BBCドキュメンタリー Inside the Meltdown


2012.03.07


英国BBC放送が福島事故の初めの数日間についてすぐれたドキュメンタリーを放送しました。

題名は Inside the Meltdown


http://www.youtube.com/watch?v=IwBELPtVUCA&feature=youtu.be


菅前総理の対応が悪くて大事故になった、という風説を事故直後から意図的に流してきた勢力があります。その連中が菅前総理を辞任に追い込みました。

しかし世界はどう見たか、これは公平なレポートです。

以下に絵本にしてご紹介します。








巨大な津波が福島第一核発電所を襲いました。従業員が逃げています。
これがもっとも高い波です。
発電所の海岸沿いは水浸しになりました。
電源が失われ、非常用の冷却水が注入できなくなりました。電源が必要だということで、電源車が手配され、数時間かけてようやく福島に到着しました。
しかし、つなぎ込む先の配電盤は水浸しで使えませんでした。
そこで所内のあらゆるバッテリーが動員されて、制御盤の計器類が作動しました。
圧力計は、炉の圧力がどんどん高まっていることを示しました。
このままでは炉が爆発して炉内の放射性物質がすべて吹き飛ばされます。緊急のベント(ガス抜き)が必要でした。菅総理はベントを急ぐように東電に強く指示しました。
しかし、いつまでたってもベントは行われませんでした。なぜやらないのか、という菅総理の度重なる督促に、東電はあいまいな返事しかしませんでした。東電は、ベント用の開放バルブが本来は電動で、電気がないと簡単には開かないこと、非常時に動かす手動ハンドルがどこにあるかを暗い制御室で懐中電灯で図面を照らして探している状況であることを、官邸に伝えませんでした。
菅総理は怒り、自分で直接現場に行くと、明け方官邸の屋上から飛び立ちました。
現場で、菅総理、斑目安全委員長、武藤技術担当副社長、吉田所長が協議しました。吉田は菅総理に図面を示し、手動バルブを開けるために文字通りの「決死隊」を編成して原子炉建屋に突入することを菅総理に約束しました。
菅総理はそれをやってくれと言いました。「死ね」というに近いことですから重い決断だったと菅総理は述懐しています。

帰途のヘリで菅総理は「これで爆発はないな」と斑目委員長に確認し、斑目委員長は「爆発はしません」と応えました。
決死隊が放射能の高い、真っ暗で熱い建屋内に入り、ようやく手動ハンドル(右側の錆びたハンドル)を見つけ、それを手で回してようやくバルブを開けました。
3月12日午後2時、ベントは成功し、排気筒から白い蒸気が出ました。

炉の圧力が下がり、制御室は安堵の空気に包まれました。
その直後に、原子炉建屋が爆発しました。誰も何が起こったか理解できませんでした。
翌々日には3号炉が、強い閃光とともに爆発しました。
煙は瞬く間に500メートルまで上昇しました。
爆発直後の3号炉です。

東電は撤退を決めました。吉田所長は、自分たち数人が残るが、もうなすすべがないので大多数の所員に帰宅するように指示しました。吉田はここで死ぬのだな、と誰もが思ったということです。
東電撤退の話を聞いて菅総理は激怒し、未明に東電に乗り込み、居並ぶ東電会長、社長、社員を、「撤退は絶対に許さん」と怒鳴りつけました。
菅総理の怒鳴り声は、福島の制御室にもテレビ中継されていました。
この一喝で東電は腹を決めたでしょう。
自衛隊のヘリコプターが3号炉の核燃料プールに水をかけました。
東京消防庁が現場でホースをつないで、3号炉の上から放水を開始しました。
あれ以上のことにならなかったのは神の思し召しとしか思えません。
あの最初の1週間、我々は紙一重のところを通っていたのです。



これが客観的ないきさつです。


ベントは成功したのです。

決死隊は放射能を浴びながら真っ暗で熱くて水蒸気だらけの中で、手動で弁の開放に成功し、排気塔から白い煙があがり、圧力容器の圧力が下がり、決死隊も制御室に戻り、全員でやれやれ一安心と一息ついたときに、1号機建屋が爆発しました。


