものでしかない。自分はエラいが大衆はバカであり、血液型人間学を信じるような連中は低脳である、と菊池氏は本気で思っているようだ。

私が、能美氏の本を読んでもっとも感心したのは、歴代首相の血液型を調べた結果である。それはほんとうに衝撃的な事実であった。多くの日本人がこのことに衝撃を受け、能美氏の指摘に納得したのだと思う。

戦後、議院内閣制が確立されて衆議院の多数決で首相が選出されるようになってからの、歴代首相の血液型は以下のようになっている。能美氏の出版時には鈴木善幸首相までしかないが、その後のデータはABOFANのホームページで調べて補完したものである。
名前 血液型 名前 血液型
吉田茂 O 竹下登 A
片山哲 O 宇野宗佑 A
芦田均 不明 海部俊樹 A
鳩山一郎 A 宮沢喜一 AB
石橋湛山 O 細川護煕 O
岸信介 O 羽田孜 O
池田勇人 O 村山富市 O
佐藤栄作 A 橋本龍太郎 AB
田中角栄 B 小渕恵三 A
三木武夫 A 森喜朗 不明
福田赳夫 O 小泉純一郎 A
大平正芳 O
鈴木善幸 O
中曽根康弘 O

日本人の中のO型の分布は30%ほどである。それに対して、中曽根康弘首相までの歴代首相の血液型は、圧倒的にO型である。あの派閥全盛の時代に衆議院で多数派を形成し、自民党内で多数派を形成するのに、O型の血液型はほとんど必須だったのだ、とも言えるほどである。そこに、能美氏の解釈が加わる。O型の人は、自分の生命に対する執着が強く、親分肌で、面倒見がいい・・・・・

なるほど、それは言えてるよなぁ、と当時の日本人は誰でも納得したのである。

一方、竹下登首相以降の歴代首相の血液型は、あまり意味がなさそうである。総理になるための社会的条件や政治的な条件が変わったということだろう。宮沢喜一氏も橋本龍太郎氏も小泉純一郎氏も、派閥の面倒など見ないことで有名だった人々である。

能美氏は、同じ政治家でも、衆議院議員と県知事とでは、血液型分布に明らかな差異があることも、調べて発表している。またほかにも、スポーツ選手の血液型や、タレントの血液型、交通事故を起こした人の血液型、などをていねいに調査している。

特に交通事故の分析は出色で、交差点の事故とか追突とか、事故の類型で分けて血液型分布を調べているし、免許取得後1年以内の事故はA型に多く、2年目になるとO型が逆転してくる、などという調査もある。AB型には居眠り運転や、運転中にほかのことを考えてしまう事故が多いとも指摘している。この交通事故調査は、示唆に富む有意義な調査であり、国家的にさらに大規模に調査すれば、交通事故を防ぐためのめいめいの心構えとして大いに役立つはずだと私は考える。

また、おもしろい調査がある。東大の金属学科の学科内学生分布を調べた結果である。統計的には十分な調査とは言えないだろうが、ひとつの傾向を示していて非常に興味深い。調査はひとりの卒業生が独自に実施して、能美氏に報告したもののようである。
東大金属学科の学科内学生分布(1981年卒業生)
O型 A型 B型 AB 合計
金属工学科 11 6 3 6 26
金属材料科 2 13 12 3 30
合計 13 19 15 9 56
外部からはどちらも同じようなものに見えるだろうが、金属工学科は、金属の知識を身につけて実業界に進んで活躍したいと考える学生が進む学科であり、金属材料科は金属について深く研究したいという学生が進学する学科であるから、どちらを選ぶかは学生の資質や性向によるし、選んだ結果は学生たちの運命を大いに左右することである。

血液型が人の性格や気質に影響を与えないとしたら、どの血液型の学生も、両学科に均等に分かれるのが順当だろう。たとえば、O型の学生は6人と7人に別れるのが順当だろうし、B型の学生は7人と8人に分かれるのが順当だろう。
その「期待値」からの上記のようなズレは、有意であると能美氏は分析している。
自分が学究の道を歩みたいのに、血液型がO型だからあきらめる、という「血液型性格判断」は間違いだろう。学問の世界にもO型で親分肌の人はたくさんいる。しかし、どちらに行こうか迷っている学生は、自分が何に向いているか、何を期待されているかを考えるときに、こういうデータを参考にしたらよいのではないか。

能美氏の調査研究は、「あなたの性格はどんなものですか」などという手法ではまったくない。むしろ能美氏はそのような調査法を、血液型人間学をおとしめるものとして激しく非難していた。氏の死後、研究は子息の能美俊賢氏に継承されたわけだが、私は、俊賢氏の著作を読んで、継承者としては力量が不足しているし方向がおかしいと感じたものである。だから、その後は血液型人間学にはあまり関心を持たずに、書籍も散逸してしまった。

能美正比古氏の調査法は、ある職業ジャンルにどういう血液型分布があるか、という方法が主たるものであった。そしてその手法によって、血液型によるなんらかの気質的なものの差異が、見事に浮かび上がったのである。そして調査対象は、聞けば誰でも知っているような有名人が多かったから、人々はなるほどと納得したのである。

どこの誰だか分からない市井の人を集めて、あなたの性格はどうですか、などというアンケートを山ほど積み重ねても、何も分からないだろうし、逆に、意識してであれ無意識であれ、わざと差異が分からなくなるように、アンケートを仕組むこともできる。そういうアンケートをして「血液型人間学は否定されました」という結果を出すことも可能である。
いま学者たちによって能美氏の業績が否定されているように見えるのは、誰かがそういう調査をして、「青春出版社」から出版するのではなく、どこかの正規の学会で報告したからだろう。菊池誠氏は例によって、深く考えもせずに、その尻馬に乗って「ニセ科学」だと批判しているのである。

もし、アンケート調査をするとしたら、客観的な行動パターンを問うものでなければならない。たとえば、なんらかのシチュエーションを設定して、この場合あなたならどう行動するか、を二者択一で選択させる、そういうアンケート大規模に積み重ねて行けば、何かが浮かび上がってくるはずだ。シンプルな例としては、「川で子供がおぼれている、あなたは飛び込むか」というような設問を数多く用意して短時間にどんどん答えさせる、そういうアンケートを集積して血液型別に比較すれば、日本の歴代首相にあれだけはっきりした傾向が出るのだから、血液型による行動パターンの差が出る可能性は大いにあるだろう。


一部に、血液型人間学などを研究しているのは日本人だけで、世界では相手にされないということを理由に、血液型人間学を否定する人がいる。しかし、血液型が気質や行動にどう影響するかなどを調べることは、血液型以上に影響を持つであろう人種や教育や宗教などがなるべく均質で、しかもある程度の経済力や情報伝達手段や教育が備わった国でしか成立しないのである。1970年代にはアジアでもアフリカでもヨーロッパでもアメリカでも、そういう条件はなかった。日本だけがたまたまそういう条件を備えていたのである。


能美氏が青春出版社から本を出すという形でしか自説を発表できなかったのには、氏や周囲にそれなりの事情があったはずだ。だから、そのことを理由に軽々に能美氏の業績を否定する菊池誠氏には、真に科学を愛する心が足りない。学会に論文を出したから科学で、町の出版社から出したらニセ科学、などということは断じてない。

なお、東大の金属工学のデータの元稿はむろん能美氏だが、能美氏の業績を愛情を持って分析し批評している哲学者の滝紀夫氏のサイトから引用した。
http://taki.cool.ne.jp/ph/bl/index.htm
たいへん参考になる労作である。
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