驚いたことに、ベントをするとベント管から水素が建屋内に漏れるという、そもそもそういう構造になっていたそうです。まったく欠陥設計ですが、おまけに建屋が密閉状態なので漏れた水素が充満して、ベントをすると建屋が爆発するのは「ほぼ必然」という設計なのだそうです。

しかも誰もそれを知らなかった、吉田所長も斑目委員長も知らなかったのです。

しかしベントは成功しましたから、圧力容器は無事で、爆発したのは建屋です。

その後、東電が撤退すると言い出して、菅総理は本社に乗り込んで一喝して、その様子を現場の全員がTV中継で見ていました。

東電本社の社員は毎日新聞の取材に応えて「苦労をねぎらいに来てくれたと思ったら、いきなり怒鳴られて肝を冷やした」と言っていましたが、私はこの一喝で東電本社も現場も、全員の腹が定まったと思います。戦に臨んで総大将が決死の覚悟であることを全員が知ったことが、事故収束へ向けての大きな分岐点でした。

これらのいきさつは事故直後から伝えられていましたから、私はこのサイトで一貫して菅総理を支持しています。菅総理のせいでベントが遅れたとか、海水注入が遅れたなどという批判がずっと続いていますが、今回の民間事故調査委員会という「怪しげな団体」の報告で逆に明らかになったのは、わざとそういうデマを作って流す勢力があるということです。


学生の頃から菅代議士の周囲で活動していた下村健一氏が自身のツイッターで述べていることを紹介しましょう。


http://twitter.com/ken1shimomura

ken1shimomura 下村健一

原発・民間事故調報告書/1
400頁以上の大部、日々少しずつ精読中。3章「官邸の対応」、4章「リスクコミュニケーション」、付属資料「最悪シナリオ」の部分を中心に、コメントしていきたい。目的はただ一つ、微力ながらも《本当に有効な再発防止策》に近づく為。立ち会った者の責任。

民間事故調/2
まず、大きく報道された、《電源喪失した原発にバッテリーを緊急搬送した際の総理の行動》の件。必要なバッテリーのサイズや重さまで一国の総理が自ら電話で問うている様子に、「国としてどうなのかとぞっとした」と
証言した“同席者”とは、私。但し、意味が違って報じられている。 ≫

民間事故調/3
私は、そんな事まで自分でする菅直人に対し「ぞっとした」のではない。そんな事まで一国の総理がやらざるを得ないほど、この事態下に地蔵のように動かない居合わせた技術系トップ達の有様に、「国としてどうなのかとぞっとした」のが真相。総理を取り替えれば済む話、では全く無い。 ≫

民間事故調/4
実際、「これどうなってるの」と総理から何か質問されても、全く明確に答えられず目を逸らす首脳陣。「判らないなら調べて」と指示されても、「はい…」と返事するだけで部下に電話もせず固まったまま、という光景を何度も見た。これが日本の原子力のトップ達の姿か、と戦慄した。

民間事故調/5
それが、3・11当日の総理執務室の現実。確かに、こういう張り詰めた時の菅さんの口調は、慣れていない者を委縮させる。それは30年前の初対面の頃から感じていた問題。しかし、「だって怖かったんだもん…」という幼稚園のような言い訳が、国家の危機の最中に通用していいのか?

民間事故調/6
この部分、他の証言も総合して、報告書はこうまとめている。「菅首相の強い自己主張は、危機対応において物事を決断し実行するための効果という正の面、関係者を委縮させるなど心理的抑制効果という負の面の両方の影響があった。」 この評価、私も同感。《以下明日以降》

民間事故調/7
報告書P.77「官邸が電源車を用意手配したにも関わらず、11日夜から12日にかけて電源車に繋ぐコードが無い等の報告があり…」⇒これ、私も見ていた通り。この文から2つの事が判る。つまり、総理室詰めの技術陣は電源車の手配にも即応できず(だから「官邸」が手配)、更に…

民間事故調/8
「電源車が現場に到着したら、電気を原発側に送るコードが要る」ことにも前もって1人も気付かなかった。この後も、こうしたトホホは信じ難いほど続く。当時の私のノートの走り書きより:「うつむいて黙り込むだけ、解決策や再発防止姿勢を全く示さない技術者、科学者、経営者」

民間事故調/9
一方でノートにはこんな殴り書きも。「Kに冷却水が必要」…Kとは菅さんのこと。危機が刻々募る中、技術陣の無様さに、次第に総理のテンションが高じていったのも事実。あそこは優しく彼らの硬直を解いてあげるのがリーダーの務め。…私がその立場でも、それができた自信は無いが。

民間事故調/10
自分だけ冷静だったように振り返るのはフェアじゃないから、正直に言う。私自身、あの時は人生最大の緊張状態にいた。眼を合わせない専門家さんに、「頼むから、1つの作業が始まったら、次に何を備えなきゃいけないか、先回りして考えて下さい!」と懇願したのを覚えている。

民間事故調/11
当時の激動の渦中で、私を含む当事者は皆《自分が体験したアングル》だけであの時の出来事を一面的に認識し、それが真相だと銘々に信じている。しかし、仮に1人も嘘をついていなくても、その証言は至る所で食い違う。我々は誰もが、全貌が見えぬ相手と闘う蟻でしかなかったのだ。


民間事故調/12
だから、色々な立ち位置にいた“蟻”達の証言を後で総合し全体像をつかむことは、《何があったのか》を知り再発防止策を作る上で、決定的に重要だ。私が事故調のヒアリングに全面協力したのも、今こうしてツイートで補完しているのも、そういう理由から。続いて報告書P.79⇒

民間事故調/13
震災翌朝。福島の現場では、東電本店との電話で「吉田所長が首相の突然の訪問予定に…『私が総理の対応をしてどうなるんですか』と激しいやり取りをしていた。」これは、来る菅への怒りか?(世間の見方) “総理対応はそっちの役割だろう”と本店を怒ってたのか?(私の見方)


民間事故調/14
なぜ私が後者の見方をするかと言えば、それが当時官邸にいての実感だったから。目の前にいる面々にいくら訊いても情報も判断も出て来ないなら、直接現場に行くしかない。で、実際、菅・班目氏らと現場に行って感服した。吉田所長は、総理を迎える態勢など、何も取っていなかった。


民間事故調/15
この視察は儀式ではなく、状況把握作業だ。どうか本末転倒な歓迎準備になど人手を割いていませんように、と案じながら到着してみると、歓迎の人垣の代わりに建物内で総理を迎えたのは、毛布にくるまって廊下にゴロゴロ転がる疲れ切った人の群れだった。我々は、その隙間を進んだ。


民間事故調/16
間近な最前線での闘いから時間交代で戻って来て、ぐったり仮眠しているその人達は、10cm横を今総理が歩いていることなど、全く気付いていなかった。その《総理扱いの放置ぶり》に、「ああ、これなら作業のお邪魔は最小限で済んでいる」と私は安堵した。そして会議室へ。




電源車のコードについては、当時も今も、接続が合わなかったという説明ですが、このBBCの映像では、そもそも配電盤が水に浸かっていてつなぎ込める状態ではなかったということです。

どういうことでしょうか。

どうやら東電の誰も、電源車が到着するまでの数時間、現場を見に行っていなかったようです。
現場を見ずに、電源車、電源車、と言っていたのがバレないように、接続が、と言っているのではないか・・・と疑ってしまいます。


海水注入について、同志社大学山口栄一教授の以下のような証言があります。





メルトダウンを防げなかった本当の理由
──福島第一原子力発電所事故の核心
2011/12/15 12:00
山口栄一=同志社大学 教授,  ケンブリッジ大学クレアホール・客員フェロー


http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20111215/202630/?P=1



日比野靖氏の証言

もう一つの反応は、旧知の日比野靖氏からである。

 日比野氏は現在、北陸先端科学技術大学院大学の副学長を務めている。菅総理大臣(当時、以下同)の大学時代の「同志」であって、菅がもっとも信頼を寄せていた友人であった。こうした経緯もあって菅総理は、2011年2月の終わりころ、日比野に内閣官房参与を依頼する。日比野氏は、2011年3月20日より参与に就任して科学技術行政を補佐することを菅に約束していた。

 そこに震災と原発事故が起きた。3月12日、参与就任前だった日比野氏は菅総理に「一友人として」官邸に呼ばれ、3月13日にさまざまな助言を行なった。以下は、日比野氏から届いた私信である



 貴殿の福島原発事故の原因に関するご見解(著者注:前出の日経エレクトロニクスの論文と日経ビジネスオンラインの記事を指している)、まさにその通りだと思っております。

 その中で、1号炉の隔離時復水器、2〜3号炉の隔離時冷却系の存在を指摘されておられます。

 実は、小生、縁あって、菅直人元総理の、内閣官房参与を3月20日より務めましたが、それ以前に、事故の翌日3月12日の夜、官邸に呼ばれ、緊迫した状況の中で翌日3月13日昼まで過ごしました。

 そのとき、1号炉は既にベントも海水注入も実行されていたのですが、水素爆発をした後でした。

 菅元総理は、2〜3号炉も1号炉を同じ経過をたどるであろうことを直感し、先手を打つことを、東電、保安院、安全委員会に何度も指示していたのですが、これらの専門家たちは、隔離時冷却系が動作しているからという理由で、ベントや海水注入に踏みきりませんでした。

 菅元総理は、隔離時冷却系が動いているからといっても、熱が外部に放出されるわけではないので、温度と圧力は時間をともに上昇するはずだ。早くベントと海水注入をするべきだと強く主張していました。

 小生も、東電、保安院、安全委員会のメンバーに、早くベントと海水注入をして冷却を進めるべきだと思ったので、隔離時冷却系が停止するまで待つ理由を東電、保安院、安全委員会のメンバーに質問しています。

 回答はつぎのようなものでした。

 できるだけ温度と圧力が十分上がってからベントした方が、放出できるエネルギーが大きい。一度しかできないので、最も効果的なタイミングで行う。

 そのときは、小生、熱力学の知識が不十分だったので、納得して引き下がってしまいました。翌3月13日は、3号炉は隔離時冷却系が停止し危機的状況をむかえてしまいました。

 しかし、大学に戻り、少し調べてみると、水は沸点を超えるとき大量の潜熱を吸収するが、それより高温の水蒸気の熱吸収は、水をわずかに超える程度であり、特に臨圧21気圧を超えて水蒸気は、水と同じ性質であるとのことを知りました。

 やはり、早くベントし海水注入をするべきだったのです。2号炉はまだ間に合う。ただちに、菅元総理に電話で進言しています。

 この進言、2号炉の隔離時冷却系停止には間に合いませんでした。

 小生の長い間の疑問は、隔離時復水器、隔離時冷却系が動作している間に、なぜ、ベントと海水注入をしなかったのかということでした。この疑問は、貴殿のご指摘で、完全に解けました。


 東電の「過失」が証明される内容を含む、重要な証言である。 




山口氏は、緊急時の復水器の運転方法についての東電の過失の可能性を追及しています。
その中で、日比野氏の手紙を紹介しています。

菅総理が海水注入を妨げたかのような「作り話」が一方的に流されましたが、当時官邸にいた科学者の証言ですから、実際はこういうことだったのでしょう。


こういう証言を読むと、菅総理はたいへんな状況でよく頑張ってくれたと思います。



菅、枝野、細野の3人は第一線で原発事故の対応に当たってきましたから、脱原発こそが日本の生き延びる道だと確信しているでしょう。

じゃぁどうするかということですが、原子力ムラはまだ強力ですから、うかつにやると逆につぶされてしまいます。ですから、いろいろと陽動作戦をしなければなりません。その好例が「突然のストレステスト」です。唐突だ、意味がわからん、再稼働の布石だ、といろいろと言われますが、現実には、菅前総理がストレステストを言い出したおかげで、原発はどんどん止まっています。


「さらば核発電」に向けて、誰が味方で誰が敵か、よくよく見極めたいものです。



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